ボブ・ディラン「ラフ&ロウディ・ウェイズ」について。 | …

i am so disapointed.

ボブ・ディランの通算39作目のスタジオ・アルバム、「ラフ&ロウディ・ウェイ」がつい先日にリリースされた。当日の朝、通勤電車の中で歌詞を読みながら聴いていたのだが、これはとてつもない作品であり、もっと落ち着いてじっくり聴くべきではないだろうか、という気分になった。それでも、そのまま最後まで聴こうとした。仕事場の最寄り駅に着いたあたりでエアイヤレス・イヤフォンの電池がなくなったので、もう1つの方に接続し直したところ、どうやら片側の方だけ接触不良になってしまったようだ。それで、結局、最後まで聴くことはできずに仕事に入った。

 

ボブ・ディランのこれまでの3作はいずれもスタンダード・ナンバーで、フランク・シナトラが歌ったことがある曲のカヴァー集であった。ということを知っているだけで、ちゃんとは聴いていない。オリジナル曲によるアルバムとしては2012年の「テンペスト」以来であり、その間にはノーベル文学賞の受賞ということもあった。

 

ボブ・ディランは私が中学生で、洋楽を意識的に聴きはじめた頃には、もうすでにレジェンド的な存在であった。はじめてその名前を聴いたのは、ガロ「学生街の喫茶店」の歌詞、「学生でにぎやかな この店の 片隅で聴いていた ボブ・ディラン」であった。1972年にリリースされたこの曲においてさえ、すでに懐かしむ時代を象徴するような存在だったのである。

 

フォーク・ブームの時代にプロテスト・ソングを歌い、新曲でエレキ・ギターを使うと「裏切り者」と野次られたという、そのようなエピソードは知っていた。また、みうらじゅんが熱心なファンだということでも知られていたと思う。パンク/ニュー・ウェイヴ的な感覚が新しいとされた80年代のはじめ、しかも糸井重里の事務所にいたり、パルコ出版やマガジンハウス(平凡出版)の媒体に書いていながら、どこか70年代の中央線を思わせるような雰囲気が、当時のみうらじゅんには確かにあったので、ボブ・ディランについてもそういったタイプの人たちが好んで聴くようなアーティストなのだ、となんとなく認識していた。

 

とはいえ、新作もリリースしていて、ミュージック・ビデオがテレビで流れてもいたのだが、それほどヒットはしていなかった。あと、USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」にも、参加していた。

 

私が大学生だった頃に、新譜ばかりではなく、いわゆる名盤といわれているものもいろいろ聴いてみようという気分になって、ちょうどアナログレコードからCDに切り替わる時期で、リイシューも盛んに行われていた。相模原にあったすみやというCDショップで、ボブ・ディランのベスト・アルバムを買ったのだが、その時に一緒に買ったのが吉田拓郎だったということからも、当時の私にとっての認識がどのようなものだったかがうかがえるというものである。

 

1988年ぐらいで、LLクールJとかパブリック・エネミー、プリンスとか岡村靖幸が良いと言って、盛り上がっていた頃である。日本語ネイティヴの音楽ファンらしく、当時の私は特に洋楽についてはサウンドの新しさばかりを重視して聴く傾向があったし、ザ・スミスが解散して以降、いまだにロックなんていう時代遅れの音楽を聴かなければならない理由がまったく分からない、とわりと真剣に考えていたし、それよりもリズムが弱い(ように思えた)フォーク・ソングなど、もっと興味がなかった。

 

私と同年代や下の世代の洋楽ファンでも、ボブ・ディランをじつはちゃんと聴いていないし、聴いたことはあるけどよく分からないというような人はわりと多かったような印象がある。

 

私の場合、1990年代のはじめ頃にフリッパーズ・ギターからの流れでインディー・ポップなどを好んで聴いている若い音楽ファンの方々との出会いがあったおかげで、こういったポップ・ミュージックの聴き方は修正されて、サウンドが新しいかそうでないかだけではなく、その音楽が良いか悪いかで聴くことができる、健全な状態になったのでよかった。

