1985年7月13日にチャリティーライブイベント、「ライヴエイド」はロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムとフィラデルフィアのJFKスタジアムを結んで開催されたわけだが、この様子は日本のテレビでも放送されていた。
まずはウェンブリーでライブが開始されたのが正午ぐらいだったので、日本では20時頃ということになるのだが、実際に放送が開始されたのは21時だったからだという。これには当時、高視聴率番組だった「オレたちひょうきん族」は放送したかったからではないか、などという説もあるようである。当時の「オレたちひょうきん族」は大人気であり、これによって同じ時間帯に放送されていたドリフターズの「8時だョ!全員集合」は視聴率が低下し、この年の秋で長年の歴史に幕を下ろすことになった。
「オレたちひょうきん族」では当時、明石家さんまが女性の乳房をもむような手の動きをして「やめられまへんなぁ」というギャグをよくやっていたが、私が行っていた銭湯でテレビゲームをやっていた小学校低学年ぐらいの男の子がこれを真似していた時にはどうかと思った。
それはそうとして、洋楽ファンとしてはウェンブリーやフィラデルフィアのライブの模様をそのまま流してほしかったのだが、やはり日本のテレビ番組として成立もさせなければならず、司会がフジテレビの人気アナウンサー、逸見政孝で、コメンテーター的な役割で南こうせつも出演していた。日本人アーティストの映像もいくつか流れたりしたが、これがわりと不評だったらしい。スタジオでのトークなども不毛だったようで、佐野元春などは憤慨して途中で帰ったらしい。忌野清志郎はどくとる梅津バンドとやっていたDANGERで出演し、翌週に発売されるミニアルバムから「はたらく人々」を歌った。「ライヴエイド」の日本での番組名は「THE 地球CONCERT LIVE AID」であった。
ちなみにこの年、私は旭川の高校を卒業して東京で一人暮らしをはじめたのだが、浪人生という立場上もちろん贅沢もできず、大橋荘という4畳半風呂なしで日当たりの悪い部屋で暮らしていた。「ライヴエイド」はその部屋に設置された14インチのテレビで見ていた。上京したその日に母と妹と一緒に秋葉原に行って、ロケットという店で買ったものである。阪神タイガースはこの年、21年ぶり(つまり私が生まれてから初めて)の優勝を果たすわけだが、この夜は後楽園球場で読売ジャイアンツに連敗を喫していた。
テレビでのライブ映像はウェンブリーからステイタス・クォーに続いてザ・スタイル・カウンシルだったが、逸見政孝アナウンサーが「スタイル・カウンシルさんです」などと丁寧に紹介していたような気がする。
このイベントのきっかとなったのはこの前の年のクリスマスシーズンにリリースされ、大ヒットしたバンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」であった。「哀愁のマンデイ」のヒットなどで知られるブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフがテレビで見たアフリカの飢饉についての報道に触発され、ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロと共につくったチャリティーシングルである。これには当時のイギリスやアイルランドの人気アーティストが多数参加し、全英シングル・チャートで5週連続1位を記録した。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、ワム!のジョージ・マイケル、スティング、U2のボーノ、ザ・スタイル・カウンシルのポール・ウェラーといった錚々たるメンバーが参加していたのだが、最初のソロパートがポール・ヤングだったので、イギリスではそんなに人気があるのかと驚かされたりもした。実際の翌年にはダリル・ホール&ジョン・オーツ「エヴリタイム・ゴー・アウェイ」が全米シングル・チャートで1位に輝くなど大ブレイクを果たすのだが、バンド・エイドのこのパートについては元々、デヴィッド・ボウイによって歌われることが想定されていたようだ。
まったくの余談だが、東京で生活をしはじめた頃には様々な刺激を受けたわけだが、その中で街で有名人にあったことを自慢するタイプの人がいる、ということもあった。同じ予備校に通ったある者が六本木のバーでポール・ヤングと会って意気投合したなどと言っていた。周囲からは完全に嘘だと思われていたのだが、実際にポール・ヤングはこの年の5月に来日していたことや人選の絶妙さなど、いろいろ感心させられるところがあった。
