苫前は北海道の日本海側沿岸にある町であり、現在の人口は約3000人だが、ピークであった1950年代には1万人を超えていたこともあったようだ。私がこの町に住んでいたのは小学2年からの3年間であり、1974年4月から1977年3月あたりまでということになる。転校する時には野球の軟式ボールに友人からのメッセージが黒マジックで書かれたものをもらい、男子には発泡スチロールでできた部品を組み立てることによってできるソフトグライダーという飛行機のおもちゃ、女子にはいい香りのする消しゴムかなにかをあげたような気がする。
当時も小学校の1学年が1クラスしかなく、人口はそれほど多くなかったと思うのだが、それでも6000人以上はいたようで、現在の倍以上ということになる。転校は父の転勤によるものだったのだが、ここから旭川に引っ越し、そこで高校まで過ごして、卒業後に東京で一人暮らしをはじめた。もしあのまま苫前に住んでいたとしたら、高校を卒業後に東京に行こうと思っていたかどうか、やや疑問ではある。
苫前に住んでいた頃、親戚が住んでいたので留萌や旭川にはたまに行った。留萌には八幡屋デパートというのがあって、上の方の階にあったゲームセンターでよく遊んだ。映画館もあって、叔母によく連れて行ってもらった。これは記憶があやふやなのだが、留萌の映画館では当時、ほっけの燻製が売られていて、それを食べながら映画を観ていたような気がする。もしかすると、あらかじめ持って行っていただけかもしれない。留萌のことは都会だと思っていたが、旭川は大都会だと思っていた。西武百貨店の地下にあったキャンディーつかみ取りのようなものを家族でやるのが恒例で、それは楽しい思い出なのだが、はじめて見た下りのエスカレーターにどうやって乗ればいいのかよく分からず、恐怖でたじろいでいたことを覚えている。留萌の八幡屋デパートや羽幌のサービスセンターに上りのエスカレーターはあったが、下りはなかったのではないかと思う。羽幌のサービスセンターは、下りがゆるやかなスロープになっていたような気がする。羽幌にはおもちゃ屋や本屋があり、苫前に比べるとまあまあ都会だった。羽幌には沿岸バスというバスで行くことが多かった。妹が「ロンパールーム」の腕人形をはめて、それを見ながら寝ていた。
1976年に子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしたが、そのブームは苫前にも押し寄せていた。家にはたいやきくんのソフトビニール人形の中にたいやき型のスポンジが入ったおもちゃがあり、おそらく羽幌の玩具店で買ったのだが、それを風呂場で使っていた。また、当時、井村屋の水ようかんの空き缶を風呂場に持ち込み、それに貯めた水やお湯を弟とかけ合ったりして遊んでいたのだが、あれはおそらく家だけだったと思う。たい焼きを移動販売する車が家の近所にも来たようで、「およげ!たいやきくん」が外から聞こえてきた。買おうと思って外に出ると、栄浜に住んでいる友人が父と一緒に並んでいた。友人の父は笑顔で「およげ!たいやきくん」の音楽に合わせて、リズムを取っていた。「およげ!たいやきくん」のレコードは羽幌サービスセンターにあったレコード店で買ったが、B面には「いっぽんでもニンジン」が収録されていたと思う。
苫前小学校に通っていた生徒の住所は、上町、下町、栄浜に分けることができた。上町は小学校から近く、郵便局や信用金庫なども近くにあった。下町は港の方である。栄浜は海水浴場がある方になる。夏には栄浜に泳ぎに行っていたが、こんにゃくを串にさして味噌をつけただけのおでんが好評であった。妹と遊びに行って、お歳暮かお中元でもらった洋菓子の空き缶にたくさんの貝殻を拾って帰ってきたりしていた。
留萌信用金庫の向かい側あたりで縁日の出店が出ることがあり、家では確か千円ぐらいのお小遣いが親からもらえ、それでくじを引いたりして遊んでいた。私はいろいろな種類のくじなどをちまちまと楽しみ、読売ジャイアンツのヘルメットの形をした小銭入れや、ロッテチューインガムのようなかたちをしているのだが、引くと指が痛打されるドッキリ玩具的なものを当てるだか買うだかしていた。奥の方にはスマートボールがあり、これもやった記憶がある。ところが弟は小遣いのすべてを亀すくいに使い、しかもすくえずに帰ってきた。母が怒って出店に行って、ミドリガメを1匹もらって帰ってきた。留萌信用金庫の上の階では、子供たちによる絵画や書道の展覧会のようなものが開催されていることもあった。
平岡薬局はもちろん薬局ではあるのだが、プラモデルも売っていて、ロボダッチの小さいのが4つセットになっているやつなどをよく買っていた。また、当時の子供たちの多くに馴染みが深いと思われる、昆虫採集セットもここで買った記憶がある。注射器と赤、緑の液体などが入っていて、赤が殺虫剤で緑が防腐剤ということになっていた。ダックスフントのような犬が、店の奥で飼われていたはずである。工藤商店は肉や魚や野菜を売っているスーパーのような店で、母が食材をよく買いに行っていた。遠足のおやつもここに買いに行っていて、カルミンやコメッコといったお菓子を、決められた金額以内に収まるように計算しながら買っていた。店名は忘れてしまったのだが、駄菓子屋のような店があり、そこにもよく行っていた。誕生日にもらった500円で、「勇者ライディーン」のカードくじのようなものをセットで丸ごとかったのだが、同じものが何枚も入っていたし、やはり引いて何が出るか分からないという楽しみがなくてつまらないと思った。ここでもプラモデルが売られていて、冬の土曜日に学校が終わってから、「がんばれ!!ロボコン」に出てくるロボカーのプラモデルを買った。そのまま栄浜から通っていた友人と一緒に彼の家に行き、そこでロボカーのプラモデルを組み立てた。
