あいみょんと小沢健二とニューミュージックなどのことについて。 | …

i am so disapointed.

「そして時は 2020 全力疾走してきたよね」という歌詞で、小沢健二の17年ぶりのボーカル入りアルバム「So kakkoii 宇宙」ははじまる。先行トラックとして公開され、「ミュージックステーション」でも披露されたという「彗星」という曲である。

そして次の歌詞が「1995年 冬は長くて寒くって 心凍えそうだったよね」である。この曲は現在と過去との間のことを歌っていると思われるのだが、なぜ参照する過去の地点が1995年なのだろうか。小沢健二が日本に住んではいなかった期間のことをあらわしているとするならば、もう少し後の年になるはずである。

1995年といえば、この前の年にリリースしたアルバム「LIFE」がヒットした余波もある中で、さらにシングルを6枚もリリースし、そのすべてをヒットさせてしまう、「渋谷系の王子様」というキャラクターもお茶の間レベルで知られていった、小沢健二が日本のポップ・カルチャーのど真ん中にいた年である。当時、私が勤めていた会社の先輩は「渋谷系」的なカルチャーにはまったく興味がなく、阪神タイガースとダウンタウンのことばかり話しているタイプだったのだが、パチンコ屋でパチンコ玉を「LIFE」のCDと交換したと言っていて、カラオケで「ラブリー」などをよく歌っていた。

フリッパーズ・ギターが大好きだった私は、じつはこの時代のいわゆるオザケンブームにまったくのれていない。当時、ブリットポップ全盛だったイギリスのポップ・ミュージックやカルチャーに夢中だったということもあるのだが、それでもコーネリアスやカヒミ・カリィのカセット(「MOON WALK」はカセットシングルでしか発売されていなかったから)やCDは買っていた。

当時の小沢健二やそれを取り巻く熱狂が帯びた底抜けな明るさとでもいうべきものに、いまひとつ共感ができなかったのである。たとえば、「誰かにとって特別だった君を マークはずす飛びこみで僕はサッと奪いさる」という歌詞を聴いても、大切な人を奪いさられる「誰か」の方に共感してしまったし、「たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだろ」という歌詞に共感できるほどに日々を素敵だと思ってもいなければ、これからそうなるようにも思えなかった。

その後に小沢健二が発表した音楽は聴いたり聴かなかったりしていて、中にはmixiのマイミクに教えてもらってリリースされてからかなり経ってから聴いて衝撃を受けた「ある光」など、好きなものもあったのだが、基本的には自分にはあまり理解することが難しいタイプのアーティストなのだろうな、とずっと思っていた。

だから、つい先日に仕事場の有線放送ではじめて聴いた「彗星」になぜあれほど心を魅かれたのかもよく分からないのだが、あいみょんや米津玄師やOfficial髭男dismなどと等列に、J-POP最新ヒット&注目曲的な有線放送のチャンネルで流れる、覚えているよりも少し低くなったような気がする小沢健二のボーカルに、なんらかの誇らしさのようなものを感じていたのかもしれない。

その後、私は小沢健二が豊洲でライブを行って、スチャダラパーも登場して「今夜もブギーバック」をやったことを知った。火曜日の夜、仕事から帰る電車で見ていたツイッターで、3年前の中野の居酒屋で、私の現在のハンドルネームを世界ではじめて音声として発してくださった、著名なNegiccoファンのツイートによってである。

この日に小沢健二のライブがあったことも、翌日がアルバムのリリース日であることも知らなかったぐらいに熱心ではなかったのだが、翌朝、Apple Musicに追加されていたアルバム「So kakkoii 宇宙」を聴き、これはすごいのではないかと思って、インタヴューが載っているという「AERA」を買いに行き、その後も移動中やデスクワーク中などずっと聴いていた。帰りには調布パルコの中にある山野楽器でCDを買った。本来は裏ジャケットであろう小沢健二の写真が載った方を表にして陳列していたのは気になったが、キラキラした円形の何枚もの歌詞カードを含め、パッケージも楽しくワクワクさせてくれるものであった。思い返せば、小沢健二がソロになってからリリースしたCDを新品で買ったのは、これがはじめてのことであった。

現在のように有線放送のJ-POP最新ヒット&話題曲的なチャンネルが基本的には流れている仕事場に異動したのは、今年の春のことであった。もはやJ-POP最新ヒットなどはほぼ把握していない私だが、それは仕方のないことだし、悲しいとも思わない。いまのよりも昔の流行歌の方が良かったとも思わない。ただ、その頃に私がリアルタイムで聴いていたから愛着があるだけ、と概ねそのように思っている。

