1991年5月25日付の全英シングル・チャートで好きな10曲。 | …

i am so disapointed.

1991年5月25日付の全英シングル・チャートにランクインしていた楽曲の中から好きな10曲を選び、カウントダウンしていきたい。参考のため、この頃に日本ではどのような曲がヒットしていたのか調べてみたのだが、アーティスト名は分かるものの曲に覚えがまったくなく、さっぱりピンとこなかったので、この時点で日本の流行歌リスナーとしての私は完全に終わっていたのだな、ということを再認識した。それはそうとして、(欽ちゃんのドンと)いってみよう!

 

10. INTO TOMORROW/PAUL WELLER MOVEMENT

 

怒れる若者的なイメージで10代の頃にザ・ジャムでデビューして以降、イギリスで絶大な人気があったポール・ウェラーだが、ザ・スタイル・カウンシルの最後のアルバムはレーベルから発売を拒否されるなど、わりとしんどい状況に陥っていた。1989年にはザ・スタイル・カウンシルを解散させ、ポリドールとの契約も終了、翌年にポール・ウェラー・ムーヴメントを結成し、その第1弾シングルがこの「イントゥ・トゥモロー」であった。全英シングル・チャートでは最高36位を記録し、ソロ・デビュー・アルバム「ポール・ウェラー」へとつながっていく。このアルバムは当初、日本でしかリリースされなかったため、私が勤務していたCDショップでも国内盤がとぶように売れた。

 

 

 

9. SIT DOWN/JAMES

 

モリッシーがファンであることを公言してもいたマンチェスター出身のインディー・ロック・バンド、ジェームスの代表曲である。当初は1989年にリリースされ、7分以上もあったが、マッドチェスター・ムーヴメントでバンドの人気が高まっているタイミングで歌詞を変え、より短くしたヴァージョンをリリースし、全英シングル・チャートで最高2位のヒットを記録した。フリッパーズ・ギターがイベントかなにかで盛り上がりすぎていたため、客を座らせる目的でこの「シット・ダウン」をかけたのだが、余計に盛り上がってしまったという話をなにかで読んだ記憶がある。

 

 

 

8. CHILDREN/EMF

 

インディー・ロックとダンス・ミュージックとをミックスさせた音楽が流行していた時代を象徴するバンド、EMFのデビュー・アルバム「シューベルト・ディップ」からのリード・トラックで、全英シングル・チャートで最高19位を記録した。全米NO.1を記録した「アンビリーヴァブル」の印象があまりにも強いため、あだ花的にも見られがちだが、そのポップ感覚には卓越したものがある。

 

 

 

7. COAST IS CLEAR/CURVE

 

ロンドン出身のインディー・ロック・ユニット、カーヴの2作目のEP「フローズン」に収録されていた曲である。インダストリアル・ロックの要素を取り入れたシューゲイザー的なサウンドと、セックス・シンボル的なムードもあったトニ・ハリディのヴォーカルが特徴で、UKインディー・ロック界の救世主となりえそうな感じも一時的にはあった。

 

 

 

6. THERE'S NO OTHER WAY/BLUR

 

この数年後にオアシス、パルプ等と共にブリットポップ・ムーヴメントを牽引することとなるブラーの最初のトップ10ヒットで、全英シングル・チャートで最高8位を記録している。インディー・ダンスのブームに乗って出てきたあだ花的なバンドで、一発屋で終わるだろうと思っていた私の勘は大きく外れた。当時、六本木の公園で「BEAT UK」の感想などを語り合っていた友人は、このミュージックビデオにおけるデーモン・アルバーンについて、「歌ってないでさっさとメシ食えよ」と言っていた。

 

 

 

5. LAST TRAIN TO TRANCENTRAL FT. THE CHILDREN OF THE REVOLUTION/THE KLF

 

ユニークで前衛的な活動によって当時のポップ・シーンをかき回しまくっていたKLFは、ヒット・チャートでも大活躍していて、この曲も全英シングル・チャートで最高2位を記録している。1つの曲でも様々なヴァージョンがリリースされていたが、これはアルバム「ホワイト・ルーム」に収録されたヴァージョンをシングル向けに改変したものである。

 

 

 
 
 

 

4. THE SIZE OF A COW/THE WONDER STUFF

 

この週には次のシングル「コウト・イン・マイ・シャドウ」もリリースされ、より高い順位にランクインしていたのだが、全英シングル・チャートで最高5位を記録したこちらを挙げておきたい。マッドチェスターとブリットポップの狭間、UKインディー・ロックの低迷期をカーターUSMらと共に支えたバンドである。これらの曲を収録したアルバム「ネヴァー・ラヴド・エルヴィス」がこのすぐ後にリリースされ、全英アルバム・チャート3位を記録するが、ブリットポップの時代に入ると人気が失速していった印象である。英国ポップの伝統を継承するような、キャッチーでとても良い曲である。

 

 

 

3. YOU LOVE US/MANIC STREET PREACHERS

 

インディー・ロックとダンス・ミュージックとをミックスしたような音楽が流行していた1991年の時点において、マニック・ストリート・プリーチャーズのパンク・ロックは時代錯誤的にも思えた。アルバムを1枚だけ発表して世界中で1位になって解散するというようなビッグマウス的な発言も含め、どこかいかがわしい雰囲気がつきまとっていたのも事実である。そういった疑問点を問いただす「NME」のインタヴュー中に、メンバーのリッチー・ジェームスはカミソリで自分の腕に「4REAL」、つまり「本気だ」と彫って流血し、大騒ぎになった。それが、この年の5月15日のことである。この曲の全英シングル・チャートでの最高位は66位(翌年に再発され、16位を記録した)、この時点でこバンドが後にイギリスの国民的バンドにまで成長し、30年近く経っても新しいアルバムを出せば必ずアルバム・チャートの上位にランクインしていると予想していた者は、きわめて少なかっただろうと思われる。

 

 

 

2. NOTHING CAN STOP US/SAINT ETIENNE

 

セイント・エティエンヌのデビュー・アルバム「フォックスベース・アルファ」からのリード・トラックで、全英シングル・チャートでの最高位は54位であった。当初は幼なじみで共に音楽ファンであったボブ・スタンリーとピート・ウィッグスのユニットで、ヴォーカリストは流動的な予定だったが、この曲で初参加したサラ・クラックネルがパーマネントなメンバーとして定着した。60年代的なピュア・ポップな感覚と90年代のクラブ・ミュージックとを融合させたような音楽が、当時のおしゃれな音楽好きにも大いに受けた。マニック・ストリート・プリーチャーズとセイント・エティエンヌとは共にヘヴンリー・レーベルに所属していて、同じレーベルのフラワード・アップとの3組でライト・セッド・フレッドのカヴァーEPをリリースしたこともあった。

 

 

 

1. GET THE MESSAGE/ELECTRONIC

 

ニュー・オーダーのバーナード・サムナーと元ザ・スミスのジョニー・マーが組んだスーパー・ユニットとして、当時、話題になった。この曲は全英シングル・チャートで最高8位を記録し、これだけで見るとそれまでにリリースされたザ・スミスのどのシングルよりもヒットしたことになる。翌年、再発された「ジス・チャーミング・マン」がこれに並んだ。このユニットのコンセプトであった、エレクトロニクスとギターのサウンドの融合が特にうまくいった曲だということができる。