Negicco「ティー・フォー・スリー」について(2020)。 | …

i am so disapointed.

Negiccoのアルバム「ティー・フォー・スリー」がリリースされたのは2016年5月24日、いまから4年前のことである。これを長いと感じるか短いと感じるかについては、どちらでもあるしどちらでもない。確かにそれほど昔のことではないという気もするのだが、このアルバムがその後の私のポップ・ミュージックの聴き方にあたえた影響だとか、すでに生涯の愛聴盤としての地位を確立していることからすると、まだ4年しか経っていないのか、という気分にもなってくる。このアルバムについてはここで以前に何度も書いてはいるのだが、今年もやはり聴き直し、思い出や感想のようなものをアップデートしていきたい。

 

1曲目の「ねぇバーディア」は2015年8月11日にすでにシングルとしてリリースされていた楽曲で、オリコン週間シングルランキングで最高7位、この年の年末に発表されたインターネット投票によるにおいては、「メジャーアイドル楽曲部門」で1位に選ばれている。

 

「ティー・フォー・スリー」収録曲の中では最もアイドル・ポップスっぽい曲でもあり、なにかで見た2曲目の「RELISH」から聴きはじめて、最後の「私へ」が終わった後に「ねぇバーディア」で締めるという聴き方もなかなか乙だなと思ったのであった。

 

2003年にJA全農にいがたのやわ肌ねぎのプロモーションのため、1ヶ月限定ユニットとして結成されたNegiccoはその後も活動を継続し、紆余曲折あって、この時点で結成から12年以上が経過していた。2011年にタワーレコードのアイドル専門レーベル、T-Palette Recordsに移籍し、新潟を拠点にしながら、全国にファンを増やしていった。とはいえ、あくまでアイドルにわりと詳しい人たちがほとんどであり、それ以上の広がりには至っていなかったと思われる。

 

というのも、私もNegiccoのことはなんとなく知っていたし、新宿のタワーレコードでリリースイベントをやっているところを目撃したりもしていたのだが、楽曲をはじめて聴いたのはこの年の3月に過ぎなかったのだ。

 

先日、「レコード・コレクターズ」を読んでいると、日本でシティ・ポップのリバイバルが本格化しはじめた時期は2016年ぐらいなのではないか、というようなことが書かれていた。私もこの年のはじめのうちに、70年代のシティ・ポップの名盤をかなり集中的に聴いていた記憶がある。80年代の大滝詠一や山下達郎の音楽には流行音楽として親しみ、それからはっぴいえんどとかシュガー・ベイブぐらいはCDを買ったりしていたが、まだまだ聴いたことがなくて聴くべき作品はいくらでもあった。そして、私が日本の流行音楽に最も切実にアクセスしていた80年代は、シティ・ポップやニュー・ミュージックの優れたアーティストたちがアイドルに楽曲を提供することがとても多く、アイドル・ポップスも良質なものがひじょうに多かった印象がある。

 

2010年代にはAKB48の社会現象的ともいえる大ブレイクを中心としたアイドルブームというのがあり、多くのアイドルグループがデビューし、人気を得たりしたことからアイドル戦国時代などと呼ばれたりもした。アイドルなんていうものは中高生の男子が疑似恋愛的に一時的に夢中になるもの、という感覚でしかなかった私は、モーニング娘。がブレイクした頃におニャン子クラブ世代の中年男性が夢中になっている話にもまったくピンときていなかった。2007年、モーニング娘。の人気も一時期の国民的アイドルグループと呼ばれていた時期から比べるとすっかり落ち着いていた頃に「笑顔YESヌード」という曲がカッコいいなと思ってはじめてCDを買い、その後、道重さゆみの魅力を発見するなどして、モーニング娘。の音楽も好きになる。AKB48も一時的に集中的に聴いたりするものの、その後にブレイクしたももいろクローバーなどはよく分からず、これぐらいまでが限界なのだろうなと思って、それ以降のアイドルの曲は聴こうともしていなかった。

 

道重さゆみにも言及していたアイドルについての本を有楽町の三省堂書店で買い、その日のうちに一気に読み終えたのだが、いまの日本には様々なタイプのアイドルがいて、それを取り巻く文化もあるのだな、と感じた。そして、Negiccoというグループのことが少し気になり、まったくの興味本位でApple Musicにあった曲をいくつか聴いてみたところ、そのクオリティーの高さに驚かされた。あとは80年代にアイドル・ポップスが好きで、その頃はちょうど70年代のシティ・ポップをよく聴いていて、90年代には「渋谷系」の上澄みぐらいはなんとなく好きだったような気がする私の趣味に豪速球のストライクというような内容だったことも大きい。

 