彼の母がカップ焼きそばをつくって、出してくれた。それはテレビのCMで観たことはあったが、まだ食べたことがないものだった。焼きそばというのだから、そばを焼いたようなものだと思っていた。ところがそれはラーメンのような麺で、ソースで味付けされていた。世の中にこんなにもおいしいものがあったのかと、衝撃を受けた。私のカップ焼きそば好きは、はっきりとこの日にはじまったのであった。いつかあの時のお礼を言いたいのだが、転校してから連絡は取っていない。転校寸前に森田公一&トップギャランの「青春時代」がヒットしていて、学校の廊下を上級生が「青春時代の真ん中は 胸にとげさすことばかり」と歌いながら歩いてきた。栄浜から通っていた私の友人はすれ違った瞬間に、「ウッ、胸にとげが刺さって痛い...」などと言って、上級生からどつかれていた。それが彼についての、最後の記憶である。
私がロボカーのプラモデルや「勇者ライディーン」のカードくじなどを買った駄菓子屋のような店の近くには床屋があり、私も弟もここで髪を切っていた。髪を切ってもらっている間、この店の子供が親に無断でポンジャンという家庭用のマージャンのようなゲームを買ったことで揉めはじめるということがあった。この件について、家に帰ってから弟に話したところわりとうけたので、この顛末を当時、ヒットしていたかまやつひろし「我が良き友よ」のメロディーにのせて歌ったりしていた。歌いだしの「下駄をならして奴がくる」のところが「俺が床屋に行ったとき」だったのは覚えているのだが、それ以外はすっかり忘れてしまった。
道路をはさんで反対側に、小島時計店があったと記憶している。北海道新聞の朝刊に早耳新聞なるチラシが折り込まれていて、小島時計店に行くとくじが引けて、おもちゃがもらえるという。私と弟は開店してすぐに急いで行って、何かしらのおもちゃをもらったような気がする。ここではレコードも扱っていて、旭川に引っ越してから一度だけ来た時には、ピンク・レディー「カルメン’77」がディスプレイされていたのを覚えている。
その先に八代呉服店という寝具などを扱っている店があり、そこの息子は同級生であった。苫前小学校に向かう曲がり角のところに、確か小坂商店という名前だったと思うのだが、酒屋があった。ここには雑誌も少しだけ入荷していて、毎号楽しみにしていた「テレビマガジン」はここで買っていた。似たような子供向けの雑誌として「テレビランド」というのもあったのだが、これは苫前では買うことができず、羽幌に行った時に買ってもらっていた。「仮面ライダーアマゾン」のビジュアルが「テレビマガジン」で発表され、雑誌を学校に持って行くことはできなかったのだが、記憶に頼ってそれを教室の机に鉛筆で書き、友人に見せたところ、新しい仮面ライダーがこんなにカッコ悪いはずはないと言われ、信用してもらえなかった。鉛筆といえばトンボ鉛筆を1ダース買うと、ドリフターズの首チョンパというおもちゃがもらえた。ある男子生徒がこれを学校に持ってくると、他の生徒に取られたりして問題になり、持ってきた生徒が怒られて泣くということがあった。
苫前には書店もあり、家からわりと近かったような気もするのだが、雑誌はこの酒屋で買った印象の方が強い。書店の方では年末に家計簿が付録についた「主婦の友」のような雑誌が平積みになっていて、母がそれを買っていたり、「どっかんV」なる野球漫画に特化した子供向けの雑誌を買って、付録にバットの形をしたボールペンが付いていたがすぐに書けなくなったことなどを覚えている。
「テレビマガジン」を買っていた酒屋の向かい側には古谷商店があり、母が食材を買うのについて行ったりったり、妹とおつかいに行ったりしていた。女性店員が舌足らずに、「ちっちゃいニンジンだにゃあ」と言っていた。2008年の秋、31年ぶりに苫前を訪れたのだが、子供の頃にはとても大きな建物だと思っていた古谷商店が、実際にはそれほど大きくはなかったという事実に気づかされた。もちろん私の身長が当時よりも伸びたからに他ならない。
苫前小学校に行く途中に宇佐美自転車店という店名だったと思うのだが、自転車店があった。三浦友和が載ったハガキサイズの自転車の広告があり、それを持って苫前駅まで行った。特に用があるわけでもないのに、駅まで行くことはわりとあった。2人の女学生が時刻表を見上げながら、「どちらもどちらも大好きよ」「私の心は決められない」とフィンガー5「恋のアメリカン・フットボール」の一節を口ずさんでいた。苫前駅を通っていた国鉄羽幌線は1987年に廃線になったため、この駅ももう存在していない。
苫前に映画館はなかったが、夏に会館のようなところで上映会のようなものが行われていた記憶がある。夜のわりと早い時間帯に子供向けの映画が上映され、夜遅くには怪談もの、東京オリンピックの記録映画などもやっていたような気がする。また、子供たちが神社に泊って、話を聞いたりするイベントもあったと記憶している。