 

そうすると、いままでに知らなかったり興味がなかったりしていた音楽の良さがどんどん分かってきて、とても楽しかった。1993年ぐらいにボブ・ディラン、ニール・ヤング、ヴァン・モリソンのアルバムなどもいろいろ買って、それまではマニアックな年寄りが聴くものだと思って興味がなかったが、その良さが分かった。ボブ・ディランでは「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」「追憶のハイウェイ61」はすぐに分かったのだが、「ブロンド・オン・ブロンド」はそうでもなかった。「血の轍」をそれから少し後に買って、これもかなり気に入った。

 

60年代のボブ・ディランのドキュメンタリー映画のような「ドント・ルック・バック」のビデオ・テープをタワー・レコードかどこかで輸入版で買って、当時のボブ・ディランというの若者が憧れるカッコいい存在だったのだな、ということを思い知らされたりもした。

 

それからボブ・ディランは何度目かのピークを迎えるかのように、また充実したアルバムをリリースしはじめて、これらもリアルタイムで聴いて、その良さはなんとなく理解できてもいた。しかし、あくまで私がその存在をはじめて知った時にはすでにレジェンド化していたアーティストの作品としてであり、たとえばザ・スミスやオアシスやアークティック・モンキーズなどに感じてきたような、同時代感というようなものでは、けしてなかった。それは、世代もずっと違うのだし、仕方ないことだろうとは、思っていたのだが。

 

1曲目の「アイ・コンテイン・マルチチュード」の歌詞にはアンネ・フランクやインディ・ジョーンズ、イギリスのバッド・ボーイたちことローリング・ストーンズ、ベートーベンやショパンも登場する。速い車(ファスト・カー)に乗って、ファストフードを食べる、などとも歌われている。

 

ボブ・ディランのヴォーカルには深みが感じられ、フォーク、カントリー、ブルーズ、ロックなどの要素が入り混じった音楽も、ひじょうに味わい深い。歌詞の意味を理解した方が、もちろんその楽しみは格段に深まるのだが、そうでなかったとしても、純粋に音楽として楽しめる。そして、ポスト・コロナとかウィズ・コロナとかいわれる昨今のムードに、これがとてもマッチしているような気もする。

 

「最も卑劣な殺人」では、ジョン・F・ケネディ暗殺事件が、ボブ・ディランならではの詩的な表現で描写されているのだが、人名や作品名などが次々と出てきて、そのイメージの連鎖にもめくるめくものがある。ビートルズ、ウッドストック、オルタモント、「起きろよスージー」、パッツィ・クライン、イーグルス、カール・ウィルソン、「ミステリー・トレイン」、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックス、ベートーベンの「月光」などに混じって、ビリー・ジョエル「若死にするのは善人だけ」、クイーン「地獄に道づれ」までもが出てくる。これらを効果的に用いて、思い返せばこの事件がきっかけだったようにも思える、アメリカ合衆国の理念、または西洋文明そのものの凋落について歌われているようである。この情報量とメッセージ性は、まるでヒップホップのようではないか、と思った。

 

キャリアの積み重ねによる円熟した魅力と同時に、現在という時代に共に生きているアーティストとしての切実さも感じる。これらが両立することというのは、ありそうでいて実は意外とないのではないかという気もする。このアルバムを通して何度か聴いていて、歌詞も読んだり調べたりもしているのだが、その全貌を理解できたような気はまったくしない。それほど深いアルバムでもあるのだが、豊かなポップ・ミュージックとしての味わいは初聴にしてじゅうぶんに感じられる。このアルバムについての感想のようなものは、もう少しある程度、理解できた時点で書こうとも思っていたのだが、この先いつになるのか分かったものではないので、とりあえず現時点で感じていることなどについて記録してみた。

 

ボブ・ディランのことがはじめて同時代に生きる生身のアーティストとして、ヴィヴィッドに感じられ、まだじゅうぶんに理解できているには程遠いこのアルバムをもっと聴き込んで、この音楽に没入したいと思わされる。