日本のポップ・ソング・ベスト100(100位ー81位) | …

i am so disappointed.

客観と主観とをトムとジェリーのようになかよくけんかさせながら、何度もやりかけては挫折を繰り返してきたこの企画が、とりあえず出来たので勝手に発表していきたい。客観と主観とをどうするのかというのが最大の問題で、この辺りは自分なりに丁度いい感じに調節したのだが、別な時と状況でやれば、まったく違った内容になっていることは大いにある。個人的には大好きなのに入っていないものもあれば、たいして好きでもないのだけれども、これは入れておくべきだろういうことで入っているものもある。当然、これは入っていて然るべきだが、どうしても入れることができなかったものや、これは入っていなくてもいいのかもしれないが、これを入れなければやる意味がない、というようなものも入っていたりする。要はかなり適当にやったやつを、何回かに分けて発表していきたい。それぞれの曲に付けられたコメントも、主観的だったり客観的だったり、まあ適当(になる予定)である。では、はじめ。

 

100. There will be love there -愛のある場所-/the brilliant green

 

the brilliant greenが1998年にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。元々、洋楽的なテイストの音楽をやっていて歌詞も英語だったのだが、テレビドラマ「ラブ・アゲイン」の主題歌ということで、初めて日本語詞でリリースした楽曲であった。歌詞はボーカルの川瀬智子が大笑いしながら書いた、とどこかで読んだような気がする。個人的にはJ-POPのCDを扱う仕事に久しぶりに就いて、ヒットしている曲について把握しておかなければ、と思った最初の週のオリコン1位がこの曲だったという思い出がある。

 

 

99. 悲しみがとまらない/杏里

 

杏里が1983年のテレビアニメ主題歌「CAT'S EYE」の大ヒットに続いてリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。恋人に友達を奪われるという内容の歌詞は康珍化によるものだが、発案はプロデューサーの角松敏生だったという。作曲はシティ・ポップ的な楽曲を次々とヒット・チャートに送り込んだ功績がひじょうに大きい林哲司である。

 

 

98. 真夏の出来事/平山三紀

 

平山三紀の1971年のヒット曲で、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。リアルタイムでの記憶はほとんど無いが、80年代に廃盤ポップスブームのようなものがあり、この曲のレコードが当時、廃盤だったかどうかは定かではないが、そういった流れで知ったような気がする。まったくの余談だが、平山三紀の名前はワニの豆本から出ていた「谷村新司の天才・秀才・ばか」の本で、ばんばひろふみの妻(当時)として、まず最初に知ったような気がする。

 

 

97. 恋のダイヤル6700/フィンガー5

 

フィンガー5は子供の頃に大好きだった。まず、自分たちと同じ子供がテレビで歌を歌っているというのがすごいと思ったし、その曲もとてもカッコよかった。好きな人に勇気をふり絞って電話をかけるというこの曲は内容にも共感できたし、「ハロー、ダーリン」というフレーズを真似したりもした。1973年の年末にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。

 

 

96. 今宵の月のように/エレファントカシマシ

 

エレファントカシマシはソニーからデビューした当初の破天荒で文学的な感じがとても好きだった。特に「エレファントカシマシⅡ」はバブル景気の真っ只中、私が時代の風潮に覚えていた苛立ちを慰撫してくれた。「ロッキング・オンJAPAN」などでは猛プッシュされていたが、売れなかった。ポニーキャニオンに移籍後、より聴きやすい音楽性になり、ちゃんと売れた時には驚いたのと同時にとてもうれしかった。1997年にオリコン週間シングルランキングで最高8位を記録している。

 

 

95. チャンピオン/アリス

 

ニューミュージックがブームだったのは、小学校高学年から中学の初めぐらいまでだった。中でも男子にはアリスが特に人気があった。中学校のレコードコンサートという、視聴覚室で放送部の部員が生徒のリクエストに応えてレコードをかけるというイベントで、アリス派の男子と松山千春派の女子が言い争っていた。昨年、「M-1グランプリ2019」の決勝の前あたりにお笑いコンビのかまいたちが自らを鼓舞するためにこの曲をよく聴いていた(偶然、アリスと一緒に仕事をする機会があったという)らしいのだが、結果は初登場のミルクボーイに敗れて準優勝。後からこの曲はチャンピオンが若手に負けて引退するという内容だったことに気が付いた、というエピソードトークが素晴らしい。1978年の年末にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

