RYUTist「ファルセット」について。 | …

i am so disapointed.

新潟を拠点として活動する4人組アイドル・グループ、RYUTistの4作目のアルバム「ファルセット」がついにリリースされた。元々は今年の5月5日の発売が予定されていたのだが、新型コロナウィルスの感染拡大にともなう緊急事態宣言に基づいて、発売が延期されていた。その結果、2017年8月1にリリースされた「柳町舞妓」以来、約2年11ヶ月半、つまりほぼ3年ぶりのアルバムとなった。

 

このアルバムが待望の新作であった理由は、単純に前作からの期間が長かったからというだけではなく、2018年5月15日にリリースされた「青空シグナル」以降のシングルや配信音源がことごとく素晴らしく、これらも収録されているであろうアルバムは一体、どんなものになるのだろうという期待があったからでもある。

 

そして、このアルバムを何度か繰り返し聴いた後、ミュージック・ビデオを見直し、インタヴュー記事を読み、昨年に出演したと思われるAbemaTVの矢口真里がMCを務める番組の動画まで観ていた。これだけ没頭する価値があるアルバムであり、仕事が休みの日のリリースで本当に良かったと思う。

 

私自身の音楽の趣味が散らかりがちなことによって、いろいろなタイプのアーティストや作品について、このブログでは扱っていて、読んでいる方もいろいろだと思う。RYUTistについて、当然のように知っている人もいれば、まったく知らないし、そもそもローカルアイドルの音楽などにはまったく興味がないという人もいるのではないかと思う。

 

しかし、この「ファルセット」というアルバムはあるベクトルにおいてひじょうに突出した作品で、それゆえに必要性を感じる音楽ファンも少なくないと思えるため、偏見を少しだけ横に置いて、いろいろな人たちにできるだけ聴いてもらいたいと強く思う。

 

アイドルポップスはいまやひじょうに細分化、多様化しているわけだが、RYUTistの音楽をどういったタイプとか、誰と似ているとか説明することはとても難しい。アイドル・ポップスにまったく興味がないが、他のジャンルのポップ・ミュージックが好きな人にハマりまくる可能性もあるが、アイドル・ポップスのファンだが、まったく響かないという可能性もある。そこはもう趣味や嗜好の世界であり、人それぞれではあるのだが、このベクトルの表現にふれるのが好きな人にとっては、現時点における最高レベルのクオリティーが実感でき、日常生活をより豊かにするに違いないと確信が持てるようなものである。

 

まずは、RYUTistは「りゅーてぃすと」と読み、新潟の呼び名の1つである「柳都」の「柳」と「アーティスト」の「ティスト」を合わせたものである。かつての新潟では、柳の下を通って座敷に向かう芸妓の姿がよく見られたことから、この呼び名が生まれたようである。

 

RYUTistは新潟の音楽専門学校が行ったオーディションの合格者5名によって、2011年に結成された。地元でのライヴやイヴェント参加、CM出演などが主な活動で、2012年のデビュー・シングル「RYUTist!~新しいHOME~」以降、CDも定期的にリリースしている。その後、2名のメンバーが卒業し、1名が新たに加入して、2016年4月18日以降は、佐藤乃々子、宇野友恵、五十嵐夢羽、横山実郁の4人組となっている。それぞれ、年齢、キャラクター、声質などが違っていて、それぞれに個性があるが、ユニゾンもひじょうに美しい。グループ全体としていえるのは、とにかく真面目ということである。方向性としても、良い音楽をつくって、それをパフォーマンスすることをストイックに追求しているイメージがある。

 

というようなことを書いている私だが、そもそもAKB48とその派生グループだとかモーニング娘。などのハロー!プロジェクト勢以外のアイドルなど、つい4年4ヶ月前まではまったく知らないし、興味すらなかった。2016年3月3日に、すでに結成してから12年以上が経過していた、やはり新潟を拠点とするアイドル・グループ、Negiccoの音楽をはじめて聴いて、そのあまりの良さに驚愕してから、いろいろ聴いてみるようになった。


Negiccoの音楽をはじめて聴いた翌々月の5月に、新潟の古町商店街で毎年行われているという、古町どんどんというお祭りに行った。毎回、Negiccoがフリー・ライヴをやっていて、かなり盛り上がると評判であった。それ以前に、Negiccoの影響で、それまでまったく興味がなかった新潟の街がかなり好きになっていた。