1984年のクリスマスといえば高校生活最後でもあり、思い出づくり的な感傷と受験が迫っている緊張とでなかなか普通ではない精神状態だったとは思うのだが、友人の家に女子や男子が相当数集まってパーティーのようなことをやっていた(正確には1984年12月22日だった可能性が高い)。家の離れで親などが来る心配もないということだったので、公立高校の3年なりのやりたい放題である。バンドはアースシェイカーの「モア」などを演奏し、ひじょうに盛り上がっていた。夜も深くなると灯りを暗くして、床に寝転んだ状態で各々いろいろなことをしながらテレビを眺めていた。そこで「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」のビデオも流れ、メンバーが豪華だなと思った。いまやクリスマスのスタンダードナンバー化しているワム!の「ラスト・クリスマス」はこの年に新曲としてリリースされたのだが、ジョージ・マイケルも参加していたバンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に阻まれて、全英シングル・チャートでの最高位は2位であった。その後、「TV海賊チャンネル」の「ティッシュタイム」もみんなで見ていた。ポルノ女優などが最終的に全裸になり、それまでの残り秒数を画面に定期的に表示するという、いまとなっては実に懐かしい人気コーナーである。後に札幌の短期大学に進学し、すすきのの夜の店でアルバイトをすることになる一人の女子が「ティッシュターイム」と陽気に言いながらティッシュを上空に舞い散らしたりしていた。
このヒットを受けて、アメリカでも大勢の人気アーティストが参加したチャリティーシングルがつくられ、やはり大ヒットするのだが、これがUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」である。実に様々な人気アーティストが参加していたのだが、後にカラオケで歌う時に盛り上がるのは断然、ブルース・スプリングスティーンとシンディ・ローパーのパートである。このビデオは西武百貨店池袋本店のエスカレーター付近に設置されていた大型ビジョンのようなものでよく流れていて、日曜日に見ていたことが思い出される。
それはそうとして、当日である。「スタイル・カウンシルさん」ですというような逸見政孝アナウンサーの丁寧な紹介に続いて、よく晴れた日のウェンブリー・アリーナの様子が画面に映った。客は大勢入っているようだった。ザ・スタイル・カウンシルは大好きだったので、そのライブの様子が見られるのはとてもうれしいことであった。
「ライヴエイド」のDVDが開催から29年後の2004年後に発売されて、私もそれを買って見たので、この後にブームタウン・ラッツ、アダム・アント、ウルトラヴォックス、スパンダー・バレエなどがライブを行ったことは知っているのだが、当時、テレビで見たかどうかは定かではないし、日本のテレビでも同じように放送されていたかもよく分からない(ウルトラヴォックスといえば海外では「ヴィエナ」が代表曲だと思うが、日本ではテレビCMに使われた「ニュー・ヨーロピアンズ」がまあまあ有名だった)。
その後、エルヴィス・コステロがギター弾き語りのような感じでビートルズ「愛こそすべて」をカバーするのだが、これでウェンブリー・アリーナの聴衆が大いに盛り上がっていたのも、リアルタイムなのかDVDを見てからの記憶なのかはっきりしていない。一大イベントに参加する気分で、テレビを見てはいたのだが。
東京は蒸し暑く、カラムーチョというお菓子の存在を初めて知った。この前の年に湖池屋から新発売されていたようなのだが、実家に住んでいた頃にはその存在をまだ知らなかった。ペヤングソースやきそばや日清チキンラーメンも、東京で暮らしはじめてから初めて食べたはずである。カップ焼そばといえば、北海道では当時からマルちゃんやきそば弁当がかなりのシェアを占めていた。また、したっけラーメンというインスタントラーメンが大好きだったのだが、東京では売っていなくて実家から送ってもらっていた。
ウェンブリー・アリーナではニック・カーショウに続いてシャーデーのライブが行われていた。デビュー・アルバム「ダイヤモンド・ライフ」は前の年にイギリスでヒットし、日本でも流行に敏感な人達に大いに受けていたのだが、この頃にはアメリカでも売れていて、FENで「スムース・オペレーター」がよく流れていた記憶がある。
