「ブラック・クランズマン」について。 | …

i am so disappointed.

スパイク・リー監督による映画「ブラック・クランズマン」が日本では3月22日から公開されていて、一刻も早く観に行きたかったのだが、なかなかタイミングが合わず、行けずじまいであった。まず、勤務地が都心から離れたことにより、観に行ける劇場の選択肢がひじょうに少なくなった、具体的にはTOHOシネマズ南大沢ぐらいしか無くなったというのがまずあったのだが、この映画は上映時間がわりと長く、一日の上映回数もそれほど多くはない。19時10分からの回というのは仕事が終わってからだと間に合うことがなかなか難しいのだが、次の21時35分からのが最終回であり、これだと観終わった後に終電が終わっていて、自宅にも勤務地にも戻ることができない。仕事が休みの日でも打ち合わせだとかいろいろ予定が入って、なかなかうまくいかない日々が続いていた。この日もそんな感じでほぼあきらめかけていたのだが、なんとか大丈夫そうな時刻に終わり、しかも勤務地から徒歩約12分ぐらいの最寄り駅まで車で送ってもらえたので、開演30分ぐらい前には南大沢駅に着くことができた。

 

南大沢では10年ぐらい前まで働いていたこともあるので、TOHOシネマズの場所も分かっている。というか、改札を出て右に曲がってすぐである。とはいえ、実際に入ったことは一度もなかった。とりあえず同じ建物の1階にあるはなまるうどんに入り、トレーにちくわ磯辺揚げだけ載せ、レジで温玉ぶっかけの温かいのの中を注文した。支払いをするタイミングで天かすや生姜を入れ、箸を取り、首都大学東京の学生と思われる若者たちの間の席を取り、約5分程度で平らげたのであった。それからラーメン店などの前を通り、自動ドアを抜け、エスカレーターを上った。最近の映画館特有のメープル味のポップコーン的な香りにテンションが上がりつつ、券売機でチケットを購入した。レディースデーだというのに席にはかなりの余裕があったし、ロビーもまったく混み合ってはいなかった。「ブラック・クランズマン」はスクリーン1という、わりと大きめのところで上映されるようだ。案内やCMのような映像が、次々と流れた。最後列のど真ん中の席に着くと、周囲に観客はほぼ誰もいなかった。睡眠不足気味かつわりと疲れてもいたので、上映開始まで気を抜いてうとうとしていて結構、気持ちがよかったのだが、目を開けると映画はもうはじまっていた。これは不覚だったのだが、おそらくまだそれほど時間が経ってはいない。

 

スパイク・リー監督の映画は1990年に日比谷シャンテ・シネで「ドゥ・ザ・ライト・シング」を観てひじょうに衝撃を受け、過去の作品のビデオを借りて観たり、しばらくは新作が公開される度に必ず観ていたのだが、そのうち観たり観なかったりするようになり、ここ数年は観てもいなかった。今回の作品はアメリカなどで公開された昨年から話題になっていて、日本で公開されたら必ず観ておこうと思っていたのであった。とはいえ、人種差別団体のクー・クラックス・クラン(KKK)がテーマになっているということ以外にそれほどよくは知らず、最近になってやっと予告編をチェックした程度であった。テンプテーションズの「ボールズ・オブ・コンフュージョン」が流れていて、わりとスタイリッシュで、想像していたよりもエンターテインメント性の高い作品のように思えた。

 

人種差別と性差別は悪であり、戦うべき相手である。この作品にはそれらに対する強い怒り、そして、激しいメッセージが込められているが、そうでありながらエンターテインメント性もまったく失ってはいない。過去の実話に基づいた書籍を原作としていて、黒人の警官が人種差別組織のクー・クラックス・クラン(KKK)に潜入するという内容である。主人公の黒人警官が白人の人種差別主義者を装ってクー・クラックス・クラン(KKK)に電話をするが、実際に組織に潜入するのは彼とタッグを組んだ白人警官である。人種間には対立があり、争いは避けられないものであるかのようだが、差別主義者を許さないという意識、目的に基づいて共闘することは可能である。それを痛快でエンターテインメント性が高いところもあるストーリーを通じて、メッセージとして訴えているようでもある。

 

しかし、この作品がテーマとしている問題はけして過去に終わってはいなく、現在も続いている。それを作品の最後の方では見事な手法で表現し、明確なメッセージで締めくくっている。

 

当時のポップ・カルチャーに対する言及や、スタイリッシュなところもありながら、ひじょうに重要なメッセージを伝える、素晴らしい作品である。スパイク・リー監督の作品では、「ドゥ・ザ・ライト・シング」「マルコムX」の次に好きかもしれない。