当時はApple Musicで配信されていなかったアルバムも購入して、もう一時期はこればかり聴いていた。どうしてこんな良いものをいままで知らなかったのだろうとも思ったが、出会いには然るべきタイミングがあるのだろうというような気もしている。YouTubeで検索するとグループがこれまでに辿ってきたストーリーをまとめたものなどがあり、それもまた感動的だし、メンバー1人1人のキャラクターにもひじょうに良いものを感じる。メンバーの1人であるMeguがDJをやっている動画を観たのだが、Negiccoの「クリームソーダLove」の後にモーニング娘。の「ポップコーンラブ!」をかけていて最高だった。

 

ちょうど新曲の「矛盾、はじめました。」のミュージックビデオが公開される頃でもあったのだが、アイドルグループのシングルとしては地味すぎるのではないかと思いながらもラテン風味の大人ポップで、これもまた最高であった。かと思えば、カップリングは謎の猫ソング「楽園の余韻」である。それで、次のステップとしては実際に生で観に行くという段階なのだが、サンストリート亀戸というアイドルファンにとってはかなり有名な現場で、かつてPerfumeも出演していたというショッピングモールの最後のイベントとして、「矛盾、はじめました。」のリリースイベントがあった。

 

それまでハロー!プロジェクトかAKB48系のアイドルグループしかほとんど知らなかった私には、ゆるめの挨拶からしてすでに衝撃的だったのだが、楽曲の良さとパフォーマンスの素晴らしさ、ファンが醸し出すアットホーム感だったり、それでも閉鎖的な感じはなく、初参加の私でも「圧倒的なスタイル」でのラインダンスに気軽に参加できる敷居の低さ、これは最高ではないかと思ったのだった。

 

この日、「ねぇバーディア」も歌われたのだが、Aメロのところでファンがただ手拍子をするというところに、なんとも言えぬ良さを感じた。曲に合わせてファンがネギの色と形をしたペンライト、つまりネギライトを持って独特のアクションをしたりコール&レスポンス的なものもあるのだが、これができなくても別に気まずい感じになるわけでもなく、しかし、あれがやれたらきっととても楽しいのだろうな、という気分にはさせられた。

 

レキシこと池田貴史によって書かれたこの曲には、アース・ウインド&ファイアー「セプテンバー」へのオマージュ、「愛の兜」のご当地歴史ネタ、一般的な恋愛とファンとグループとの関係性とをかけたタブルミーニング、伝説の3人組アイドルグループ、キャンディーズを思わせる「です、ます」調の歌詞、「もう止まらないねぎ」とはどういうことなのかなど、様々な仕掛けがありながら、ポップ・ソングとしてもシンプルに絶品である。

 

ミュージックビデオはNao☆、Megu、Kaedeのメンバーそれぞれが個々の移動手段で東京に向かい、このシングルのリリース後に予定されていたこの時点でのNegicco史上最大規模のライブ会場、日比谷野外音楽堂の少し前で出会う、という素晴らしいものである。

 

2曲目の「RELISH」は「ティー・フォー・スリー」というアルバムの大人ポップ路線を強く印象づける、とても爽やかな楽曲である。このアルバムのリリースに際して、ターゲットはメンバーと同世代の同性ともいわれていて、女性アイドルグループの作品としてはどうなのだろう、という意見もあったように記憶している。その後の女性ファンやアイドルポップス以外の音楽ファンの増加という結果から考えるに、これは大成功だったのではないかと思われる。

 

作詞はNegiccoと同郷、新潟出身の岩里祐穂、作曲はインディーズ時代から楽曲提供を続けるごく初期からのファンにして一般の会社員でもある、connieによるものである。。「こんな世界が君を待ってたなんて 素敵だと思わない?」という歌い出しですでに、つかみはOKという感じである。「RELISH」とは「味わう」というような意味であり、人生を味わいつくそうという女性たちへのメッセージ・ソングにもなっている。「白いシャツの裾が5月の風に ほら 膨らんでいくよ」というフレーズには、このCDを買った時の自由な感覚が呼びさまされる。CDは大抵の場合、発売日の前日にショップに入荷され、その日に購入して手に入れることをフライングゲット、略してフラゲといつしか言うようになったが、AKB48が曲のタイトルにしたことでさらに一般化したかもしれない。

 

「ティー・フォー・スリー」のフラゲ日、つまり2016年5月23日は月曜日であり、私は会議と打ち合わせとの間に電車に乗って、錦糸町のタワーレコードに行った。なぜなら、金曜日にここでリリースイベントが行われ、ここで購入するとミニライブをより良い場所で観られたり、サイン会に参加できたりしたからである。当日の東京の最高気温は、30.9度だったようだ。

 

