1998年の5月に福岡に行った時の記憶。 | …

i am so disappointed.

1998年4月30日の夕方は代々木から新宿の高島屋タイムズスクエアまで歩いて、紀伊國屋を見たような気もする。翌日は家を出て、渋谷の東急にあった映画館で「ジャッキー・ブラウン」を観たはずである。翌日からは福岡に出かけることになっていた。現在、妻になっている人の実家があり、挨拶的なものに行くことになっていたからである。正確には前の年の夏に一度行っていて、この時は旭川から私の両親も行ったのであった。

 

新幹線で小倉まで何時間ぐらいかかったのだろう。当時も現在とは違う猫を飼っていたが、友人が泊って世話をしてくれていた。途中で大阪や広島も通過したが、この時点ではまだ一度も行ったことがなかった。広島にはいまだに行ったことがない。それはそうとして、小倉に着いた。駅前を高い位置にから見下ろすと、とにかく黒いタクシーがたくさん停まっていたのが印象的であった。前に訪れた時にはレトロなムードが漂っていて、男性トイレが一枚の壁だったのが印象的だったのだが、数ヶ月間の間に立派な駅ビルができ、ソフィスティケイトされた感じになっていた。

 

駅前から商店街が続いていて、かまぼこを出来たてで売っている店があった。私はさつま揚げがかなり好きだったので、きっとこれも好きだろうと思い、何種類か買って食べ歩いてみたのだが、想像を超えるおいしさで軽く感動した。ここではこれのことを天ぷらと呼ぶことも、はじめて知った。ベニヤ板のようなテーブルで昼間からワンカップのようなものを飲んでいる、なんの仕事をしているのかよく分からないような人がいたりして、かなり心地よいグルーヴが感じられた。皿うどんの印象というのは、ベビースターラーメンのようなものにあんかけがかかっているというか、いわゆるかた焼きそばのようで、わりと好きだと思っていた。本場は長崎なのだろうが、小倉の商店街を歩いているとちゃんぽんや皿うどんの店があったので、ここで食事をすることにした。驚いたのはラーメン、ちゃんぽんと書かれていたことである。東京ではラーメンとちゃんぽんとは別々の店で食べるような印象があるのだが、九州では一緒なのかと思ったのである。

 

皿うどんを注文して、程なくして届いたのだが、これがまた驚愕すべきおいしさであった。東京で食べたことがあるそれとはグレードが確実に異なり、かまぼこがさつま揚げ的なものとピンクと白のやつとが入っていたり、貝のエキスが強めに感じられたり、いろいろ素晴らしかった。小倉駅からローカル線に乗るのだが、ホームに「ぷらっとぴっと」などと書かれた店があり、おそらく俳優、ブラッド・ピットにインスパイアされたネーミングなのだろうが、この脱力感は確実に好きだと思えた。電車にはひじょうに素朴な感じがする女子高校生が数名乗車していたのだが、ダイエーホークスの選手の話をしていて衝撃を受けた。地方にプロ野球の球団があって、地域に根づいている場合、女子高校生もプロ野球選手の話をするようになるのかと、北海道をフランチャイズとするプロ野球球団の出現についてなど想像したことすらなかった私は思ったのだった。

 

駅には藤井フミヤがJRの制服を着たポスターが貼られていた。チェッカーズでデビューする以前に、九州の国鉄で働いていた話は有名なのだという。駅の隣にタクシー会社があり、すぐに乗って数十分ほど行った先に、現在は妻になっている人の実家があった。その前に小倉で私の両親と合流しているのだが、着いてみると豪華な料理などが用意されていて、実は大げさなことになっているなと感じたのであった。ひとしきり挨拶的なことをしたり料理を食べたりしていた、後に妻となる人は実家に泊まり、私と両親は博多のホテルに泊まったのだと思うが、その時、そちらの方に住んでいた現在の妻のお兄さんの車に乗せてもらったのであった。カーラジオから大黒摩季の「ら・ら・ら」が流れ、現在の妻のお兄さんは私の両親に、仕事は5月の連休中も休みではないが、上司がいないので身が入らないというようなことを言っていたような気がする。

 

博多駅の近くの適当なラーメン店に入ったのだが、やはり本場らしくおいしかったのと、テーブルにタッパーに入った高菜が置かれていて、いくらでも無料で入れ放題であることに感激した。当時、豚骨ラーメンは現在ほど全国的にポピュラーではまだなかったような気もするのだが、それほどこってりしてはいなく、それが食べやすくてよかった。ホテルに泊まったのだが寝つけずに深夜に近所のコンビニエンスストアにいくと、高菜と明太子の味のふりかけが売られていてご当地気分を感じたりもした。翌朝、お土産を買う両親に付き合ったのだが、いわし明太とかいういわしに明太子が入ったものを頼まれたということで、そんなものは見たことがないと言ったものの、土産物屋に行くとたくさん売られていた。それからローカル線に乗って博多まで来た現在の妻と合流してどこかへ行ったはずなのだがよく覚えてはいなくて、電車の中で誰かが読んでいるスポーツ新聞の見出しでX JAPANのhideが亡くなったのを知った記憶だけが強く印象に残っている。

 

それから両親とは別れ、私は現在の妻と行動をし、夜にはその実家に泊まったと記憶している。キャナルシティでバルーンアートの人を見たり、ラーメン店、おそらく一風堂だったと記憶しているのだが、その前に人がたくさん並んでいたのだが、回転がひじょうに速く、それほど待たずに入れたこと、HMVでGLAYの「誘惑」と「SOUL LOVE」が推されていたことなどを覚えている。

 

博多どんたくの季節なので、あちこちでその告知を見かけた。記憶が1997年の夏に行った時のものと混同しているところもあるが、「福岡ウォーカー」という雑誌を買って、表紙がSPEEDであった。若者に人気だという親不孝通りというストリートを歩いたりもした。大きな公園に行くと、屋台でホットドッグが売られていて、それを買って食べたりもした。うどんが東京とはまったく異なり、薄くて上品な味だと感じた。新宿の紀伊国屋書店の地下に博多うどんの店があり、これをきっかけにたまに行くようになったが、現在はもう無いはずである。

 

あと、劇団四季がミュージカル「キャッツ」を上演していたらしく、駅前で団員がアカペラで「メモリー」を歌ったりしていた。おそらくあの健康食品的なものの通信販売でおなじみの会社だったのではないかと思うのだが、「やずやのやの字はどう書くの?こう書いてこう書いてこう書くの」などと歌いながら、尻で文字を書くような動きをするという出しものもあったと記憶している。小倉城で梅が枝餅というのを買って、食べながら歩いた。現在の妻が子供の頃によく買ってもらって食べていたらしいのだが、別にどうということはなく、ただ懐かしいから買いたくなったのだという。しかし、素朴な味ですごく良いと思ったのだ。いまだに新宿の京王百貨店で開催される全国うまいもの市的なもので見つけると、つい買ってしまうのだ。

 

小倉駅前にはUCCコーヒーのカフェというか喫茶店のようなものがあったような気がする。あと、地元銘菓のようなものを扱っている店もあった。駅の反対側にはラフォーレ原宿小倉があった。ラフォーレ小倉ではなく、ラフォーレ原宿小倉である。ここの確かタワーレコードで、帰りの新幹線で読もうと、なぜか「ザ・ホール・ポップ・カタログ」なるわりと厚めの洋書を買ったのであった。これは現在も自宅の本棚にある。