加納エミリ「朝になれ」について。 | …

i am so disapointed.

加納エミリの「朝になれ」が7インチ・シングルでリリースされたので、仕事の帰りに渋谷のタワーレコードで買って帰ってきた。この曲はやはりとても良いな、と改めて思ったのであった。

 

約1年ぐらい前のことだろうか、デビュー・アルバム「GREENPOP」がもうじきリリースされるタイミング辺りだったと思うのだが、Twitterのタイムラインで加納エミリの名前をよく見かけた。それまでまったく聴いたことがなかったのだが、どうやらエレポップのような音楽をやっているようだった。

 

Apple Musicで配信されていた「Just a feeling」という曲を興味本位で聴いてみたのだが、これはかなり良いのではないかという気分になった。エレポップというと、私が旭川で中学生だった頃ぐらいに流行っていて、ヒューマン・リーグだとかソフト・セルだとかをリアルタイムのヒット・ソングとしてよく聴いたものである。たとえばシティ・ポップやAORなどでもそうなのだが、こういうのを取り入れたアイドル・ポップスというのがよくあって、個人的に好きなものもあればそれほどでもないものもある。

 

大抵の場合は大人の人たちが曲やトラックをつくっていて、それを10代や20代の女性アイドルやアーティストが歌っているのだが、基本的に好きなタイプの音楽だったとしても、あるレベルを超えると音楽マニアの腐臭のようなものを感じ取ってしまい、たちまち興醒めというケースも少なくはない。これは完全に個人的な趣味嗜好の問題であり、その音楽の優劣をあらわすものでは当然ない。一方的に私が悪い。本当に申し訳ない。

 

それはそうとして、この時に聴いた「Just a feeling」にはそれとは真逆というか、確かにエレポップの影響を強く受けたような音楽ではあるのだが、感覚が完全に新しいというか、これはとても良いな、とそのようなことを感じたのであった。そして、事情通のフォロワーさんからこのアーティストは作詞・作曲だけではなくて、トラックメイキングも自分自身でやっているのだということを教えていただき、驚くと同時に、ああなるほどとも思ったのであった。そして、アルバム「GREENPOP」もとても良かった。

 

ところが、これを80年代の洋楽からのオマージュだとかそういう側面からしか取り上げていない批評なども見かけたりして、これは何一つ分かってはいないのではないだろうか、などと相模原市内の書店で憤ったりもしていたのだった。

 

2月に会社の行事が夕方までで終わって、夜が暇になった平日があり、適当にTwitterのタイムラインを見ていたところ、本人が来るかどうか分からないけれど、加納エミリの誕生日を祝うDJパーティーが武蔵小山という一度も行ったことがない駅の近くであることを知り、気まぐれで行ってみることにした。それまでTwitter上でしか交流がなかったフォロワーさんと初めてリアルで会えたりもして、とても楽しかった。そして、加納エミリ本人も来ていて、最後にはライブもあったりで超お得だったのだが、曲がとても良い上に独特の振り付けなどもあって、これはかなり良いな、とまた思ったのであった。

 

その後、いわゆるコロナ禍の季節に突入し、これがいまのところ、私が最後に行った音楽イベント的なものになっている。

 

数ヶ月前、始発で出勤して仕事をしたりということをやっていたのだが、それと同時に、歴代で個人的に好きな曲とアルバムのベスト100を決めてしまおうということも、このブログでやっていた。それの曲の方をカウントダウンしている最中に加納エミリの「朝になれ」が配信されて、ルーティン的な新作チェックの流れで聴いていた。いや、これを入れないわけにはいかないだろうというぐらいに良くて、結果的に歴代4位にランクインさせることになった。まったく、思い出をアップデートし過ぎなのである。

 

「GREENPOP」の時のエレポップから音楽性はやや変わったように思えるのだが、やはりその解釈がまったく新しく、ノスタルジックだとはまったく思わなかった。ジャンルとしてけして80年代のソウル/R&Bではないのだが、その影響は感じられた。しかし、解釈はまったく新しい。そして、これは「Just a feeling」を初めて聴いた時にまず感じたことなのだが、ボーカルがとても魅力的である。

 

表面的にはクールでドライなのだが、その一方で絶妙なウェットさがあるというか、これがたまらなく良いな、とずっと思っている。そして、実際にはダメすぎて絶望的ともいえるような状況を歌っているようなこの曲においては、これがさらに効いてくる。

 

また、おそらくレンタルビデオ、巻き戻すという歌詞の表現からDVDでもBlu-rayでもなくビデオで、しかも適当に借りたフランス映画ということで、意図的に懐かしさが導入されているようにも思えるのだが、これもノスタルジックというよりはオーセンティックに感じられる。

 

個人的なことを表現しているのだが、それが時代の気分を象徴してしまってもいるというのが優れたポップスの一例だというような気がするのだが、この「朝になれ」にもそういったところがあるように思え、言わずと知れたいわゆるコロナ禍である。

 

たとえば、米津玄師「カナリヤ」、BTS「ライフ・ゴーズ・オン」、RYUTist「春にゆびきり」といった優れたポップ・ソングにもやはりそれを感じるのだが、個人的に「朝になれ」は特にストンときて、2020年の生活のサウンドトラックというか、心のベスト10、第一位はこんな曲だった、という気分でいっぱいなのである。

 

音楽を単純に情報として処理をしているだけのような時もあり、これはいかんと思ったりもするのだが、もちろんたとえば中学生の頃などになけなしの小遣いで渾身の一枚を選んで買って、何度も繰り返し聴き続けた時のようなテンションで好きになれる曲に出会うこともいまだにある。私にとって「朝になれ」はそのような曲のうちの一曲であり、7インチ・シングルを手に入れることによって、あの頃のようにターンテーブルの上でぐるぐる回りながら、針が読み取った音を聴くのに相応しいといえるだろう。

 

B面には「Because Of You (2020 MIX)」という曲が収録されていて、これはエレポップというか個人的にはテクノポップという印象を受ける、とても素敵な曲だと感じた。