ドゥ・ザ・ライト・シング〜NGT48をめぐる報道などについての雑感。 | …

i am so disappointed.

2019年1月9日は水曜日で、年が明けてから初めて仕事を完全に休める日になっていた。それで、午前中からとあるフィールドワークを目的として、六本木と恵比寿に行ってきた。私がNGT48をめぐるこの件について知ったのは、ちょうどこの日のことであった。

 

NGT48のあるメンバーが帰宅時に男性から襲われ、ひじょうに怖い体験をした。そのことをインターネットの配信で涙ながらに訴えていたところ、突然に打ち切られたということであった。その時の動画にリンクが貼られていたので、さっそく視聴してみたのだった。

 

NGT48についてはほぼまったく知らないに等しく、もちろんこのメンバーの顔と名前についても初めて認識した。配信はどうやら自室から行われているようである。過去にアイドルによる配信番組を何度か観たことがあったが、たいていはどこか事務所や会議室のようなところから行われていて、近くにスタッフもいるような感じであった。しかし、この動画はまったくプライベートな空間から、個人的に配信されているようにも思えた。以前にAKB48グループ関連のトピックについて調べる時に、メンバーの配信を切り取った動画をいくつか観たことがあり、その時にもそういえばこんな感じだったような気がした。ファンにとってはもちろんこちらの方が、よりうれしいのだろうとは思う。

 

そこで、このメンバーは泣きながら、次のようなことを話していた。

 

「モバメもね、送ってるんだけど、止められて、なにも送れない。全部本当のこと言いたいけど、本当のこと言わないとなにも解決しないし、私とまた同じ目に遭う人がいるのに、結局この1ヶ月待ったけど、なんも対処してくれなくて、今村さんだってクリーンなNGTにするって言ったのに、新しいNGTにするって、悪いことしてる奴らだって解雇するって言ったくせに、なんも対処してくれてなくて、みんなの個人情報もバレてるし、また私と...本当に真面目にやってる子たちが私と同じ怖い目にするのはもう耐えられないし、今回、私は助かったからよかったけど、殺されてたらどうするんだろうって思うし、取り返しつかなくなったら、もうなにも間に合わないのに。なんで他のグループでは許されないことがNGTで許されるかも分かんない。生きてる感じがしない。普通にみんなとこの前も〇〇選抜でしてさ、チームGになって毎日楽しくて、テンションも高くなっちゃって、みんなで笑って、普通にニコニコしてるだけで十分楽しくて、それだけでしあわせだったし、それなのになんでこんなことになるか分かんない。真面目にやるのが悪いの?恋愛してる方が正義なの?分からない、そんなのもう。意味が分からない。なんで真面目にやってる人がこんな目に遭わなきゃいけないか分からない。真面目にやってきたのが悪いの?なんでこんな怖い目に遭わないといけないの?ずっとずっと言いたかったけど、全部対処してくれるって言ったから、この1ヶ月怖かったけどずっと待ってた。だけど結果、なんもしてくれなくて、悪いことしてた人たちも全部そのままで...意味が分かんない。誰かが取り返しがつかなくなったらどうするんだろう。全部本当のこと言いたいけど、お世話になってる人たちにも迷惑が」(※〇〇の部分はよく聞き取れなかった)

 

と、ここで私が視聴した動画は切れていたのだが、実際にここで配信そのものが打ち切られたのだという。その後、このメンバーによるツイートをいくつか見た。

 

私は性差別や性暴力の被害や、その記憶に苦しむ女性に、過去、幾度となく出会い、話を聞くことによって、この社会がいかに女性にとって生きづらく、それを犠牲とした男性の都合によって成り立っているのかを実感した。しかし、男性である私はそれを身を持って体験することはできず、あくまで想像の範囲でしかありえないのだが、それでもこれは正しくはなく、変えていかなくてはならないと強く思った。それで、自分自身に出来る範囲で、これらの問題について異議申し立てをし、正そうと思いながら日々、生活をしている。