 

 

94. 横浜いれぶん/木之内みどり

 

六本木WAVEで働いていた頃の良い思い出の1つとして、夫の竹中直人と一緒の木之内みどりを見たことが挙げられる。それはそうとして、「刑事犬カール」「野球狂の詩」などももちろん良いのだが、アイドルとして人気だったにもかかわらず、交際が発覚した後藤次利の元に逃避行の末、引退という真っ直ぐさに、とても爽やかなものを感じた。ボーカルになんともいえぬマイルドな色気があり、そこもまたたまらなく良い。1978年にオリコン週間シングルランキングで最高28位を記録した。

 

 

93. 雨の御堂筋/欧陽菲菲

 

2009年に大阪に行った時、難波から予約していたホテルがあった本町まで歩いていて、なるほどこれが御堂筋かなどと思っている間、頭の中ではこの曲が再生されていた。日本でとても人気があったザ・ベンチャーズがリリースした曲を欧陽菲菲がカバーしたもので、1971年にオリコン週間シングルランキングで9週連続1位を記録した。

 

 

92. 夏のクラクション/稲垣潤一

 

80年代当時、大滝詠一や山下達郎の音楽のことをシティ・ポップと呼んでいた記憶はそれほどなくて、どちらかというと稲垣潤一や山本達彦のような音楽に対して用いられていたような気もするのだが、言葉の意味というのは時代と共に変化していくものなので、それは便利だし全然良い。稲垣潤一は当初、テレビの歌番組でドラムを叩きながら歌っていたこともあり、それが印象的だったのだが、1983年にリリースされたこのシングルは、筒美京平という歌謡界のビッグな作曲家との組み合わせによって誕生した、素晴らしい夏の終わりのジャパニーズ・AORである。オリコン週間シングルランキングでの最高位は25位であった。

 

 

91. DA・YO・NE/EAST END + YURI

 

大衆音楽というレベルでは、日本で初めてヒットしたラップの曲ではないだろうか。YURIは乙女塾1期生にして、元東京パフォーマンスドールの市井由理である。1994年にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。日本各地の方言をタイトルにした派生曲がいくつもリリースされたり、「NHK紅白歌合戦」に出演するなど、ラップの大衆化に大きく貢献した。ジョージ・ベンソンの「ターン・ユア・ラヴ」がサンプリングされている。

 

 

90. タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカ・バンド

 

加藤和彦、高橋幸宏、高中正義などがメンバーだったことで知られるサディスティック・ミカ・バンドが1974年にリリースしたアルバム「黒船」は、日本のロック史を代表する名盤の1つとされてもいるが、その先行シングルとしてリリースされた曲である。当時、四畳半フォークが全盛だったはずの日本において、このグラム・ロック的なサウンドはどのようなポジションにあったのか気になるところである。

 

 

89. ラブ・ストーリーは週末に/WHY@DOLL

 

WHY@DOLL(ホワイドール)が2017年にリリースしたシングル「キミはSteady」に収録されていて、個人的には日本のポップスで最も好きな曲である。シティ・ポップやAORをアイドル・ポップに落とし込んだタイプの曲かと思いきや、泣きまくるサックスをはじめとするトゥーマッチ感覚、都会的でカッコいい曲とキュートなボーカルとの絶妙な組み合わせ、メンバー自身が書いた歌詞によって表現されるうっとりするような恋の気分など、実に素晴らしい。活動はすでに終了しているが、この先、いつ何時でも再評価されたり新しく発見されるべきユニットであり、楽曲である。

 

 

88. 危険なふたり/沢田研二

 

沢田研二が1973年にリリースし、ソロになってからは初めてオリコン週間シングルランキングで1位になった曲である。「勝手にしやがれ」「TOKIO」などでのスーパースターぶりや、EXOTICSを率いての芸能界のど真ん中でニュー・ウェイヴをやっていた感じも最高にカッコいいが、年上の女性に憧れて悶々とする青年像をうたったこの曲の若々しい色気もたまらない。