「マジックみたいなミュージック」には「どこかで聞いた Disco Music」という歌詞があるが、エモーションズ「ベスト・オブ・マイ・ラブ」歌謡とでも呼ぶべき懐かしさもありながら、Magic, Drums & Loveのアレンジにはフューチャー・ファンク的な新しさがあり、ニュー・オーダー「ブルー・マンデー」からの引用も楽しい。「まるでナシ 反省のColor」というのは反省の色がないということなのだろうが、この辺りの軽さも曲調とマッチしていて最高である。

 

この頃、Negiccoはアイドル以外のバンドやアーティストと一緒のライブにもよく出演していて、新たなファンを獲得していた印象があるのだが、この曲に対するアイドルのファン以外の人からの高評価も見た覚えがある。個人的にはこの曲でのKaedeのヴォーカルがかなり好きである。

 

続いて、「恋のシャナナナ」で、これもディスコ・ミュージック的な曲なのだが、「金曜の夜は Friday Night 土曜の夜は Saturday Night 週末の夜は Weekend Night」という身も蓋もない歌詞に勢いを感じる。そして、「Baby Baby 今夜は踊ろう」という、数多のポップ・ソングによって使い古された感もあるタイプのフレーズが、王道のど真ん中みたいにバチコンとハマり、快感に心が躍動する。ダンスフロアが恋の現場でもあった頃を思い出させてくれるような曲だが、特に「君の香りが揺れる」というフレーズにはやられた。

 

テンポはややスローダウンして、「Good Night ねぎスープ」である。「この世はなんだかキラキラ中毒」と思ってしまったり、「仕事でミスしたり 淡い恋もういあけずに 平凡な毎日 ひと知れず過ぎる」というような、働いている女性のアーバン・ブルーズ、それに寄り添い、そっとエールを送るような楽曲だと思う。「真っ赤なルージュ」をつけることによって自分に気合いを入れる、ということが女性にはよくあるようだが、G.RINAによるこの曲の歌詞にもそういったフレーズが出てくる。

 

この年の7月20日に新宿のタワーレコードが入ったビルの上の方で、Negiccoのライブを観ながらバーベキューをいただくというイベントがあり、幸運にもチケットを購入することができたのだが、その時、私のすぐそばにカップルで来ているファンがいたのだった。この曲のライブの最後で、「グッナイ」と囁くところがあるのだ、そこでカップルの女性の方が、まるで60年代のビートルマニアのように感極まって絶叫していた印象的であった。

 

そして、「江南宵唄」である。Negiccoの楽曲はどれも最高なのだが、私はわりとクセが強い聴き方をしているのかもしれず、この曲がすべてのNegiccoの曲の中で、2番目に好きである。この曲は確か、かなり後になるまでライヴで観られなかったような気がする。初披露がNHKホールだったか新宿でのバーベキューだったかはよく覚えていない。Spangle call Lilli lineの作曲・編曲で、アイドルポップスとしてはかなり攻めた感じの実験色が絶妙である。歌い方も他の楽曲とは少し違っていて、新たな魅力を引き出しているように思える。プリンスの80年代の楽曲を聴いた時に感じたようなハイブリッドなポップスの快感とでもいうようなものもあり、とても好きなタイプの楽曲になっている。

 

プリンスといえば「ティー・フォー・スリー」が発売される約1ヶ月前、2016年4月21日に亡くなったのだが、「ミュージック・マガジン」の2016年6月号は表紙が追悼特集のプリンス、裏表紙がNegicco「ティー・フォー・スリー」の広告となっている。

 

「カナールの窓辺」は2015年12月26日にリリースされたシングル「圧倒的なスタイル-NEGiBAND ver.-」カップリング曲としてすでに発表されていた曲だが、アルバムでのこの曲順は絶妙だなと思うのである。

 

「あなたが愛した この街に また 来てしまった 辛いだけなのに」というわけで、失った恋の面影をテーマにした曲である。70年代のA&Mにも通じる上品なサウンドと曲調が、重い気分を中和しているようで、そこにまたグッときたりもする。「カナール」とは運河のことであり、新潟にはこの曲のモデルになったといわれる場所もあるらしい。

 

続く「虹」も失恋ソングで、作詞・作曲は平賀さち枝である。「泣くなんてするわけじゃないけど 真っ白な気持ちで今は好きだよ」と、終わった恋の相手に感謝し、切り替えて次にすすもうという点では、2018年にアリアナ・グランデがリリーズした超名曲「サンキュー、ネクスト」に通じるところもある。悲しみはまだ消えていないが、カラッとした明るいメロディーとサウンドがとても魅力的である。

 

