初見健一「昭和こどもゴールデン映画劇場」について。 | …

i am so disapointed.

準備していた予定がなくなって、少しだけ時間ができたのだが、それほどのんびりはできなかったので、わりと近くの書店に行ってきた。書原つつじヶ丘店といって、京王線沿線で生活をしはじめた平成元年から利用している。当時は、すぐ近くの別のビルの2階にあって、そこは現在、居酒屋になっている。都心近くに住んでいた頃にはやはり利用していなかったのだが、またこっちの方に住むようになった時、まだちゃんとあってうれしくなった。その後、仙川にも店ができたが、そこは数年前に閉店してしまった。

 

この書店の好きなところは、品揃えが私好みであり、欲しかった本に出会えやすいという点に尽きる。ここ数ヶ月間、東京から少し離れたところで仕事をしていることもあり、書店に行く機会がめっきり減ってしまった。わりと忙しくしていたこともあり、新刊についての情報もそれほど得られてはいなかったように思う。それで、見かけない本がいろいろあって楽しかったのだが、映画や音楽の本が陳列されているコーナーで平積みされている「昭和ゴールデン映画劇場」という本の表紙がすぐに目についた。タイトルのロゴや表紙のデザインが、かつてテレビで放送されていた洋画劇場のオープニングを思わせもする。著者は、ロングセラー商品を扱った「まだある。」シリーズなどを書かれた初見健一である。

 

「まだある。」シリーズもやはりこの書原つつじヶ丘店ではじめて見つけたような気がするのだが、当時、昭和レトロのノスタルジーを感じさせるお菓子や飲料のパッケージを並べ、簡単なコメントを加えた本は他にも出ていて、そのいくつかを私も買って楽しんでいた。しかし、この「まだある。」のシリーズには、そこから一歩先を行った魅力を感じた。まず、見開きの右ページに文章、左ページにカラー写真という構成が良かったし、その文章というのも読んでいてとても楽しめるものであった。商品についてのデータ的な部分と、きわめて個人的な記憶とのバランスが絶妙だと感じたのだ。個人的なことを書くことによって、正史的なものからはこぼれ落ちてしまいがちな時代の空気感というようなものが記録され、それにはとても価値があると思えるのだ。

 

私が10代の頃に読んだ、みうらじゅんや泉麻人による1970年代についての文章がまさにそのようなものであり、それに近いものを私と同世代の人が書くとおもしろいのではないかということは、わりと感じていた。

 

「昭和こどもゴールデン映画劇場」は、著者が小学生だった頃からはじまって、1989年あたりまでに観た映画について書かれている。この時代の映画について書かれた本は数えきれないほどあり、客観的な評価だとかデータ的なものについては、すでに書き尽くされているような印象がある。しかし、それについての個人的な記憶が書かれることにより、それはとてもおもしろい読みものになるし、正史からはこぼれ落ちた時代の空気感のようなものを記録したクロニクルにもなる。これはまさにそのような本であり、むさぼるように読み尽くしてしまった。

 

初見健一さんの本はわりと買って読んでいるのだが、私よりも学年が1つだけ下という同世代感覚と、私が1980年代半ばまでを旭川で過ごしていたのに対し、初見さんは東京の恵比寿で生まれ育った生粋のシティーボーイ(この呼称を当人は嫌がるであろう可能性が大ではあるのだが、地方出身者からしてみるとそうでしかありえないのである)というところが、読書に深い味わいをもたらしている。つまり、同じ時代のことについて書かれているのに、感覚が異なっているという、ここがひじょうにおもしろい。

 

また、この本においては、初見さんのよりパーソナルな部分についてもこれまでの著書以上に言及されていて、映画という題材を通して綴られた青春エッセイのようにも読むことができる。

 

大人になってから東京で出会った友人と、当時の映画についての思い出について、酒を飲みながら楽しく話しているような、そんな印象も持てる本である。

 

友人と酒を飲みながら話すということは、ひじょうに個人的な話もいろいろ出てくるわけだが、そこでは当時のお互いを取り巻く環境の違いや共通点についてやたらと盛り上がり、そここそがおもしろかったりもする。

 

私がはじめて映画館で観た映画はやはり「東映まんがまつり」か「東宝チャンピオンまつり」だったが、初見さんの親はそういうのを観せてくれなかったとか、私が小学生まで映画に行く時は父と2人きりのことがほとんどだったのだが、初見さんはお母さまとだったらしく、その後、デパートのレストランで食事をしていて感想を話し合ったとか、うっとりしながら読むことができた。