しかし、時々、気になる曲などもあり、Google検索してみて、なるほどこれが名前だけはなんとなく知っているあのアーティストなのか、となる場合もある。あいみょんの「ハルノヒ」が、ちょうどそんな感じだったのである。

どこか懐かしくもあるメロディーとサウンド、聴きやすいが印象にも残るボーカル、それにも増して、「北千住駅のプラットフォーム」という歌詞がとても引っかかった。私自身は北千住駅にまったく思い入れはなく、記憶に間違いがなければ降りたことすら無い。しかし、足立区にあるけしてポップでキャッチーとはいえない駅名を歌詞、それも歌いだしに入れるセンスがとても気になったのだ。おそらく歌っているアーティストの地元、あるいは上京してから下積み時代に住んでいたところとか、そんな感じなのではないだろうかと、私は想像した。

少し時間に余裕があったときに、なんとなく気になっていたあれを調べてみようと思い、「北千住駅 歌詞」とかで検索したのだったと思うが、すぐにそれがあいみょんの「ハルノヒ」という曲だと分かった。あいみょんの名前は若者に人気のアーティストとしてなんとなく認知はしていたのだが、実際にはよく分からなかったし、もうちょっと直情的というか、椎名林檎あたりから影響を受けたようなタイプのアーティストだと思っていた。

そして、出身は兵庫県ということで、まったく北千住と関係がない。さらに調べて、この曲が「映画 クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン〜失われたヒロシ〜」の主題歌で、北千住駅はしんちゃんの父、ヒロシが母のみさえにプロポーズした場所だということも分かった。「僕らは何も見えない 未来を誓い合った」とはそういうことだったのかと納得した。

プロフィールを見ていくと、影響を受けたアーティストとして、吉田拓郎、浜田省吾、尾崎豊などと並んで、フリッパーズ・ギターや小沢健二の名前も挙げられている。一瞬、これらのアーティストの名前が一緒に並んでいることに不思議な感覚を覚えもしたのだが、瞬時になるほどとも思った。どこか懐かしい感じを受けるのだがしっくり来る感じというのは、こういうところから来ているのかとも。

ここ数年、再評価されているシティ・ポップとは違い、よりやわらかさがあり、あたたかみが感じられるような気がする。言ってみればこれは、ニューミュージックにも近いものなのではないだろうか。その特徴は、アナログ感と言い換えることもできそうだ。深夜のクラブのターンテーブルの上で回るアナログレコードというよりは、日射しが差し込む和室のスレテオに似合うような、なんとなくそんな感じである。

あいみょんの名前を音楽ファンの間に広めた曲に、「君はロックを聴かない」がある。やはりどこかノスタルジックな雰囲気もありながら、流行歌としての強度を感じさせるこの曲には、「埃まみれ ドーナツ盤には あの日の夢が踊る」「フツフツと鳴り出す青春の音 乾いたメロディで踊ろうよ」といったフレーズがある。この曲の歌詞は男性の視点で書かれたもので、言葉づかいも男性のそれである。

かつてのフォークソングやニューミュージックには、男性アーティストが女性の視点や言葉で歌ったものも少なくなく、それはある時期には流行していたのだろうし、男らしくないとか女々しいとかいって、批判されることもあったのだろう。フォークソングが流行っていた1970年代、髪を長く伸ばした男性たちは大人から「女みたいな髪型」と言ってバカにされたという話を、よく聞いたような気がする。

また、ニューミュージックが男らしくなく、女々しいものとして批判されがちであった1980年代はじめあたりは、女性的な雰囲気もある男性を平気で「おかま」などと呼んでバカにするような時代でもあった。

私が中学生ぐらいで、いろいろなものの影響を受けやすかったのがこれぐらいの時期で、そのためにフォークやニューミュージック的なものはカッコ悪くてダサいのだという刷り込みがなんとなくあったし、このような感覚を持つ同年代の人たちはわりと多いのではないかという気もしている。

もちろん私の髪も短かったのだが、中学生時代は校則で五分刈りだったので、まあ仕方がない(それで片岡義男のサーフィン小説を読んで「夏は心の状態なんだ」などと呟いていたのだから、得体が知れなすぎるというものである)。