「SNSをぶっとばせ」はオカモトコウキの作曲、OKAMOTO'Sの編曲によるロックンロールで、大人ポップなアルバムの中にあって、良いアクセントになっている。堂島孝平による歌詞は、かつての恋人が結婚したことをSNSのタイムラインで知るというもので、絶妙に微妙な心境をヴィヴィッドに表現したシャウトも含め、異色ながらもパンチの効いた好トラックとなっている。

 

「矛盾、はじめました。」はリード・シングルで、ラテンテイストのおしゃれな楽曲。作詞は土岐麻子で作曲がさかいゆうだが、恋の悩みを相談する女子会的な内容がテーマになっている。Negiccoについての予備知識がまったくなく、アイドルにも興味がない音楽ファンの女性にすこぶる評判が良かった印象がある。

 

Negiccoを知っていくとと新潟に行きたくなるのだが、平日の雨の古町商店街の映像を投影するスクリーンのようなものに、グリーンを基調としたこの曲のミュージックビデオが映り、都会的でおしゃれな曲も小さめの音量で流れていたことが思い出される。

 

「土曜の夜は」はconnieの作詞、ウワノソラの角谷博栄の作曲・編曲による楽曲で、4月27日の中野サンプラザでのライブで7インチ・シングルが発売されていたのと、KKBOXというサブスクリプションサービスで先行配信されていた。山下達郎に「オレたちひょうきん族」のエンディングでも流れていた「土曜日の恋人」という曲があったが、歌詞にオマージュと思われるところがある。また、楽曲全体もシュガー・ベイブを彷彿とさせるのだが、しっかりとNegiccoのオリジナルになっている。曲が一旦、終わったかと思いきや、そこからまた新しい展開があるところなどもとても良い。7インチ・シングルのジャケットにはナイアガラ・レーベルとよく似たロゴが載っているのだが、よく見ると「Niagara」ではなく「Niigata」なのであった。

 

この曲をはじめて聴いたのは、お披露目があった中野サンプラザでのライヴだったが、印象深く覚えているのが新潟の「古町どんどん」である。地元の商店街のお祭りであり、活動の初期からずっと出演し続けているという。屋外ステージでのフリーライブであり、客層は地元の一般の老若男女と全国から訪れたNegiccoのファンとが混じり合っているような感じである。東京で観るよりもリラックスしている感じがなんとも良く、また、このナイアガラ・サウンド的な音楽が新潟の商店街に溶け込んでいく様もひじょうに良かった。後で見たツイートかなにかで、このライヴを観ていた老夫婦の男性の方が、「土曜の夜は」の時に「この曲、本当に良いなぁ」というようなことを言っていた、というのがあって、素敵だなと思ったのであった。

 

この「古町どんどん」があった日の夜に、「ティー・フォー・スリー」の全曲をダイジェストにしたティーザー映像というのが公開され、それを新潟のホテルで観ていた記憶がある。池袋で撮影された映像も素晴らしく、アルバムへの期待はさらに高まっていったのだった。

 

「おやすみ」はシングル「ねぇバーディア」のカップリングに収録されていた曲で、すでにかなり気に入っていたのだが、アルバムではシングルとは異なった、ピアノとストリングスを主体としたヴァージョンになっている。シングル・ヴァージョンもシティ・ポップ的で大好きで、中野サンプラザのライヴで夜の新潟の映像を背景に歌われたのもとても良かったのだが、このアルバム・ヴァージョンもまた素敵である。

 

アルバムの最後に収録された「私へ」は、リーダーのNao☆にとって憧れの人でもある坂本真綾が作詞をしている。「がんばらなくちゃ 強くならなきゃ そう思うほど泣きたくなるんだ こんな自分を懐かしいと言える時がくるよね」という歌詞は、この国で生活をする多くの女性の共感を呼ぶものかもしれない。それと同時に、紆余曲折の末にこの時があり、その先も現在よりも不確実だったようにも思える、Negicco自身について言及しているようにも聴こえる。

 

トータルとしてやはりとても優れた作品であり、日本のポップ・ミュージックの歴史が培ってきた良いところをあるベクトルにおいて凝縮したような内容なのではないかと思う。しかも、Negiccoはこの後もさらに音楽性のレンジを拡張し、優れた作品を発表し続けているというところがすごい。

 

音楽作品を聴いているだけでも、その魅力はかなりのものなのだが、かつてライブやイベントにも少なからず行っていた身としては、その良さというのは現場に行くことによって、さらに味わい深くなるということも重々承知している。個人的ないろいろな環境の変化やその他の要因によって、一昨年秋の中野サンプラザ以降、まったく行けていないことが残念でならない。ネギライトもしばらく使われないまま、すっとバッグに入ったままである。これをいつかまた点灯させながら、「好きになってもいいのかな」「いいよー」とかやるのが、現在の秘かな野望のうちの1つである。