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i am so disappointed.

岡村靖幸のアルバム「靖幸」は1989年7月14日に発売されたようだ。インターネットで調べてみるとそのような記述が多いが公式ウェブサイトでは7月13日になっていたり、Googleで「岡村靖幸 靖幸 発売日」と検索すると「1989年7月11日」と表示され(しかも画像は「靖幸」のジャケットではなく「あの娘と、遅刻と、勉強と②」の表紙)、実際のところよく分からない。しかし、オリコンの過去のランキング表の表記されている発売日が7月14日なので、おそらくこれの可能性が高そうである。

 

当時、岡村靖幸の音楽を熱心に聴いていたものの、日本のポップ・ミュージック全般についてはそうでもない。しかも、80年代半ばあたりまでのように、もはやヒットチャートもほとんどチェックしていなかった。それで、「靖幸」が初登場した1989年7月24日付のオリコン週間ランキングを見て、4位にランクインするほど売れていたのかと驚かされる。1位は南野陽子「GAUCHE」で、当時、トップアイドルだったことは知っていたのだが、アルバムもこんなに売れるほど人気だったのだなと思わされたり、2位が渡辺美里の「Flower bed」でそういえば先日、この約2年後のフリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」初登場週のランキングを調べた時は渡辺美里が1位だったな、とかいろいろ思わされるところがある。ちなみに渡辺美里と学年が同じな私が学生だった頃には、「美里」という名前の人に出会ったことが一度もなかったのだが、ある年代から普通によくいるようになった印象である。これは渡辺美里の影響だったのだろうか(とても才能のある若手お笑いコンビ、蛙亭の岩倉美里は渡辺美里が「サマータイムブルース」をリリースする約1ヶ月前に生まれている)。

 

岡村靖幸がデビュー前に楽曲提供をしていたのが渡辺美里で、1986年のアルバム「Lovin’you」に収録された「19才の秘かな欲望」は「DATE」(1988年)でセルフカバーされてもいた。また、この週のオリコン週間アルバムランキングでは、「靖幸」の1ランク上、つまり3位に岡村孝子「Eau Du Ciel」がランクインしていて、岡村姓のアーティストが並んでいたりもする。また、この年の6月24日に亡くなった美空ひばりのアルバムが6位の「特選集」をはじめ、50位以内に6作もランクインしている。この年の2月11日から「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」の放送が開始され、それがバンドブームを一般大衆化したともいわれているのだが、この週のオリコン週間アルバムランキングにはZIGGY、JUN SKY WALKER(S)、筋肉少女帯、レベッカ、プリンセス・プリンセス、PERSONZ、ユニコーン、BO GUMBOS、THE PRIVATESなどがランクインしている。

 

そして、44位の松任谷由実「Delight Slight Light KISS」は前の年の11月26日に発売されたのだが、この時点で7ヶ月以上も売れ続けていたということだろうか。この間に、元号が昭和から平成に変わっている。このアルバムは松任谷由実が80年代後半にリリースした「純愛三部作」の2作目にあたり、1曲目に収録された「リフレインが叫んでる」の「どうして どうして僕たちは 出逢ってしまったのだろう」というフレーズを聴いたことがない日本の若者は、当時ほとんどいなかったのではないだろうか。この曲は実はシングルでは発売されていないのだが、アルバムのリードトラックとしてミュージックビデオが作られ、テレビでCMスポットが大量にオンエアされていた他、三菱自動車のCMソングとしても使われていた。

 

終わってしまった恋に対して感傷的な気分になっている、いわゆる失恋ソングである。ミュージックビデオには幸せそうに笑い合う様々なカップルの映像が使われていて、それがもうすでに戻らない過去として現状と比較され、切なさをより加速する効果が狙われているのだろう。そしてそれは当時、多くの国民の心に響いたからこその社会現象的な大ヒットだったのだろう。この頃の松任谷由実といえば、まさに「恋愛の教祖」的存在であったともいえる。

 

