1989年の春、柴崎に引っ越して来た頃の思い出について。 | …

i am so disapointed.

通っていた大学のキャンパスが進級に伴って本厚木から渋谷に変わる予定だったので、これを機に引っ越しをしようと思い立ったのが1989年、つまり平成元年の初めぐらいだった。スーパー三和で買ってきた何かしらを食べながら、引っ越しの準備をしていた。ソニーの防水機能のある黄色いラジオを引っ越したばかりの頃に買っていたので、ライティングデスクの上にそれを置き、何らかのラジオ番組を流していた。中山美穂の新曲「ROSÉCOLOR」がとても良いなと思っていた他に、チェッカーズの鶴久政治がリリースしたシングル「貴女次第」もわりと気に入っていた。「オールナイトニッポン」で木曜2部を担当しているシンガー・ソングライターの片桐麻美は旭川出身なので、秘かに応援をしている。

 

引っ越し先のワンルームマンションは、新築だということであった。フジテレビのトレンディードラマ「君が嘘をついた」で三上博史が演じる日高涼が住んでいるという設定になっていたので、笹塚が良いのではないかと思っていたのだが、不動産屋を回っていると、どうも家賃が思っていたよりも高そうである。それで、現実的なところで薦められるがままに任せていると、いつの間にか柴崎とかいうところのワンルームマンションに決まっていた。東京都ではあるものの、まったく聞いたこともないようなところである。笹塚と同じ京王線ではあるが、わりと遠くまで行かなければならない。それまで住んでいたのが小田急相模原で、さらにその前が上京して初めて暮らした都営三田線の千石だったので、京王線そのものにまったく馴染みがない。この頃にはまさかその後、30年も京王線沿線に住み続けることになるとはまったく考えてもいなかったのである。

 

それはそうとして、引っ越しの準備は滞りなく終えたのだが、新しく住むはずのマンションの完成が遅れているという。それで、荷物は倉庫に預けたままで、確か10日から2週間ぐらいだったと思うのだが、ホテル暮らしをすることになった。もちろんお金は出してもらっている。小説家などがホテルに缶詰めになって原稿を書くという話をよく聞いていたので、これはなかなか良いものだと思い、原稿用紙にシャープペンシルで小説を書いたりもしてみたのだが、ホテルの部屋で書くだけで内容が良くなるはずもなく、もちろんまったくものにならなかった。近くに紀伊國屋書店があったので、ジョン・アーヴィングの翻訳本などを買ってきて読んでいた記憶がある。あと、土曜日の夜にはこの年からはじまった「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」を備えつけのテレビで見て、FLYING KIDSはカッコいいなと思ったりしていた。

 

千石で暮らしていた頃は巣鴨駅からも近く、池袋まで2駅だった。それで、レコードや本を買いに行く時には、池袋のパルコや西武百貨店に行くことが多かった。レコード店でいえば西武百貨店にはディスクポート、パルコにはオンステージヤマノがあった。もっと手軽に買えるものの場合は、巣鴨駅の近くにあったDISC510こと後藤楽器店や西友の2階のおそらく新星堂などで買った。しかし、おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」のシングルは近所で買うのが恥ずかしくて、板橋駅前の街のレコード屋さんという風情の店にまでわざわざ行って買っていた。そして、わりと気合いを入れてレコードを見たり買ったりしたい場合には、六本木WAVEまで足を運び、帰りには青山ブックセンターにも寄っていた。という訳なので、渋谷や新宿にはそれほど行かなかったのである。タワーレコードは実は日本国内での1号店である札幌の店に高校に入学する前から行っていたこともあり、それほど目新しさを感じていなかったこともあるのだが、当時はタワーレコードのポップな感じよりもWAVEのポストモダンな雰囲気の方がなんとなくカッコいいというような気分もあった。

 

