フィオナ・アップル「フェッチ・ザ・ボルト・カッターズ」について。 | …

i am so disapointed.

フィオナ・アップルの約8年ぶりのニュー・アルバムである。デビュー・アルバムの「タイダル」がリリースされたのが1996年なので、24年間でやっと5作目のオリジナル・アルバムとなる。10代でデビューし、シングル「クリミナル」がヒットしてグラミー賞も受賞するのだが、ビデオ・クリップはソフト・ポルノ的な要素も感じられるものであった。「MTVヴィデ・ミュージック・アワード」の授賞式において、フィオナ・アップルはエンターテインメント業界を痛烈に批判、テレビで人気コメディアンはフィオナ・アップルの痩せている体型をからかったりした。テレビでは人気コメディアンが、フィオナ・アップルの痩せている体型をからかい、セカンド・アルバムの原題はやたらと長いのだが、日本ではシンプルに「真実」というタイトルでリリースされた。アメリカの音楽雑誌「SPIN」はレヴューにおいて、この長いタイトルだけを書いて、内容にはまったくふれずに低評価を付けた。フィオナ・アップルもまた、当時のエンターテインメント業界におけるセクシズムの犠牲者であった。

 

その後、フィオナ・アップルは数年おきにアルバムを発表し続けるのだが、そのいずれもが全米アルバム・チャートで10位以内にランクインしているのみならず、音楽的にも進化を続け、高い評価を受けている。とはいえ、何かのシーンやムーヴメントを代表するような存在であったり、ポップ・アイコン的でもなかったりするため、ファン以外には実態がよく分からなくなっていた昨今ではなかったかとも思うのだ。それだけに、今回、8年ぶりにリリースされたこのニュー・アルバムは、これまでのファンのみならず、新しいリスナーにとってもインパクトが強いものになったのではないかという気がする。

 

一時期に比べると影響力が落ち着いた感は否めないが、それでもポップ・ミュージックファンにとっての指標的な役割を果たしがちなインターネット・メディア、Pitchforkはこのアルバムに10点満点を献上したわけだが、これはニュー・リリース・アルバムとしては、2010年のカニエ・ウェスト「マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー」以来のことなのだという。いろいろなメディアのレヴューなどにおける評価を集計し、数値化するメタクリティックというサイトにおいては、歴代最高得点を記録したらしい。

 

それはそうとして、私の個人的な感想はというと、やはりこれはとてつもない作品だな、というようなものである。

 

ビリー・アイリッシュやアリアナ・グランデなどの活躍に象徴されるのだが、近年、ポップ・ミュージック界における女性アーティストの作品に充実したものがひじょうに多い。これは社会における「#MeToo」的な流れともリンクした動きであり、やはりポップ・ミュージックはそれでもいまだに社会を映す鏡でもあるのだな、という気分になるのである(現在のザ・ウィークエンド「アフター・アワーズ」の大ヒットも然り)。現在の社会がかかえる行き詰まり感というか限界というのは、男性を中心とした価値観のそれであり、それゆえにフェミニズムは人類全体の幸福につながる至極真っ当な考えであるわけだが、いまさらそれ以前の低次元な意見や議論をまともに取り上げるには時間がなさすぎるし、とにかく遅れまくっている。

 

それはそうとして、フィオナ・アップルがニュー・アルバムをリリースしていなかった約8年間の間に、まだ十分ではまったく無いとはいえ、世界レベルにおいては、この辺りの意識はかなりまともになったのではないかと思う。昨今の女性アーティスト達の活躍というのは、それとも無関係ではないとは思うのだが、そういった意識がエンターテインメント業界内や社会において絶望的に低い時代から闘ってきたフィオナ・アップルのようなアーティストにとっては、いよいよ機が熟したという感じでもあるとは思うのだが、まさかこの期に及んでこれほど素晴らしい作品が届けられるとは、まったく想像していなかった。

 