真夜中のテレビでこの曲のビデオを眺めていたのだが、そこに映っているカップルはいずれも美男美女であった。おそらくモデルや役者のような人達なのだろうが、なんとなく一般人にも見えなくはない絶妙なラインであり、それが共感を得たりもしたのだろうが、一方で私などは疎外感をいだいたりもしていた。なぜなら、やはり美男美女ばかりが登場する「さわやかテイスティ」なコカ・コーラのテレビCMと同様に、そこに私の居場所はないように感じていたからである。

 

 

ユーミンこと松任谷由実は私が中学生や高校生だった80年代前半にもひじょうに人気が高く、「PEARL PIERCE」「REINCARNATION」「NO SIDE」のジャケットなどはレコード店でもよく目にした覚えがある。山下達郎やサザンオールスターズのレコードなどと同様に、大学生のカーステレオでかかりがちな音楽というような印象があった。当時、松田聖子のアルバムはアイドルのレコードにもかかわらず、これらと同様の使用法に耐えうる、それだけのクオリティーを備えているということで高く評価されていたような気もする。

 

とはいえ、あくまで当時の旭川の公立高校生としてのリアリティーとしては、聴いていたのはほとんどが女子だったような気がする。70年代に日本のポップ・ミュージック史に残る素晴らしい作品の数々を独身時代の荒井由実名義などで発表していたことはなんとなく知っていて、1981年の「守ってあげたい」はキャッチコピーが「才能のきらめきは不思議世代を惑わすか」だったことからも、その頃にリアルタイムではなかった新しい世代の音楽ファンをターゲットにしたものであったと思われる。そして、この曲はオリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録、「ザ・ベストテン」にも一度だけ出演した。

 

80年代中盤には、「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに山下達郎の曲と交互に使われていたような印象がある(実際にそうだったかについては調べていない)。なんとなく都会的でモテそうなムードである。日本のバブル景気は1985年秋にニューヨークで発表されたプラザ合意がきっかけになったといわれている。プロ野球の阪神タイガースが21年ぶり(私が生まれてから初めて)の優勝を果たし、YMO、RCサクセション、糸井重里などのファンが主に読んでいたと思われる雑誌「ビックリハウス」が休刊したのと同じ秋のことである。最後の方ではとんねるずが連載を持っていたが、石橋貴明はかつてこの雑誌が主催したコンテストで竹中直人と優勝を争ったという過去もあった。

 

1986年は私が大学に入学した年だが、この年の秋に松任谷由実のアルバム「ALARM à la mode」を小田急相模原のレコードレンタル友&愛でレンタルした。翌年、原田知世と三上博史が主演した映画「私をスキーに連れてって」が公開され、渋谷まで見に行くのだが、これには松任谷由実の曲が効果的に使われていた。この年に「純愛三部作」の一作目「ダイアモンドダストが消えぬまに」がリリースされ、これはレコードを買ってわりと気に入ってもいたのだった。この頃、新譜だけではなく過去の名盤といわれるものなどもいろいろ聴いてみようと思っていた時期で、荒井由実時代のシングルコレクションのCDを小田急相模原のすみやでボブ・ディランや吉田拓郎のベストアルバムと一緒に買ったような気がする。これはかなり気に入って聴きまくっていたし、70年代にしてこんなにも洗練されたポップスをやっていたとは、ユーミンというのはやはりすごいアーティストなのだなといまさらながら感じていた。

 

「POPEYE」「Hot-Dog PRESS」というような雑誌を最新の流行を知るために買ったり買わなかったりしていたのだが、80年代半ばぐらいからデートマニュアルやセックス特集など、性愛に関する内容が増えていったような気がする。印象では「POPEYE」がまだスタイリッシュなオブラートに包んでいたのに対して、「Hot-Dog PRESS」の方がより即物的で、そこが受けていたような気もする。1986年に女性ファッション誌「NON-NO」の男性版として「MEN'S NON-NO」が創刊されるやいなや大ヒット、モデルとして誌面に登場していた阿部寛や風間トオルも大人気になった。男性が見た目をも本格的に気にするようになるのは、これぐらいの時期からではないかと思われる。また、ファッションではDCブランドブームのようなものがあり、丸井の赤いカードは学生でも簡単につくれるクレジットカードとして人気があった。

 