 

私はポピュラー音楽を聴くことを趣味としていて、その中にはアイドル・ポップスも含まれる。アイドル・ポップス全般が好きなわけではなく、すごく好きなものもあれば、まったく興味がないものもある、という感じである。2007年2月14日にリリースされたモーニング娘。の「笑顔YESヌード」はアシッド・ジャズみたいな楽曲が純粋にカッコイイと思い、メンバーそれぞれの声質を生かしたパート割りもひじょうに楽しいと思ったのであった。しかし、その後、当時のメンバーであった道重さゆみのキャラクターに興味は移り、ラジオ番組を毎週欠かさず聴き、そのトーク内容をテキストに起こしてインターネットに公開したり、彼女を育んだ地元の山口県にフィールドワークを行うようになった。

 

道重さゆみの念願であったブログ開設がついに叶ったのは、2010年2月のことであった。現在のアメーバブログではなく、GREEであった。その頃、AKB48の人気がうなぎ上りだったが、私もよく閲覧したり書き込んだりしていたモ娘(狼)板では、AKB48についてのバッシングがとても激しく行われていた。そんな事情もあり、私もAKB48についてはあまり良い印象を持ってはいなかったのだが、2009年の神宮外苑花火大会に妻と行った時に、たまたまAKB48のチームBによるライブがあり、確かその時が「言い訳Maybe」の初披露だったと思うのだが、曲がとても良いと思ったし、会場に来ていた家族連れなども普通に楽しんでいる様子がとても良いと思ったのだ。これはかなり新鮮であった。というのも、当時、モーニング娘。の人気は私がまったく興味がなかった国民的アイドル的アイドルグループだった時と比べるとかなり落ち着いていて、ファン層もかなり高齢化、先鋭化していたからである。

 

私にとってアイドルといえば中高生だった1980年代のイメージが強く、その頃は同世代の若者が疑似恋愛的に楽しみ、ある程度の年齢になれば自然に卒業するようなタイプの文化だったと記憶している。モーニング娘。がブレイクした1990年代後半、私はすでに30代だったので、もちろんアイドルなどに興味を持つはずがなかった。職場にいた10代や20代のアルバイト学生が、やれなっちだとかごっちんだとか言っているのは、自分自身の若かりし頃を思い出すようで微笑ましいと思っていた。しかし、一方で、私と同世代の、おニャン子クラブに夢中になっていたような大人たちの中にもまた、モーニング娘。を追いかけている人たちがいるということであった。その時にはおそらく私とはまったく異なる価値観を持つ人たちなのだろうと思っていたのだが、2014年11月26日、私は横浜アリーナでピンク色のキングブレードを振りながら、道重さゆみの卒業スピーチに号泣していた。

 

2010年、AKB48が「ポニーテールとシュシュ」をリリースした頃、道重さゆみが深夜のインターネット配信において、最近、AKB48にハマっていると思わせる発言、というかジェスチャーをして、当時の一部のハロー!プロジェクトファンから激しくバッシングを受けた。私は道重さゆみがこのように、当時のAKB48の魅力を素直に認められていたからこそ、その後にリーダーとしてモーニング娘。を再び盛り上げることができたのではないかと思っていたのだが、当時の先鋭化、原理主義化した一部のハロー!プロジェクトファンに、それは到底受け入れることができないものであった。よって、私もこのような閉鎖性にうんざりして、当てつけのようにして「ポニーテールとシュシュ」のCDを買って「AKB総選挙」で渡辺麻友に投票したりするようになるのだが、やはりただの野次馬なミーハーに過ぎないので、それほど長くは続かなかった。当時やっていたブログのタイトルから、私は一部インターネット上では「生きる」などと呼ばれたのだが、当時、モ娘(狼)板に「元道重ヲタの『生きる』氏がAKBに寝返ってハロプロを叩いている件」なるスレッドが立てられてもしていた。