まず、音楽的には1曲目の「アイ・ウォント・ユー・トゥ・ラヴ・ミー」はこれまでのフィオナ・アップルのイメージに近いピアノの演奏を中心としたポップスで、それでもラヴ・ソングとしてひじょうに高いクオリティーが感じられる。そして、曲の最後の方に聴かれるフェイクっぽいヴォーカルには、オノ・ヨーコを思わせるようなところもある。フィオナ・アップルはオノ・ヨーコの夫であったジョン・レノンを尊敬していて、ビートルズ「アクロス・ザ・ユニヴァース」の素晴らしいカヴァーも、過去にレコーディングしている。

 

しかし、ピアノの演奏を中心としたシンガー・ソングライターによるポップスというイメージはここまでであり、アルバム全体としては様々な音楽的なアイデアとヴォーカル・スタイルが駆使され、パーカッシヴな印象がひじょうに強い作品となっている。レコーディングが行われたのは主にフィオナ・アップルの自宅があるロサンゼルスのマリブ・ビーチで、バンドによるセッションが中心になっていたようだ。パーカッションには楽器以外にも、家にあったいろいろなものが用いられ、その中には愛犬の遺骨を納めた箱もあったという。犬や猫の鳴き声、チアリーディングを思わせるチャントなどもフィーチャーされ、この素晴らしいポップ・ミュージックを構成する重要な要素になっている。

 

タイトルの「フェッチ・ザ・ボルト・カッターズ」を直訳すると、「ボルト・カッターを持ってこい」とでもなるのだろうか。だから、そのボルト・カッターというのは何なんだよということになると、鋼材などをカットする目的でつくられた工具、クリッパーのようなものである。これはテレビドラマ「The FALL 警視ステラ・ギブソン」において、性犯罪を取り締まる女性警察官のセリフから引用されていて、「声を上げることを恐れないで」というような意味が込められているようだ。この警察官をドラマで演じていたのは、「X-ファイル」のダナ・スカリー役で有名なジリアン・アンダーソンである。

 

このタイトルがあらわしているように、このアルバムに込められたメッセージというのは、やはり自分自身でありながら、声を出すことを恐れないでということであり、これは現在の社会を生きる人々にとって、ひじょうに重要なことであろう。日本で暮らすファンやリスナーにおいても、日本社会を覆う害悪を象徴する糸井重里的な心性を過去の肥溜めに完全に葬り去るという、私の最大の夢や理想にも直結するものであろう。

 

詞や曲の内容とサウンドのクオリティーが拮抗して共に高度であり、時代の感覚にマッチしている。歴史的名盤の条件をかなりのレベルで備えているのではないかと、現時点では思う。

 

「フォー・ハー」という曲は、アメリカの政治家が性犯罪を犯したにもかかわらず、相応と思われる罪を負わされなかったことによる怒りから生まれたものらしいのだが、「あなたは私をレイプした。娘が生まれたのと同じそのベッドで」というフレーズが印象的である。ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」でジョン・レノンが歌っていた「グッド・モーニング・グッド・モーニング」を思わせるフレーズ(元々はケロッグのCMソングにインスパイアされたものだが。ほな、コーンフレークやないか)も、登場したりする。また、「レイディー」という曲においては、男性であるパートナーの不義理によって、女性同士が対立したり争ったりすることへの疑問を投げかけ、シスターフッドをひじょうにユニークなかたちで主張する。

 

「シャメイカ」は、いじめっ子から逃れようとしていた若かりし日を回想したノスタルジックな内容を持つ曲だが、特にそれほど親しいわけでもなかったという生徒が当時、自分に言ってくれたという「あなたにはポテンシャルがある」というフレーズが繰り返される。

 

生楽器による演奏を中心としたオーガニックなサウンドだが、エレクトリック・ミュージックが全盛の今日において、まったく懐古趣味的な感じはしない。むしろ、一周回って新しいのではないかとすら思える。偶然にも新型ウィルスの感染防止のため、一時的な経済活動の停止によって、自然界の環境が回復しているというニュースを思い出したりもした。

 

まったくの余談だが、先日、このブログで発表した「The 500 favourite albums of all time」はこのアルバムをまだ聴いていないという設定で作成したものだが、もしも入れるとするならば10位以内は確実ではないかという気がする。