女性からモテたいという欲望なのか、自分自身が理想的なイメージに忠実でありたいということなのか、これには人それぞれいろいろだったとは思うのだが、トータル的に男子が見た目に気を使うようになったことは間違いがない。それにはある程度お金もかかるわけだが、アルバイトをすればなんとかイケたりもする。日本経済はバブル景気まっしぐらでなかなか盛り上がっていたのだが、性愛関連の市場の高騰というのはそれに比例していたように思える。岡村靖幸は1986年12月1日にシングル「Out of Blue」でデビューしていたのだが、この頃は私はまだ知らなかった。

 

この年の6月に久保田利伸がデビューしていて、「オールナイトフジ」のミニライブでたまたま見るのだが、こういうスティーヴィー・ワンダーみたいな、ロックやポップスではなくソウルやR&B的なアプローチのアーティストが日本でも出てきたのだな、とわりと好ましく思い、デビュー・アルバム「SHAKE IT PARADISE」は小田急相模原のオウム堂というレコード店で買った。

 

「赤い薔薇投げ捨て これで終わりにしようぜ」と歌われる「哀愁でいと」でデビューした田原俊彦のことを、私は当時から華のあるポップスターとして好意的に見ていたが、周囲の大半の男子は好ましく感じていなかったように思える。それが、80年代の後半には男が憧れるカッコいい男というような感じにもなっていくのだが、1987年のはじめにリリースされたシングル「KID」においては「メンズマガジン抱いて流行りをおぼえ あの娘好み お洒落になって」いく男に対し、「BYE-BYE GOOD LUCK おとといおいで」「ゾクゾクするような男の気分を知らないか」と歌いかけている(作詞は阿久悠である)。

 

土曜の夜遅くに放送されていたテレビ番組「上海紅鯨団」が1987年の秋から「ねるとん紅鯨団」に変わり、司会はとんねるずであった。最初はいろいろな企画をやっていたのだが、お見合い企画のようなものの人気が高く、やがてそれがレギュラーになった。「ねるとん」はとんねるずを業界用語的に逆さまにしたものなのだが、この番組が流行りすぎて、やがてお見合いの代名詞となった。とんねるずがそこにいなくても、ねるとんパーティーといえばお見合いのことであるような状況が、やがて訪れるようになってくる。

 

村上春樹の小説「ノルウェイの森」が出版されるのは「ねるとん紅鯨団」放送開始の約1ヶ月前、松任谷由実「ダイアモンドダストが消えぬまに」発売の約3ヶ月前にあたる1987年9月4日である。夏休みの帰省から東京に戻ったその日に、紀伊國屋書店でこの本を見つけた。上下巻に分かれていて、表紙の色がそれぞれ赤と緑、クリスマスをイメージさせるカラーであって、プレゼントにも最適だったかもしれない。村上春樹の小説はずっと読んでいたので、その最新作として迷わず買った。帯には「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーが印刷されていた。その時点で村上春樹はすでに人気作家だったわけだが、日常的に小説やエッセイを読むようなタイプの人以外にまでは広がっていなかったような気がする。なので、この本の大ヒットには驚かされた。それほど内容が極度にキャッチーになっているとも思えなかったし、純愛ブームのようなものの象徴のようにもいわれていたが、実際には年上の女性が主人公の男性を手によって射精に導くシーンなどがあったように思える。アルバイト先での休憩中にテレビで見ていた「鶴ちゃんのプッツン5」でお見合い企画のようなものに登場した暴走族上がりのような男性が、「村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んで純愛っていいなと思いました」などと言っているのを聞いた時には驚愕したものである。

 

クリスマスに恋人とラブホテルではなくシティーホテルで過ごすことがステイタスとなり、人気があるホテルなどはかなり早い時期においてすでに予約でいっぱいだなどといわれてもいた。また、そういうのを雑誌が特集し煽ってくる。クリスマスイブに恋人がいない状態というのは、犯罪並みに惨めで淋しいことである、というような認識が一般化したのもこの頃である。

 