その後、スティング、そしてフィル・コリンズが登場し、ポリスの大ヒット曲「見つめていたい」をデュエットしたりもした。ハワード・ジョーンズ、ブライアン・フェリーに続き、ポール・ヤングだったが、この時にバンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」も歌う。
ウェンブリーでスパンダー・バレエが演奏している辺りからフィラデルフィアでもライブははじまっていて、バーナード・ワトソン、ジョーン・バエズ、フーターズ、フォー・トップス、ビリー・オーシャン、ブラック・サバス、RUN-DMC、リック・スプリングスティーン、REOスピードワゴン、クロスビー、スティルス&ナッシュ、ジューダス・プリーストが出演していた。
当時のタイムテーブルを見るとここからはウェンブリーとフィラデルフィアの会場で交互にわりと大物的なアーティストが出演しているため、テレビでもその通りに中継されたのではないかというような気がする。
フィラデルフィアでは前の年にリリースしたアルバム「レックレス」が売れていたブライアン・アダムスで、この季節にぴったりな「想い出のサマー」なども歌っている。続いてウェンブリーではU2である。この頃、すでに人気バンドではあったのだが、アメリカではまだそれほどビッグなブレイクというわけでもなかった。しかし、おそらく多くの人々が見ていたであろうこの「ライヴエイド」のステージでは大きな爪痕を残したのではないかと思え、特にボーカルのボーノは曲の途中で客席に下りるなど、カリスマ的ともいえるパフォーマンスを披露した。
続いてフィラデルフィアではビーチ・ボーイズだが、この年にアルバム「ビーチ・ボーイズ」をリリースしていたものの、懐かしのメロディーを安全に演奏をして和やかな印象があった。この時、たとえば日本でサザンオールスターズなどは将来的にこのような位置づけのバンドになるのだろうか、などと感じたりしていた。ウェンブリーではダイアー・ストレイツ、この年は「マネー・フォー・ナッシング」が大ヒットしたが、この曲ももちろんやっていたようだ。見ていたはずなのだが、あまり記憶にはない。それからフィラデルフィアでジョージ・ソログッドに続いて、ウェンブリーではクイーンが演奏していたようだ。今日、インターネットで「ライヴエイド」のことを調べようとすると、クイーンのステージについての記事などがやたらと表示される。それぐらい印象的かつ伝説的だったということなのだろうか。
ここで、デヴィッド・ボウイとミック・ジャガーでデュエットしたマーサ&ザ・ヴァンデラス「ダンシング・イン・ザ・ストリート」のビデオが流れたようだ。次にフィラデルフィアでシンプル・マインズだが、この頃は「ドント・ユー?」が全米シングル・チャートで1位になるなど、絶好調の時期だったのではないだろうか。そして、ウェンブリーでデイヴィッド・ボウイ、フィラデルフィアでプリテンダーズ、ウェンブリーでザ・フー、フィラデルフィアでサンタナと大物が続く。ウェンブリーにエルトン・ジョンが出演(ワム!やキキ・ディーがゲスト参加)している間、フィラデルフィアでは一時的にアシュフォード、シンプソン&ペンダーグラスが出ていたらしく、その後はクール&ザ・ギャングと資料ではなっている。そして、マドンナだが、登場時に嫌みっぽい紹介をされたりしている。バックステージでかなり態度が悪かったらしく、それが原因らしいのだが、本格的にブレイクしはじめた頃の記録として、なかなか味わい深いものがある。
ウェンブリーではポール・マッカートニーがビートルズ時代の「レット・イット・ビー」を歌い、それからいろいろな人達が出てきて、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」を歌って大団円となった。最初のソロパートを当初の構想だったというデイヴィッド・ボウイが歌い、レコードでここを歌っていたポール・ヤングの姿は見られなかったらしい。ソロのステージで「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」を歌ったのは、大団円で歌えなかったことになっていたかもしれない。というか、おそらくそうなのではないだろうか。