 

 

87. DEPARTURES/globe

 

小室哲哉が率いる音楽ユニット、globeが1996年の元旦にリリースし、オリコン週間シングルランキングで通算4週の1位を記録した。冬をテーマにしたラヴ・ソングだが、愛は永遠ではなく儚いものであるということが認識されているがゆえの悲しみと、その真実を受け止めていく力強さのようなものが感じられたりもする。90年代の半ばに日本の大衆音楽として広く支持されていたのは、「渋谷系」などではなくこのような音楽である。

 

 

86. UFO/ピンク・レディー

 

ピンク・レディーが1977年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで10週連続1位を記録、翌年には日本レコード大賞を受賞した大ヒット曲である。デビューはこの前の年であり、ミニスカートで歌い踊る姿をテレビで観て、これは大丈夫なのだろうかと子供心に思った記憶がある。それがあっという間に国民的グループになり、小学校でも女子は振り付けを真似し、男子はミー派かケイ派かで言い合いをしていた。この頃は「スター・ウォーズ」(日本公開は翌年だったが)や「宇宙戦艦ヤマト」もあり、なんとなくSF的なものが流行っていたような印象もある。「日清焼そばUFO」のCMでピンク・レディーはこの曲を歌っていたが、商品の販売開始はそれよりも前で、けしてピンク・レディーの人気に便乗したわけではない。縁日での容器を模して四角形が多かったカップ焼そばのパッケージだが、「日清焼そばUFO」は未確認飛行物体と同じ円形である。公式サイトでの説明によると、「うまい!太い!大きい!」を略して「UFO」とのことである。

 

 

85. 木綿のハンカチーフ/太田裕美

 

太田裕美が1975年にリリースしたアルバム「心が風邪をひいた日」からシングル・カットされ、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。松本隆による歌詞は、地方で暮らす主人公と都会に出て変わっていく恋人との文通の形式を取っている。個人的には都会でつつましく暮らすカップルを描いた「しあわせ未満」もかなり好きである。

 

 

84. お嫁においで/加山雄三

 

加山雄三が1966年にリリースしたシングルで、当時、ヒットしたはずだが、オリコン週間シングルランキングはまだ出来る前である。作曲者の弾厚作は加山雄三本人のペンネームである。大橋節夫の編曲、演奏によるハワイアンなムードが心地よい。2015年にはラッパーのPUNPEEのカバーで共演したことをきっかけにヒップホップにハマる。この年になっても新しい文化を受け入れるのがカッコいいと、若者にも好評である。

 

 

83. 砂の女/鈴木茂

 

はっぴいえんど、ティン・パン・アレーのメンバーでもあったギタリスト、鈴木茂が1975年にリリースしたソロ・アルバム「BAND WAGON」の収録曲。とにかくカッコいい歌とサウンドで、リアルタイムではおそらく聴いていないのだが、後にあの時代の日本にこんな音楽があったのかと驚かされたのであった。

 

 

 

82. ハイサイおじさん/喜納昌吉&チャンプルーズ

 

志村けんのギャグ「変なおじさん」の原曲(?)としても知られる、とても有名な沖縄のポップス。最初にレコードに収録されたのは1969年だということだが、全国的に有名になったのは1977年にリリースされたアルバム「喜納昌吉とチャンプルーズ」に収録されたバージョンである。当時、北海道にいてもラジオから流れるのを普通に聴くことができた。「ハイサイ」は「こんにちは」の意味で、この曲には実在のモデルがいたという。

 

 

81. STAY TUNE/Suchmos

 

Suchmosが2016年にリリースしたEP「LOVE&VICE」の収録曲である。日本のシティ・ポップが再評価されるだけではなく、若い世代にもシティ・ポップをやるバンドやアーティストが増えている、などと言われていた頃を象徴する楽曲である。しかし、それは70年代や80年代の形式をコピーしたものではなく、現在の若者としての感覚や方法でやっているようなのは完全に正しいと思った。歌詞に出てくる「〇〇してるやつ もうGood night」の派生をいろいろ考えるのが流行ったりもしていたような気がする。