小田急相模原から柴崎に引っ越すと都心が近くなるし、通学定期も渋谷までなので、宇田川町の東急ハンズの近くにあった頃のタワーレコードにもよく行くようになった。ビルの1階がジーンズメイトで、2階がタワーレコードであった。後に3階にも拡張するのだが、この頃はどうだったかよく覚えていない。輸入盤のCDは万引き防止の目的からだろうか、縦長の紙の箱に収められていた。この頃、R.E.M.「グリーン」、エディー・ブリッケル&ニュー・ボヘミアンズ「星に輪ゴムを」、エルヴィス・コステロ「スパイク」、XTC「オレンジズ&レモンズ」、ファイン・ヤング・カニバルズ「ザ・ロウ&ザ・クックド」などを買ったはずである。

 

駅前に新座書房という小さな書店があり、その隣が八百屋であった。なかなか開かない踏み切りを渡り、甲州街道を越えてさらに歩いて行ったところを右折して少し行ったところに新築のワンルームマンションはあった。裏側には小さな公園もあったはずである。すぐ近くにローソン調布柴崎店があったので、買い物に便利でなかなか良かった。柴崎スーパーというのもあったのだが、ここにはほとんど行った記憶がない。という訳で、スーパーよりもコンビニに依存する生活となっていく。そして、何かアルバイトをしなければいけないなと思っていたのだが、面接に行くとすんなり受かったので、このローソン調布柴崎店で働くことになった。当初はいろいろな時間帯のシフトに入っていたのだが、深夜の方が暇で時給も高く、1人のことがわりと多かったのでこれは自由でなかなか良いと思い、ほとんどそこばかり入っていた。店内放送はいまでは見かけなくなった8トラックと呼ばれるものによく似た記憶媒体を用いていて、ほぼ同じ曲ばかり数十分おきに聴かされることになった。レモンエンジェル(絵本美希、島えりか、桜井智)の「夏のMAJO」という曲のことはよく覚えていて、なんだかおたくっぽくて嫌だなと思っていたのだが、あまりにも聴きすぎて駅の階段を上がっている時などに脳内で無意識に再生されているのには困ったものだ。

 

また、松任谷由実「ANNIVERSARY~無限にCALLING YOU」もよくかかっていたのだが、これが梅雨の時期で日曜の午前中に一緒に入っていた女子高生が、暇な時にこの曲を聴いていると気持ちが暗くなるというようなことを言っていたのをなぜかよく覚えている。明け方近くになると、近所の富士フィルムのアルバイトの人達が休憩なのか何なのか急に押し寄せてきて、一瞬少しだけ混むというような現象も見られた。当時、高校野球に出場して甲子園まで行った男子が近所に住んでいて、ドラフトで指名された時には母親が全種類のスポーツ新聞をエキサイトしながら買って行ったりしていた。近所の理髪店の寮に住んでいる若者達ともなぜか無駄に仲よくなり、遊びに行ったりもしていたのだが、部屋のテレビでBOØWYのライブレーザーディスクをかけ、「モラル」という曲の「人の不幸は大好きサ」というような歌詞が好きだとかそういうことを言っていた。私には当時、BOØWYの音楽というのがロックというよりは西城秀樹などと同じタイプのようにしか聴こえなかったため、もう新しいロックを追い続けるには年を取り過ぎてしまったのかもしれない、というようなことをうっすらと感じていた。

 

柴崎にCDショップは無かったのだが、駅の近くの写真店の2階か何かでCDを扱ってはいた記憶がある。ここで確かパール兄弟の「色以下」を買っているので、意外と細かいタイトルも仕入れていたのだな、と感じたりはする。佐野元春の「ナポレオンフィッシュ」もこの年に出て、気に入って聴いていたのだが、日曜の昼に渋谷陽一が企画するテレビ番組を放送していたと思う。泉谷しげるが外を歩きながら、「愛してる~昼間から~」などと歌って、「昼間からやってるんじゃないよ」などと言ったりもしていた。あと、ザ・プライベーツの延原達治が自分のことを泉谷しげるの子分のように思っている人がいるようだが違うということを笑いながら主張していた。

 

その頃、新生活を感じさせるとても良い感じのカップ焼そばのCMがよくテレビで放送されていた。それを私は当時、好きでよく買って食べていた日清シーフード焼そばのものだと思っていたのだが、数年前に検証活動をしている中で、エースコック大盛りいか焼そばのものだったということが判明した。使われている「今日を生きよう」という曲もカッコよくてとても良かった。