「男らしくあれ 男らしく生きて 男らしく死ねと 呪いかけられ さらなる悲しみ 今日をやっとのことでのりきる」(「影」)、「男らしさらしさなんて ことにもううんざり でも別に 女になる気もないし」(「ナツマチ」)と歌ったのはGREAT3の片寄明人だが、1990年代の半ばすぎ、この女々しさのようなものには大いに共感し、自由を感じたものである。

吉田拓郎が1972年にリリースして大ヒットした「元気です。」というアルバムは、やはりフォークだからという偏見でずっと聴いたことがなかったのだが、昨年にはじめて聴いて、あまりのクオリティーの高さに驚いた。このアルバムに「加川良の手紙」という曲が収録されていて、曲のネタが尽きた吉田拓郎が友人であった加川良の手紙をそのまま歌詞にしたというものなのだが、その中で待ち合わせをした女の子がスカートを履いてきて残念だった、ホワイトジーンだったらカッコよかったのにというようなフレーズがあり、とても良い時代だったのだなと思った。

1970年代の終わりには私もニューミュージックを聴いて、良い曲だなと思ったりもしていた。オザケンブームのようなものに私がのることができなかった理由として、「10年前の僕らは胸をいためてか『いとしのエリー』なんて聴いてた」というような歌詞に、かさぶた剥がし的な気恥ずかしさを感じていたということもあるのかもしれない。

あいみょんが男性の視点と言葉で歌う「君はロックを聴かない」を聴いて、このようなことを思い出したりもした。

数ヶ月前、インターネットで主婦が旦那についての愚痴を書き連ねるタイプの文章を読んだ。お盆休みに旦那の実家に帰ったときにとてもストレスを感じたという内容なのだが、その中で旦那が運転する車に長時間乗っていて感じたストレスのあれこれが語られた後、おまけにかけてる音楽はずっとあいみょんだし、あいみょんなんてどこで覚えたんだよ、というような一文があり、そのリアリティーに戦慄させられた。

あいみょんの音楽には、大人の男性をも魅了する良さというのが確実にある。とはいうものの、やはり一般的に無理して若い人のあいだで流行っているものを聴いているとか、酷い場合には若い女性と親しくしているのではないかとか、良からぬ偏見や誤解の目で見られるリスクをも感じる。だから人前であまり、私はあいみょんが好きだと言わない。「君はロックを聴かない」みたいに言おうとして失敗した。

まったくの余談だが、家族旅行先のハワイかどこかのホテルの部屋で、妻と子供が買い物に出かけたので、一人で西野カナを聴いていたのだが、思っていたよりも早く帰ってきた妻に見つかり、その歳にもなってなに西野カナなんか聴いてるんだよ、と詰められたとあるWHY@DOLLファンのエピソードを思い出した。

さて、話は小沢健二の「彗星」に戻る。けしてすべてが上手くいっているとはまったく言えない世界を現実として認識した上で、それでもこの暮らしこそが宇宙であり、なんて奇跡なのだと、小沢健二は歌う。その根拠として、このような事例が歌われている。

「だけど少年少女は生まれ 作曲して 録音したりしてる 僕の部屋にも届く」

小沢健二は「So kakkoii 宇宙」が発売された3日後の土曜日の夜、NHK総合テレビの「SONGS」に出演した。私はこの週末、ずっと仕事で月曜の夜まで家にも帰ることができない状態なので、これを観ることができなかった。しかし、深夜にツイッターのタイムラインを確認し、あることについて語られたことを知った。

あいみょんが生まれたのは1995年3月6日、小沢健二のシングルでいうと「強い気持ち/強い愛」と「ドアをノックするのは誰だ?」との間である。

小沢健二は今年の2月、気になっていたアーティストのライブを観ようと、会場である日本武道館に行ったのだという。そこは、自分自身が1995年に初めてライブを行った会場でもあったが、着いてみるとそのライブのタイトルも「1995」だったのだという。その後、メールのやり取りもして、彼女が1995年生まれであることも分かった。これが「彗星」の歌詞に強く影響をあたえたようである。

「1995年生まれの人が、僕の曲を聴いて、今は曲を書いて、僕にも届く。それはまたくり返す。言葉は、続いていく」と小沢健二はツイートした。

そういえば「So kakkoii 宇宙」の最後に収録された「薫る(労働と学業)」には、「それは男性の中の女性の あるいは女性の中の少年の あるいは少年の中の老人の 喜びか」というフレーズもあった。



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