 

その後、まあいろいろあって、2016年の年始あたりには今度こそもう二度とアイドルに興味を持つこともないだろうなという気分にもなっていたのだが、とあるきかけで新潟を拠点とするアイドルグループ、Negiccoの音楽をはじめて聴いて、そのクオリティーの高さに驚愕し、その後、いろいろ調べていくうちに、メンバーのキャラクターやグループの歴史、運営やファンをも含めたその文化が好きになり、気がつくとライブやイベントがあるわけでもないのに、このグループを育んだ街のことが知りたいと思い、新潟に行っていた。AKB48は会いに行けるアイドルというコンセプトが成功し、国民的な人気アイドルグループとなったが、その後、名古屋の栄を拠点とするSKE48、大阪は難波のNMB48に続き、新潟にNGT48を誕生させた。

 

「会いに行けるアイドル」 のコンセプトを実感したのは、やはり2010年、渡辺麻友が所属していた渡り廊下走り隊の「青春のフラッグ」というCDを1000円ぐらいで1枚買うと、それだけでミニ・ライブや握手会に参加することができた。その敷居の低さに驚いたのである。その後、ハロー!プロジェクトでも握手会などが頻繁に行われるようになっていった。

 

しかし、AKB48とその派生グループについては、その後、それほど興味を持つわけでもなく、たまに楽曲が良いと思うことがある程度であった。新潟に行った時は、せっかくなのでラブラ2という商業施設の中にあるNGT48劇場の場所だけは確認していた。新潟駅から少し離れた万代シテイというところにあり、バスセンターの立ち食いそば店、万代そばのカレーがとても美味しい。

 

私がなぜ今回、このNGT48をめぐる一件に関心をいだき、その後、ほぼ強迫観念に近いぐらいのテンションで気になり続けているかというと、それはNGT48というアイドルグループというよりは、性暴力、及びそれを真剣に守ろうとしているようには思えないレイプ・カルチャー、あるいは権力が個人の尊厳を蔑ろにしようとする環境、そういった、私が日頃、ひじょうに重要視している問題とひじょうに関わりがあるからであろう。

 

また、初めに視聴した動画や読んだツイートの印象、まずは内容に心が苦しくなったのだが、それによるリスクを認識しながら、やむにやまれず、そして勇気を持って告発したその姿勢に強く心を打たれた。そこには、正しいことを行おうとする者としての共感、そして、尊敬の念があったのではないかと思う。

 

その後、この件についていろいろなことを調べた。翌日、新潟で行われたライブにおいては、なぜか被害者であるこのメンバーが謝罪させられるという、まったくもって不可解なこともあり、一説によると、その時に客席の最前列には加害者のグループが陣取っていたという話もある。真偽のほどは定かではないが、これはとんでもない女性蔑視であり、かつ人権侵害である。

 

「会いに行けるアイドル」というビジネスモデルはAKB48の運営が発明した新しいスタイルであり、衰退する音楽メディア産業の救世主という見方も、見ようによっては確実にできる。なぜなら、よりたくさん会うために、ファンは同じCDを何枚も買うからである。AKB48グループの場合は、「AKB48総選挙」があり、CDに封入された投票券は1枚につき1票である。よって、たくさん買えばそれだけ投票することができて、贔屓のメンバーをより上位に上げることができる。お金をたくさん使うファンのことを「太い」などと表現することは、アイドルのことをいろいろ調べるうちに知ったことなのだが、今回、NGT48に関することを調べているうちに、これはもともとキャバレークラブなどの業界で使われていたものらしい。私はキャバクラことキャバレークラブには付き合いで過去に2回だけ行ったことがあったし、お金もまったく使ってはいないのだが、話はそこそこ盛り上がったものの虚しいというか、まったく楽しむことができなかったので、おそらく向いていないのではないかと思うのだ。

 