このような状況にけして反発していたわけではない。単純に参加することができなかったということである。そのための努力はそれなりにしたし、まったく手が届かないというわけでもなかったのだが、理想とする状態とは程遠かったといえる。それで、松任谷由実の「リフレインが叫んでる」には疎外感をいだいていたのだが、それほどしんどいわけでもなかった。理由の1つは、岡村靖幸をすでに知っていたからである。

 

1988年の春休みには旭川の実家に帰省していたのだが、最後の夜に近所の冨貴堂書店で「ロッキング・オンJAPAN」の最新号を買った。岡村靖幸はまだそれほど有名ではなかったので、雑誌の後ろの方のモノクロページにインタヴューが1ページだけ載っていた。まったく知らないアーティストだったがなんとなく読んでみて、結果的にとても印象に残った。夜遅くにラジカセでFM北海道をつけていると、たまたま岡村靖幸の「19(NINETEEN)」がかかり、たちまち衝撃を受けたのであった。曲はジョージ・マイケル「FAITH」に少し似ていなくもないと感じたのだが、その独特な歌詞のフレーズとメロディーへの乗せ方が圧倒的であり、次の日に小田急相模原に戻るとすぐにその曲を収録し「DATE」のCDを買った。

 

性愛こそが当時の日本の若者にとって、最大の関心事だったのではないかと思えるのだが、なんとなくそのムードに乗り損ねている者などにとって、まさにクリティカルヒットなのではないかと思える内容であった。そういった状況に対し、アンチの立場を取っているというわけではなく、確かに素直に憧れてはいるのだが、なんとなくうまくはいっていないことによる理想と現実との間にある軋轢、それが言葉やサウンドやパフォーマンスから感じ取れた。けしてスムーズで聴きやすいばかりでもないのだが、ポップ・ミュージックとしてひじょうに魅力的である。プリンスに近いのではないか、などと思っていたところ、プリンス、ビートルズ、松田聖子から影響を受けたなどといっている。

 

「DATE」は2作目のアルバムであり、その前の年にはデビュー作となる「yellow」がリリースされていたと知る。そして、これも買って聴くのだが、サウンド面でのオリジナリティーはまだ確立していないようにも思えるものの、スピリット的な部分ではじゅうぶんに感じるところがある。さらに、その間にリリースされいずれのアルバムにも収録されていない「Dog Days」というシングルがあり、そのビデオを深夜のテレビで見た。爽やかなサマーポップのようにも感じられるのだが、PSY・SのCHAKAによるボーカル部分では「車のない男には興味がないわ」「あきらめて 出直して 勉強でもしてて」と歌われる。そして、「Sunshine」こと夏の日射しに対して、「お前のせい」で「恋もままなら」ず「堕落してしまう」と責任転嫁を試みるのだが、結局のところ「心はいつも いつも ぼくを責めてる」と結ばれる。このどうしようもない経済と性愛の問題というのだろうか、これがポップソングとしてヴィヴィッドに表現されているという点にオリジナリティーを感じたし、ひじょうに深刻なものとして受け止めてもいた。

 

そして、この年の秋には「聖書(バイブル)」というタイトルからして期待をいだかせるシングルが新曲としてリリースされる。これは後にアルバムに収録されるのとは別バージョンである。「Baby なんか強引ですが今 Teenagerのあなたが なんで35の中年と恋してる 学校じゃもちきりだよその事で」ではじまるこの曲には、出だしから一気に心をつかまれた。現在であれば「児ポ案件」や「パパ活」、あるいは90年代ならば「援助交際」などと取られそうなこのシチュエーションだが、当時はちょっとニュアンスが異なっていたように思える。そこに貧困や犯罪めいたイメージはなく、むしろよりリッチでゴージャスな世界に対する好奇心の方が強かったのではないか。実際に大学では私と同学年の女子でも普通に妻帯者と不倫をしていて、一流ホテルや高級バーなどに連れて行ってもらった自慢話を下北沢の安居酒屋で聞かされたりしていた。そういうことをしているのをどう思うかと、反応が分かっていながら聞いてくる彼女達に対し、当時の私は期待通りブチ切れたりしていたわけだが、岡村靖幸は「聖書(バイブル)」でこのように歌っていた。「きっと本当の恋じゃない 汚れてる 僕のほうがいいじゃない 同級生だし バスケット部だし 実際青春してるし 背が179!」。私はバスケット部でもなければ背が179センチあったわけでもなかったのだが、それ以外の点においてはこのフレーズに完全に同意であった。しかし、それをけして口に出すことはなく、ただただ不機嫌だった。