 

古町どんどんは地元の老若男女がやって来る商店街のお祭りであり、私もバスセンターのカレーとみかづきのイタリアンのコラボメニューを食べたりしながら、足を痛めていたなりに楽しんでいた。地元のお祭りではあるのだが、Negiccoのステージを観るためには県外からもたくさんのファンが訪れているようだった。ステージはローソンの前に組まれていた。ローソンといえば通常は青のイメージだが、ここは地元のフットボールクラブ、アルビレックス新潟のチームカラーであるオレンジを基調としているのが特徴である(この店は2018年の1月に閉店してしまった)。Negiccoのステージがはじまる時刻よりも少し早く着くと、すでに大勢の人たちがあつまっていて、かなり後ろの方から観るしかない状態であった。

 

ステージではRYUTistがパフォーマンスを行っていて、ファンがコールなど熱い応援をしていた。この時点ではまだ名前ぐらいか知らなかったのだが、地元でかなりの支持を得ているのだな、という印象を持った。この頃はまだアイドル・ポップ的な楽曲が多く、「ラリリレル」という謎の挨拶が印象的であった。これの由来については後でRYUTistファンの方から教えてもらい、なるほどと思った。「ラリリレル」というタイトルの曲もあり、定期公演ではずっと最後に歌われていたようなのだが、昨年のある時期からそれが変わったという。ここからも、RYUTistが新たな試みをいろいろ行っている時期なのだということが分かるようである。

 

この年の夏に音楽ライターの南波一海がタワーレコード内に立ち上げたレーベル、PENGUIN DISCへの参加を発表し、アルバム「日本海夕日ライン」がリリースされた。音楽性はよりシティ・ポップ寄りになり、「楽曲派」と呼ばれる人たちからより注目されるようになった印象がある。新潟出身で、やはりタワーレコード内のT-Palette Rocordsに移籍してからシティ・ポップ色を強めていったNegiccoとの共通点も感じられたりもしたのだが、シティ・ポップ的な楽曲とピュアなヴォーカルとの組み合わせというのはオリジナリティーだなと思いもした。

 

翌年のアルバム「柳町芸妓」では、より音楽性の幅を広げ、過去と現在と未来との良いところをつないでいくようなコンセプト、楽曲とパフォーマンスの良さによって、より高い評価を受けるようになっていった。

 

「ファルセット」はまず、ジャケットが良い。上から全体の4分の1ぐらいのスペースはピンク色であり、白く飾り気のない必要最低限の大きさの文字で「ファルセット RYUTist」と、タイトルとアーティスト名だけが記載されている。その下は、昼間の街を走っているように見える4人のメンバーの写真である。表情はナチュラルに笑顔で、リラックスしているが勢いも感じられる。アルバムのリリーズにに先がけて公開されたトラックに「ALIVE」というタイトルのものがあった。まさに、生きていることが伝わってくるジャケットである。

 

「いつか大人になったら」というフレーズが、どれかの曲の歌詞の中にあった。このアルバムを聴いていて浮かぶ光景は教室や帰り道、まだ親に守られていた頃の自宅である。懐かしいという感じはしない。私の場合、その頃の記憶というのはもうすでに何十年も前のことなのだが、そこにギャップも感じなければ、遠い昔の話のようにも思えない。時代によって移り行く流行や風俗のようなものについて、このアルバムではあまり歌われていないように感じる。これは懐かしさと新しさとが絶妙にブレンドされた、新潟という街で生み出された音楽だから、ということも関係しているのかもしれない。新潟にとって私はツーリストでしかないので、理想化している部分は多分にあるのではないかと思う。

 

このアルバムのテーマは「青春」なのだということを、何度か聴いた後に検索して見つけて読んだインタヴュー記事で知ることになった。なるほど、やはり意図的にそうだったのか。大人が「青春」をテーマにした作品にふれることの意味というのは、一体、何なのだろうか。普段ならばこんなことを特別に考えることもないのだが、このアルバムにはそこまで思いを巡らせたくさせてしまう何かが、確実にある。

