ローリング・ストーンズのアルバム「メイン・ストリートのならず者」がリリースされたのは1972年5月12日、いまからちょうど48年前のことだったようだ。当時、私は北海道の留萌市にある聖園幼稚園の園児だったため、リアルタイムで聴いたという記憶はない。日本では小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」や青い三角定規「太陽がくれた季節」がヒットし、沖縄がアメリカから返還される直前だったようだ。
ローリング・ストーンズのことをいつ知ったのかについては、よく覚えていない。1981年に全米ヒット・チャートを見ながら洋楽のレコードを買うという行為が私の中で活発化するのだが、REOスピードワゴン「禁じられた夜」、スティクス「パラダイス・シアター」、ジャーニー「エスケイプ」、フォリナー「4」といった、後に「ロッキング・オン」の渋谷陽一が「産業ロック」などと呼ぶことになるタイプの音楽を、売れていたのでおそらくこれが良いのだと思って聴いていた。ローリング・ストーンズの「刺青の男」も全米アルバム・チャートで1位になったので、きっと良いのだろうと思っていた。リード・シングルで全米シングル・チャートで最高2位を記録した「スタート・ミー・アップ」は、確かにカッコよかった。この曲をマーティ・バリン「ハート悲しく」などと同じカセットテープに入れて楽しんでいた私が、その魅力を本当に理解できていたのかは定かではないが。
翌年のお年玉の残りで「刺青の男」のレコードを買った。映画「グローイング・アップ」のサウンドトラック盤と一緒にだったと思う。「スタート・ミー・アップ」はカッコよかったが、アルバム全体は渋すぎてよく分からなかった。産業ロックのようなものを聴きすぎて、このアルバムの良さを理解する素養がおそらくまだ無かったのだ。しかし、せっかく買ったのだからと何度も聴いているうちに、だんだん良さが分かってきた。当初、渋いと感じたところが、だからそこが良いんじゃないと思えるようになっていった。なによりも15歳でローリング・ストーンズを好きなことが、なんだかカッコいいことのように思えたのだ。
当時からしてみると、約20年前のライバル関係だったとしても、ビートルズ対ローリング・ストーンズという図式はやはりあった。ビートルズは優等生でローリング・ストーンズは不良という、かなりざっくり言ってしまうとするならば、そんなイメージだったと思う。そして、1982年の地方都市の高校生男子としては、もちろん不良に憧れる方が健全である。なぜなら、モテそうだったから。中学生の頃に知っていたビートルズファンの男子はサザンオールスターズなども聴いていて、善良なポップスファンという感じで好感が持てたのだが、高校に入ってたまたま出会ったのが、基本的にすべての音楽の最高峰はクラシックであり、ロックなどというのは低俗きわまりないのだが、ビートルズだけは芸術性が高いので特別に認めてやってもいい、という感じだったので、必要以上に嫌なイメージがついた。ポール・マッカートニーの「タッグ・オブ・ウォー」は好んで聴いていたけれども。
ローリング・ストーンズは「スティル・ライフ(アメリカン・コンサート’81)」というライヴ・アルバムをリリースし、これに収録されたカヴァー・ヴァージョンによって、スモーキー・ロビンソン「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」、テンプテーションズ「はかない想い」といった曲をはじめて知った。ライヴの1曲目であった「アンダー・マイ・サム」もこのヴァージョンで初めて知り、とてもカッコいいと思った。それから日本で勝手に編集したと思われる初期のベスト・アルバムを買って、「サティスファクション」「夜をぶっとばせ」「ひとりぼっちの世界」「黒くぬれ」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」と言った曲を気に入っていった。「サティスファクション」のイントロだけなら「クイズドレミファドン」の「イントロクイズ」で少しだけ聴いたことがあったが、回答者の沢田研二がすぐにボタンを押して正解していた。