 

その次にシングル「だいすき」がやはり新曲としてリリースされるのだが、これは打って変わってハッピーなラブソングであった。「君が大好き」だということについて、「こんなに大事なことはそうはないよ」と歌われる。そして、「動機が不純なぼく」は「ねえ 三週間 ハネムーンのふりをして旅に出よう」と誘いをかける。これだけならば、まさに性愛至上主義の時代のアンセムであるかのようにも思える。しかし、私は次の「もう劣等感ぶっとんじゃうぐらいに熱いくちづけ」というフレーズに着目したい。ここに「劣等感」という単語が入っていることによって、この曲のリアリティーが少なくとも私のようなものにとっては一気に増しているように思える。そして、「ハネムーンのふり」ということは一過性の遊びということではなく、結婚をも視野に入れた感覚がそこにあり、それは翌年にリリースされるアルバム「靖幸」の1曲目に収録された「Vegetable」において「本妻すんならあの娘に決めてんだ」と歌われることにもつながっているのだろうか。そして、それは「聖書(バイブル)」における「35の中年と恋してる」状態に対する「本当の恋」「青春」の延長線上にあり、「Vegetable」では「青春しなくちゃまずいだろう」と歌われるわけである。

 

年が明け、元号が変わってから最初にリリースされた岡村靖幸の新曲は「ラブ タンバリン」であった。「「心に住んでる修学旅行が育つんだ」といういかにも岡村靖幸らしいフレーズが印象的なのだが、もちろんこれは「青春しなきゃまずいだろう」の気分につながっている。「このバラ持ってTVの男達のように 告白タイムを見つけ出したい」は、当時、大ヒットしていた「ねるとん紅鯨団」そのままである。

 

そして、7月14日にこれらのシングルを収録した(「聖書(バイブル)」は別バージョンだが)アルバム「靖幸」が満を持してリリースされるわけである。初のプロデュース作品らしく、音楽的にもバラエティーにとみ、ひじょうに充実しているといえるのだが、そこに込められたバブルという名の高度消費社会であったりそれをバックボーンとした性愛至上主義のようなものに対する異議申し立てのようなものが、メッセージとして込められているように思えてならない。当時の私がそういったものをなんとなく感じていたため、それに寄せた聴き方をしていたという側面ももちろんあるような気もするが、それを差し引いたとしても、やはりこの時代ならではでもありながら普遍性も感じさせる素晴らしいアルバムだと思うわけである。

 

フリッパーズ・ギターならば「ヘッド博士の世界塔」よりも「カメラ・トーク」が好きであるように、岡村靖幸のアルバムでも名盤としての評価が定着しているような気がする「家庭教師」よりも「靖幸」の方が圧倒的に好きである。それは、「青春」的な要素がより強いということもあるのだが、自分達がまだメインストリームにはなり切っていない状態において、切り込んでいこうという勢いというか、その根底にある苛立ちのようなものというか、そういうのに良さを覚えがちな私がいる、ということなのかもしれない。

 

この「靖幸」という素晴らしいアルバムについては、昨年にある程度は書いていたし、それに付け加えることもそれほど無いのだが、今回はそれを取り巻く時代の状況のようなものを、あくまで個人的な視点から取り上げてみたのであった。

 

「Vegetable」というのは野菜であり有機的なものの象徴として描かれているのではないかというような気もするのだが、この曲でそれに対立するものとして取り上げられているのが「持ち帰りのジャンクフードとパック入りの烏龍茶」で、それはコンビニエンスストアなどを連想させもする。烏龍茶は今日ではだいたいペットボトルで売られているのだが、当時は確かに紙パック入りのものをよく買ってきて冷蔵庫に入れていたな、ということを思い出していたら、すでに去年の時点で同じことを書いていたのだった。