 

「スターウォーズ」も父と観に行き、もちろん大興奮したのだが、それで私はSF映画というジャンルが好きなのかもしれないと小学生ながらに思い、その少し後に旭川ではリバイバル上映された、SF映画の最高傑作らしい「2001年宇宙の旅」も観に行ったのだが、当時の私には難解すぎてよく分からなかった。

 

友人と映画を観に行くようになるのは私も中学生からだったのだが、友人たちと大いに盛り上がっていた「Mr.Boo!」が、初見さんにはいまひとつだったのだなとか、小学生の頃に私も「宇宙戦艦ヤマト」の映画を夜に1人で観に行ったことがあったが、初見さんはアニメ映画はさっぱりだったのだな、とかそういうところもおもしろかった。確かに当時、ロックを聴いているような者はあまりアニメを観ていなかったような印象があるし、私もそうではあったのだが、「宇宙戦艦ヤマト」はさすがに観に行って、それなりに感動したりもしていた。

 

あと、ローリング・ストーンズの「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トウゲザー」は旭川で観て、東京に出てきてからも観て、DVDも発売されてすぐに買ったのだが、ちゃんとしたローリング・ストーンズのファンにとって、1980年代の作品はやはり好ましくないのだな、ということを再認識した。単なるミーハーなポップスファンである私は「刺青の男」が大好きだし、「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」なんて遊びでDJのようなことをやる時にもわりとよくかけるタイプなのだが、ちゃんとしたローリング・ストーンズのファンの前では大人しくしていようと思った。

 

「タイムズ・スクエア」について書かれた文章がとても好きで、最高なのだが、この映画は当時、旭川でもCMが流れていて、かなり観に行きたかったのだが、結局は観に行けなかった。1990年代にレンタルビデオ店をよく利用することになって、いわゆる名画リスト的なものを参照したりもするのだが、そういうのにも挙げられてはいなかったと思う。しかし、「NME」かなにかでマニック・ストリート・プリーチャーズのメンバーがこの映画に言及していて、やはりこのバンドは信用できると思ったのだった。数年前にDVDがやっと発売されて、すぐに買って観たのだが、とにかく大好きな感覚で溢れまくっていた。しかし、やはりこの映画は中学生の頃にこそ観ておきたかったと、強く思ったのだった。もしそうだったとしたらどんな感じがしたのだろうと想像はするのだが、もちろんもうすでにそれは叶わないことである。この本における「タイムズ・スクエア」についての文章によって、その感覚を少しだけ味わえたような気もした。

 

ロックを聴いて名画座に通って、演劇の脚本も書いていたという当時の初見さんは、私が旭川で思い描いていた東京の高校生という感じなのだが、フィルムコンサートについて言及された「パフォーマンス 青春の罠」の項に、特にそれを感じた。ちなみに私はこの映画を1990年代に新宿のTSUTAYAで借りて観たような気がする。

 

そして、「さらば青春の光」である。これも20代になってからビデオを借りて観て、かなりガツンときたのだが、初見さんは高校生の頃にやはり名画座で観て、しかもロケ地であるブライトンまで行ってしまったのだという。しかし、出会った現地の人たちはこの場所に特にそれほど思い入れを持ってはいなく、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドを聴いていたというところにリアリティーを感じた。というか、こういうものこそを読みたい、と思った。

 

初見健一さんが高校3年生の年に私は東京で一人暮らしをはじめていることになるが、水道橋の予備校に通う私もまた、大学受験生であった。予備校で恵比寿に住んでいる友人ができて、時々、遊びに行っていた。エビスグランドボウルでボーリングをしたり、香月という店でそれまでに食べたことがないレベルで脂が入りまくったラーメンを食べたり、吉兆という中華料理店からチャーハンをとってもらったりしていた。CDプレイヤーを一般家庭ではじめて見たのも、彼の家だったと思う。恵比寿ガーデンプレイスなど、まだ無かった頃の話である。あのわりとすぐ近くに、「さらば青春の光に夢中になっていた、高校生の初見さんがいたのかと思うと、感慨深いものがある。

 

この本には私が観たことがない映画もたくさん取り上げられているのだが、それとは関係なく、当時の時代の空気感の記録、著者の個人的な青春クロニクルとして、とても楽しく読むことができた。そして、観たことがない「BLOW THE NIGHT! 夜をぶっとばせ」という映画を、近日中にどうしても観たいと強く思った。


初見健一さんにはこの感じで、今度は音楽についての本をぜひとも強くお願いしたい。