1981年の邦楽ソング・ベスト50(10-1) | …

i am so disapointed.

10. ガラスのジェネレーション/佐野元春

 

「つまらない大人にはなりたくない」というフレーズが印象的なティーンエイジアンセム。きらびやかな街の景色とセンチメンタルな心象風景とが重なり合った、素晴らしいポップソングである。

 

 

9. 守ってあげたい/松任谷由実

 

キャッチコピーは「才能のきらめきは不思議世代を惑わすか」で、新世代のファンに向けた楽曲のようにも思える。オリコンシングルランキングでは週間最高2位、年間10位のヒットを記録した。

 

 

8. 春咲小紅/矢野顕子

 

YMOのツアーに参加していたことで新しい世代にも知名度を上げていた矢野顕子によるカネボウ化粧品キャンペーンソングで、オリコン週間シングルランキングで最高5位のヒットを記録した。作詞は糸井重里で編曲がYMOと、雑誌「ビックリハウス」あたりを読んでいそうなサブカル少年少女達が大喜びしそうな曲がメインストリームでしっかり売れていた。

 

 

7. A面で恋をして/ナイアガラ・トライアングル

 

大滝詠一、佐野元春、杉真理によるナイアガラ・トライアングルが歌った資生堂のCMソングだったが、CMそのものは諸事情により1週間ぐらいしか流れなかった。それでもオリコン週間シングルランキングで最高14位のヒットを記録した。

 

 

6. ルビーの指環/寺尾聰

 

この年、最も売れたシングルがこの曲で、収録アルバム「リフレクションズ」も2位の大滝詠一「A LONG VACATION」に大差をつけて、ぶっちぎりの年間1位。都会的なサウンドと大人びたムードが、なぜか世間一般的にも大いに受けていた。

 

 

5. ハイスクールララバイ/イモ欽トリオ

 

テクノブームはかなり落ち着いていた、というかほとんど終わっていたものの、その影響は日本のポップ・ミュージックに変革をもたらしたということもできる。萩本欽一の冠番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から誕生したイモ欽トリオのデビュー曲はいわゆる企画ものではあるのだが、細野晴臣が作曲・編曲したハイクオリティーなテクノポップのパロディーで、後にテクノ歌謡とも呼ばれるものであった。
 

 

 

4. 街角トワイライト/シャネルズ

 

「ランナウェイ」で衝撃のデビューを果たすものの、一部メンバーの不祥事によって謹慎していたシャネルズの復帰シングル。ドゥーワップやオールディーズから影響を受けた音楽性が時代の気分ともマッチして、オリコンシングルランキングで週間1位、年間7位の大ヒットを記録した。

 

 

3. 風立ちぬ/松田聖子

 

「A LONG VACATION」の大ヒットでノリにノッていた大滝詠一が、デビュー2年目にしてトップアイドルとなった松田聖子に提供した曲。デビュー当時の伸びのあるボーカルは至宝だが、この頃の表現力のニュアンスが格段に増している感じもたまらなく良い。この曲を収録した同タイトルアルバムの約半分は、裏「A LONG VACATION」ともいえるような内容になっている。

 

 

2. SOMEDAY/佐野元春

 

フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドの手法を取り入れたエヴァーグリーン・ポップ。サウンドのスタイルだけではなく、ティーンエイジャーの心の痛みという精神性まで影響を受けている。当時はオリコン週間シングルランキングにランクインすらしていないが、佐野元春の初期の代表曲であるだけでなく、日本のポップ・ミュージック史に残るクラシックだともいえる。

 


1. 君は天然色/大滝詠一

 

この時点で大滝詠一にはすでに日本のポップ・ミュージック界における輝かしいキャリアがあった訳だが、当時の中高生の多くはそんなことも知らず、なんだか心地よくて爽やかなポップスとして、ラジオから流れるこの曲を受け止めていたように思える。後に実はひじょうにマニアックなこともやっていたポップスの金字塔的な作品であることも知るのだが、それ以前に旬の音楽としての強度がすさまじかったことがとても良く、そんなふうにしてこの曲に出会えたことはとてもしあわせなことだったのかもしれない、と感じたりもする。