 

可能性に満ちていて、輝いていた「あの頃」を懐かしく思い、束の間の現実逃避を楽しむためだろうか。青春時代を懐かしく思い出し、楽しむことはもちろんあるのだが、いまよりも輝いていたとか、「あの頃」に戻りたいとは一切、思ったことがない。「あの頃」にも嫌で思い出したくもなく、生まれ変わったとしても2度と経験したくないようなことは、確かにあった。いまの方がまだましというか、ずっと素晴らしいと思えるように、たとえ心底そうは思えない時があったとしても、そう言い切れるような毎日が送れるように、現実の日々を妥協なく生きている。

 

それでは、「青春」をテーマにしたこの「ファルセット」という作品がここまで私の心を動かす理由というのは、一体、何なのだろうか。という自問をふたたび、今度は自分自身にギュッと寄せて書いてみた。

 

心の奥底に眠ってはいたが、けして死んでいたわけではない、そしてその核のところというのは、いろいろあきらめたり絶望したりした末に、それでもより良くしていこう、なっていこうと日々、生きているうちは有効であり必要である。そんな感覚に心や頭が反応し、体を動かすことにも影響をあたえていく。私にとって、「ファルセット」はそんな作品になりそうである。

 

1曲目、「GIRLS」は約1分21秒のイントロダクション的な楽曲で、ヴォーカルや楽器の音などのコラージュ作品のようでもある。実験的な要素もあるが、けして難解ではない。なんだか面白そうな予感がして、一気に引き込まれていきそうである。

 

そして、「GIRLS」と同じく、というかそこから続いている蓮沼執太による楽曲、「ALIVE」である。この曲はアルバムがリリースされる少し前に配信されていて、Twitterのタイムラインにいる信頼のおける人たちがこぞって絶賛していた。つまり、確実に良いのだろう。しかし、なんだかすぐに聴くのが勿体なくて、しばらくは聴かないままでいた。ある日の通勤電車の中で思い立ち、やっと聴いてみたのだが、はじめはちょっと地味なのではないかと思ったのだ。しかし、途中からどんどん引き込まれていき、ポエトリー・リーディング的なところに至っては、なんだかすごい世界に到達しているなと、軽い感動を覚えていた。私はこの曲をブログで勝手に発表している上半期ベスト・トラックの2位に選んだのだが、その時点でミュージック・ビデオは公開されていなかったので、Spotifyのリンクを貼った。その後、ミュージック・ビデオが公開されたのだが、勿体なくて観ていなかった。アルバムを何度か聴いてからやっと観たのだが、とても良かった。生活に寄り添い、意識をマイルドに変容しかねなくもあるこの曲の特徴をしっかりと伝える映像だなと思い、胸が熱くなった。

 

4曲目に「ナイスポース」という曲が収録されていて、札幌出身のシンガー・ソングライター、柴田聡子が書いている。アルバムの中で最も圧倒された曲は「ALIVE」だが、個人的に大好きだといえるのは、この「ナイスポーズ」なのではないかと、いまのところは思う。まるで青春の日常を描いた小説のような内容で、歌詞もメロディーもとても良い。この年代特有の軽い意見の相違やそれ違いだとか、大切なことを英語で言ってしまう感覚、そして、タイトルにもなっている「ナイスポーズ」に至るくだりの描写が絶妙で、ヴォーカルパフォーマンスもその世界観を広げ、具体化することに大成功している。どうということのないことがとても感動的で輝いていて、それが宝物であったりもするのだが、大人になることはそういうものを無駄として切り捨てていくことでもあるので、やがて記憶にも残らなくなる。それを丁寧かつ最高の演出で表現したこの曲は素晴らしく、心がもっと柔軟で、楽しかったことで素直にずっと笑っていられた頃の大切な何かを呼びさましてもくれる。ハンドクラップの感じや「Hey!」という掛け声なども最高で、とにかく好きな要素で溢れまくっている。ポップ・ミュージックにはこういったことも可能なのだ、と思わせてくれるところもあり、出会えたことに感謝、感激といったところである。

 