この時点でウェンブリーは22時ぐらいだったらしく、ここで終了、以降はフィラデルフィアからの中継が続いたようだ。ちなみに日本は午前6時ぐらいのはずなのだが、私がまだ起きて見ていたかどうかはまったく覚えていない。根性というようなものの欠片もないため、よほど面白いと思っていなければ起きてはいないと思われ、それほど面白がっていたわけでもない、正味の話。ただなんとなくお祭り気分のようなものを味わいたかっただけであり、この軽さと薄さと浅さは大切にしていきたい。
さて、フィラデルフィアではトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが登場していたらしく、この場面をリアルタイムで見た記憶はまったくないのだが、「アメリカン・ガール」はとても良い曲なので、後から自分で見るためにも貼っておきたい。
そして、ケニー・ロギンスが「フットルース」を歌い、カーズに続いてニール・ヤングである。この頃、日本は朝の7時ぐらいだろうか。起きて見ていたかどうかは定かではないし、当時、ニール・ヤングの良さなどはまだ分からなかったのではないかと思われる。そして、ロバート・パーマーとデュラン・デュランのメンバーなどがやっていたパワー・ステーション、さらにはトンプソン・ツインズにエリック・クラプトン、フィル・コリンズと続いていく。フィル・コリンズはウェンブリーのステージにも登場していたのだが、飛行機で移動してフィラデルフィアの方にも出演したことで話題になっていた。
次がレッド・ツェッペリンでで再結成が話題になっていたのだが、ハード・ロックだと思っていたのと、パンクやニュー・ウェイヴが好きという設定で暮らしていたので、ハード・ロックやヘヴィー・メタルが好きでいてはいけないのではないか、などというよく分からない心の狭さがあり、それほど注目していなかったしろくに見てもいなかったと思う。レッド・ツェッペリンといえば「ロッキング・オン」の渋谷陽一が大好きなバンドとして認知していて、私にとって渋谷陽一というのは音楽業界で最も素晴らしい人物という認識なのだが、それでもろくに見ていなかったことは悔やまれるような気もする。
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、デュラン・デュランと続き、パティ・ラベル、その次のダリル・ホール&ジョン・オーツは元テンプテーションズのメンバーとのコラボレーションで、ソウル・レヴュー的な内容のステージでもあったような気がする。この辺りになると、もう確実に見ていた記憶がある。そして、ミック・ジャガーだがこの年は初のソロ・アルバム「シーズ・ザ・ボス」をリリースして賛否両論を巻き起こしているところだった。ゲストとしてティナ・ターナーも登場し、エンターテインメントという感じであった。それからボブ・ディランであり、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドをゲストに迎えての演奏もあった。最後はライオネル・リッチーなども出てきて、「ウィ・アー・ザ・ワールド」でエンディングである。マイクの奪い合いのような場面もあったようである。
この時点で日本時間では日曜の正午ぐらいで、その後、テレビを消して池袋あたりに遊びに行ったのではないだろうか。遊ぶといっても西武百貨店のディスクポートやPARCOのオンステージヤマノやパルコブックセンターなどに行くぐらいだが。
「ライヴエイド」の映像は数年前からYouTubeに公式的に結構アップロードされていて、DVDボックスを中古で買わずともわりと合法的に無料で楽しめるようになっている。しかし、レッド・ツェッペリンの映像は上がっていないようだ。
たとえば眠い目をこすってテレビを見続けていたとかそういう類いの思い出話はあるのかもしれないが、それ以上の感動的なエピソードというようなものが、少なくとも日本の音楽ファンにとっては「ライヴエイド」についてはそれほど無いように思えるのだが、実際のところはどうなのだろう。個人的にはその空虚さのようなものがいかにも80年代らしくて好ましく思えるし、それがある意味において豊かさでもあったのかもしれないな、とも感じたりする。
マイナーでアンダーグラウンドな要素がほとんど感じられず、たとえばこれをリアルタイムで見ていたところで、スノビッシュでいけすかないマウンティングを取ることには一切つながらない。これが実に健全で、個人的にひじょうに好ましく思える。そういった意味で、実は「ライヴエイド」というコンテンツが自覚しているよりもかなり好きなのではないか、と感じたりもする。