1970年代に入ってからのヒット曲をあつめたベスト・アルバム「メイド・イン・ザ・シェイド」も高校生のうちに買って、かなり気に入っていた。1983年にリリースした「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」はヒップホップを取り入れた意欲作で、純粋なローリング・ストーンズのファンからはすこぶる評判が悪い印象があるのだが、ミーハーな野次馬ポップスファンにすぎない私はわりと好きである。1978年の「ミス・ユー」も1980年の「エモーショナル・レスキュー」もローリング・ストーンズというアーティスト名は気にしていなかったが、確かにラジオで聴いた覚えはあった。シック「おしゃれフリーク」、ロッド・スチュワート「アイム・セクシー」、ナック「マイ・シャローナ」、バグルス「ラジオ・スターの悲劇」、ドナ・サマー「ホット・スタッフ」のように、アーティスト名と曲名とを意識しなくても覚えるほどでは、まだなかったということだろうか。
1993年に「NME」が1960年代、1970年代、1980年代のそれぞれのベスト・アルバム50枚を選び、さらにオール・タイムでのベスト100を発表した。1960年代で上位に選ばれた「レット・イット・ブリード」「ベガーズ・バンケット」のCDを私は渋谷のFRISCOで買い、かなり気に入っていた。「メイン・ストリートのならず者」は1970年代で5位、オール・タイムで11位と、かなり上位に選ばれていて、これも買おうと思ったのだが、当時、CDは一時的に廃盤になっていた。西新宿のヴィニールという店で中古レコードを見つけて、一瞬、買おうかとも思ったのだが、やはりまたCDが発売されるまで待つことにした。そして、少ししてCDが発売されて買ったのだが、その時はブリットポップが盛り上がっていた頃で、現役の新しいバンドの音楽を聴いていた方がずっと楽しくて、あまり熱心には聴かなかった。それでも、クラシック・ロックとしてとてもクオリティーが高いアルバムだな、とは思った。
「メイン・ストリートのならず者」が最初にリリースされてからこの時までが約22年、そして、その時から現在までが約26年と、こっちの方がずっと長いという事実に愕然とする。そして、いまやロックはポップ・ミュージックのメインストリームではない。まるで昔の音楽のようである。1980年代におけるジャズとかブルースみたいなものなのだろうか。いや、そこまではいかないかもしれない。そして、その時のメインストリームの音楽を聴いていた人が、ちょっと違ったジャンルのものを聴いてみようと思うとき、たとえばジャズならばマイルス・デイヴィズ「カインド・オブ・ブルー」とかジョン・コルトレーン「至上の愛」、ブルースならばロバート・ジョンソン「コンプリート・レコーディングス」のような定盤にあたるのが、ロックでは「メイン・ストリートのならず者」なのかもしれない。
いまやローリング・ストーンズの最高傑作であり、ポップ・ミュージック史に残る名盤の1枚という評価が定着しまくっている「メイン・ストリートのならず者」だが、リリース当時の評価はいまひとつでもあったらしい。それでも、イギリス、アメリカ共にアルバム・チャートの1位には輝いている。曲のタイプにバラつきがあるとか全体的に雰囲気がルーズすぎるとか、その辺りがいまひとつな評価の原因だったようなのだが、次第にだからそこが良いんじゃないというようなことが理解されはじめ、評価も補正されたということである。
CDでは1枚に収まっているが、LPレコードでは2枚組、18曲入りで約67分間である。長くて曲がたくさん入っているのだが、コンセプト・アルバムというわけでもなさそうだ。カントリーやソウルやゴスペルからも影響を受けた、素晴らしいロックンロールがぎっしり詰まっている。イギリスはアーティストに対する税金が高いので、売れてくると海外に移住するというパターンは、わりとありがちである。キースリチャーズが生活もしていたフランスにレコーディング機材などを持ち込み、そこに入り浸ったりしながらレコーディングが行われたらしい。いろいろなアーティストやミュージシャンが出入りしたり、来なければいけない人が来なかったりして、ストレスが溜まったりドラッグ漬けになる者がいたり、状況はそれほど望ましいものではなかったようだ。そんな中から、このアルバムは生まれたのであった。
このアルバムのベーシックとなる演奏はキース・リチャーズが主導してレコーディングされ、ミック・ジャガーは来たり来なかったりしていたらしい。これをこのアルバムが成功した最大の要因とする説もある。その後、ミック・ジャガーがヴォーカルやゴスペル・コーラスなどを付け加えて完成したらしい。
今日、ロックはポップ・ミュージックのメインストリームではなく、まったく聴かなかったとしても充実したポップ・ライフを送ることはできそうである。コンテンポラリーなポップスやヒップホップには、もっと積極的に聴いた方が良いものがひじょうに多い。だとしても、たまには少しだけロックでも聴いてみようかと思い立った場合に、「メイン・ストリートのならず者」はとても相応しい作品なのかもしれない。