7曲目の「絶対に絶対に絶対にGO!」だが、まず、普通は曲にこんなタイトルを付けない。のだが、聴いてみると、もうこれ以外にないだろうというぐらいに納得してしまう、肯定感の塊のような曲である。疾走しまくっている。そして、4人共、ヴォーカルが本当に良いな、と思う。歌詞はもう大切なことしか、一文字たりとも言っていないし、それを完全に信じ切って歌っているように聴こえるところがまた最高である。

 

曲順が前後してしまうが、5曲目の「好きだよ・・・」は仲が良いのだが好きな気持ちを胸に秘めている相手が他の人が好きという、ノスタルジック・アイドル・ポップとでも言うべきシチュエーションの曲だが、これもまたピュアネスとリアリティーがミルフィーユ的に繊細に織り成されている上に、王道的なキャッチーさもあるという素晴らしい曲である。

 

6曲目の「センシティブサイン」と8曲目の「青空シグナル」はそれぞれ昨年と一昨年でシングルでリリーズされた時点ですでに大好きな曲だったのだが、アルバムの流れの中で聴くとまた良さが再認識できる。この間に「絶対に絶対に絶対にGO!」が入っているというのも、またたまらない。シングルとはミックスも変わっているようだ。「青空シグナル」はこんなにも疾走感があったのかと軽く驚きもするのだが、間奏のオルガンも含め、やはり最高である。

 

9曲目の「時間だよ」はちょっと雰囲気が変わって、ダンス・オリエンティッドというか、大人っぽくて夜の雰囲気もある。新しい世界が広がっていく、恋の気分の入り口における好奇心だとかマイルドな不安だとか、そのあたりの絶妙に微妙な感じが表現されていて、RYUTistにとっての新機軸でありながら、RYUTistにしか出せないであろう世界観でもある。これがアイドルに提供するはじめての楽曲だったというKan Sanoはこの曲を女の子同士の関係性を想定して書いたようだが、メンバーはそうとは知らずにレコーディングしたようである。

 

「無重力ファンタジア」は「青空シグナル」のカップリングで当時から気に入っていたのだが、アルバムでのこの流れは最高である。宇宙的な感覚でサックスも最高、このアルバムは曲順も考えに考え抜かれたものなのではないかという気もしてきた。こういう大人っぽいサウンドや曲調にこのヴォーカルというのが、やはりたまらないなと思うのである。

 

そして、この次の「春にゆびきり」がまた素晴らしい。パソコン音楽クラブの作詞・作曲・編曲によるテクノポップ的な楽曲がここに来ていることで、また曲順の完璧さを感じたりもするのだが、いつか大人になるのだからこの日のことを忘れないようにしよう、というような、どこかノスタルジックでセンチメンタルな内容の歌が、この無機質的なようでいて実はとてもやさしくもあるサウンドに乗ることによって、時代を超えたポップスとしての強度をさらに増していく。そして、この曲のミュージック・ビデオがまた感動的である。

 

目標にしていた新潟のりゅーとぴあでのワンマンライヴがやっと実現することになったのだが、新型コロナウィルスの影響で中止になった。それはとても残念なことで、いまという時間は二度と戻ってはこないのだが、それでも前に進み、いつかここで目標を達成しようと指切りをし、ダンスを踊るという、ドキュメンタリー的な物語性も入っていて、胸を熱くさせる。

 

そして、アルバムの最後は一昨年の秋にリリースされたシングル「黄昏のダイアリー」である。この素晴らしいアルバムを締めくくるに相応しいエヴァーグリーン・ポップで、未来への希望、そして、いつか振り返った時に誇らしく思えるような現在を生きようというメッセージが込められているようにも思える。

 

3曲目に収録された「きっと、はじまりの季節」は弓木英梨乃が作詞・作曲、sugarbeansが編曲をした、ひじょうに爽やかで前向きな曲であり、「ALIVE」と「ナイスポーズ」の間にこの曲が入っているのもやはり最高だったのだな、と思わされる。「新しい船を建て 胸焦がして旅するわ」と、こんな気分で生きるのは素晴らしいな、とこのアルバムを聴いた後では素直に思えてくる。

 

初めて聴いてからまだ24時間も経っていないが、これまでに聴いてきたすべての音楽作品の中でも、オールタイム・ベストのわりと上位に入り続けるのではないかと、いまはそんな予感がしている。