EPOの初期で好きな曲ベスト10。 | …

i am so disappointed.

EPOがRCA/RVCからレコードをリリースしていた頃、つまりデビューしてから約5年間のアルバム、計6作品がSpotify、Apple Musicといったストリーミングサービスで聴けるようになった。これと同時に、海外での配信も始まったということである。

 

という訳で、個人的に好きな10曲を選んで、カウントダウンしながら余談などもまじえていきたい。

 

10. Girl In Me

 

1982年5月21日にシングルがリリースされ、アルバム「う・わ・さ・に・な・り・た・い」にも収録された。ブラック・コンテンポラリーのレイ・パーカーJr.がマキシン・ナイチンゲールに書いた曲のカバーで、演奏を本物のバックバンド、レイディオがやっていてノリノリである。シティ・ソウル感が出ていて、いまどきのトレンドとも親和性が高そうである。

 

 

9. くちびるヌード・咲かせます

 

高見知佳に書き下ろした化粧品のCMタイアップ曲のセルフカバーで、1984年3月5日発売のシングル「恋はハイ・タッチ-ハイ・テック」のカップリング曲でもあった。この頃になるとサウンドにエレクトロニックな要素がわりと入ってきているうえに、オリエンタルなムードも漂い、ポップでありながらユニークな楽曲になっている。

 

 

8. こぬか雨

 

伊藤銀次のシティ・ポップ名盤「デッドリィ・ドライブ」にも収録されていた、シュガー・ベイブのレコーディングされなかったレパートリー(ライブ音源は後にリリースされた)のカバーである。スタジオ・ライブでレコーディングされたという、メロウ感がきわまった素晴らしいトラックである。

 

 

7. GOODIES

 

今回、ストリーミングサービスで聴けるようになった6作品の中で、トータル的に最も評価が高いのは1980年11月21日発売の「GOODIES」ではないかという気がする。シングル・カットされ、清涼飲料水のテレビCMにも使われていた「Park Ave. 1981」もキャッチーでとても良いのだが、ポップ・ミュージックとして聴きごたえが最もあるのは、アルバムのイントロ的に少しと最後にしっかりと収録された、このタイトルトラックではないだろうか。メロディー、アレンジ、そして、コーラスがとにかくたまらなく良い。

 

 

6. 真夜中にベルが2度鳴って

 

EPOはTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」、そして、それが終わるとライバル局であるニッポン放送「オールナイトニッポン」のジングルなども担当していた。1981年9月21日にリリースされたアルバム「JOEPO~1981KHz」は、そんなEPOの得意分野を生かし、架空のラジオ局をコンセプトとした、いわば企画盤である。この曲は山下達郎が自身のアルバム「MOONGLOW」のために書いたがアウトテイクになったものだが、EPOのボーカルを得ることによって、素晴らしいシティ・ポップとして甦っている。この曲もコーラスがとても良い(EPOはデビュー前の時点で竹内まりやのヒット曲「SEPTEMBER」のコーラスアレンジを担当し、それを山下達郎が絶賛していたらしい)。

 

 

5. う、ふ、ふ、ふ、

 

1983年2月5日にシングルとしてリリースされた、資生堂化粧品のキャンペーンソングで、オリコン週間シングルランキングで最高7位のヒットを記録した。ポップでキャッチーなこの曲はEPOの健康的なイメージにも合っていて、シグネチャー的な1曲ともなったのだが、ゆえにその呪縛に苦しむようなこともあったのだという。とはいえ、春を感じさせるポップスとしての強度は色褪せていなく、その魅力には抗うことができないものがある。

 

 

4. 無言のジェラシー

 

都会的な大人のラヴ・ソングで、タイトルにあるようにジェラシーについて歌われているのだが、テーマとなっているのは不倫の関係である可能性がひじょうに高いように思える。そういった意味でも、いま聴いてなおさら味わい深いともいえる。「VITAMIN E・P・O」などという、その健康的なイメージにぴったりのタイトルを持つアルバムにこのような曲が入っているところが、EPOというアーティストの奥深さでもある。

 

 

3. うわさになりたい

 

1982年5月21日にリリースされたアルバム「う・わ・さ・に・な・り・た・い」のタイトルトラックだが、表記は少しだけ違っている。「ふたりは夕べ 抜け駆けしたと この胸をくすぐるような うわさになりたい」とは、なんとも恋の楽しさを的確に表現した歌詞である。しかし、この曲の肝は、「誰かがあなたに そう告げ口するまで 昔の私を隠していたい」「愛を守るため つくろう偽りは ウソにはならないと言って」というところであろう。清濁あわせのむではないが、そこに大人の余裕を感じたものである。

 

 

2. 土曜の夜はパラダイス

 

1982年10月10日にリリースされたシングルで、これのB面にも「うわさになりたい」は収録されていた。「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマにもなっていて、土曜日の21時少し前には、テレビから流れるこの曲を聴いていた。旭川の高校生であった私はその後、本や雑誌を読んだり、ラジオやレコードを聴いたりしていたわけなのだが、都会の若者たちはそれからこの曲の歌詞にあるような、土曜の夜の街に繰り出していくのだろうな、と想像していた。シティ・ポップとは都会や大人への憧れや背伸び感覚で聴くものでもあったわけだが、この曲は当時の私にとってまさにそのようなものとして機能していた。

 

 

1. DOWN TOWN

 

山下達郎や大貫妙子が在籍していた伝説のバンド、シュガー・ベイブのカバー曲だが、発売された1980年3月21日当時、旭川の中学生だった私はそんなものを知りはしなかった。「RIDE ON TIME」がヒットする前なので、山下達郎のことすら知らなかった可能性がある。しかし、EPOの「DOWN TOWN」はラジオでよくかかっていた印象があり、わりと気に入っていた。当時、80年代がはじまったばかりで、性格が明るいのが良くて、暗いのはダメという風潮があり、特に中学生ともなればその辺りに必要以上に敏感であった。性格が暗いと思われること、そう見られることに、ひじょうにおびえていた。それで、見たこともない架空の街が想像できるこの曲のことを快く思ってはいたものの、「暗い気持ちさえ すぐに晴れて」という歌詞の、特に「暗い」のところにはかなりビクビクしていた。それぐらい印象に残っているにもかかわらず、この曲は当時、それほどヒットしてはいなかったようだ。

 

「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに使われたのは、リリースから1年以上が経った後で、それから番組のジングルや「タケちゃんマン」のテーマソングまで、EPOが歌うようになっていった。いまや、おそらくシュガー・ベイブのオリジナルの方を聴いた回数の方がずっと多いと思うのだが、リアルタイムでのわくわく感、それは明日は日曜で学校が休みだということだったり、大人になって都会に行けば、もっと楽しいことがいろいろと待ち受けているのかもしれない、というようなものだったりを思い出させてくれるのは、このEPOのバージョンの方である。