いわゆる「会いに行けるアイドル」ビジネスもそれに近いものではないかという指摘はごくありふれたものであり、実際にそうなのだろう。たとえば私が中学生や高校生だった頃のアイドルといえば、とても手が届かない存在であったが、「会いに行けるアイドル」時代以降は、そうではなくなった。ルックスやキャラクター、歌やダンス以外に、ファンに対する対応力というのが重視されるようになった。私もブログなどに書いているものや書いていないものも含め、アイドルのライブやイベントには行ったことがあるのだが、最近のアイドルがファンを認知する早さには驚くべきものがある。同じCDやグッズをいくつも買って、一度のイベントで何度も握手したりチェキを撮ったりする、しかもアイドル本人の親ぐらいの年代のファンも珍しくはない。こういったアイドルからの認知によって自己承認欲求を満たすことは、趣味としてはまあいいのだが、中にはメンバーから自分よりも不当に良い対応を受けているように思えるファンを敵視し、集団で嫌がらせをしたり、SNSなどで陰湿に攻撃したりというケースもあるらしく、そういった場合、アイドル自身がひじょうに努力をして、楽曲もパフォーマンスも優れているにもかかわらず、なかなかファンが増えない、というか実際には新しいファンが増えてはいるのだが、それと同じぐらいの勢いで去っていくファンも少なくはないという噂である。

 

運営やアイドルにとって、お金をたくさん使う、つまり太い客というのはひじょうにありがたいものであり、多少のデメリットはあっても繋ぎ止めておきたい、大切にしていきたいというのが本音であろう。特にいわゆる地下アイドルと呼ばれる、世間一般的にはそれほど知名度はなく、メディアよりもライブを中心としている場合には、なおさらであろう。とはいえ、運営がファン層を広げていこうと強いヴィジョンを持っている場合には、しっかりとした基準を設けてもいるようである。

 

今回、NGK48をめぐる一件においては、運営や一部の影響力のあるメディアが、告発をしたメンバーの主張とはまったく異なったストーリーを公表し、それを信じさせようとしているように思える。告発をしたメンバーの主張は、被害妄想によるものだとでも言いたげな様子である。この件についてのインターネットでの意見を見る限り、関心を持つ多くの人たちは、メンバーの主張の辻褄があまりにも合い過ぎているのに対し、運営や一部の影響力のあるメディアによるストーリーが、なにかを守り、隠すために無理やりでっち上げたもののように見えているようだ。そもそも、言っていることがコロコロ変わっているのに対し、メンバーが告発した内容については、様々な情報が集まるにつれて、信憑性を増しているのであった。

 

ビジネスなので、金儲けのためにいろいろな手法を編み出すのは企業努力であり、経済活動としてはひじょうに正しい。たとえば週刊誌がより安価な報酬でニュースバリューの高い情報が提供できる学生などを記者として雇い、それによって実際に売り上げ部数が上がったとするならば、それは立派な生産性の向上である。また、音楽ソフト業界でいえば、いわゆる「AKB商法」と呼ばれもする、CDに握手券や投票券などを封入することによって売り上げを伸ばす方法もそうだろう。しかし、この2つのシステムがマッチポンプ的に要因となって、犯罪を引き起こしたのだとするならば、それは正しく糾弾されるべきであろう。問題の根本的な解決がされないまま、暴力の被害者が苦しみ続けるというのは、とにかく最悪であり、許しがたいことである。

 

アイドルといえば「恋愛禁止」ということがよく言われるが、ファンにとっては疑似恋愛の対象でもある以上、それは仕方がないことなのかもしれない。個人的にはアイドルのことを、アイドルポップスを歌うアーティストとしかほとんど捉えていなく、別に恋愛をしていてもかまわないし、むしろしていた方が表現力に深みが出るのではないかとすら考えている。しかし、いわゆる「ガチ恋」と呼ばれる、メンバーに恋愛感情をいだき、多額のCDやグッズを買ってくれるようなファンを獲得するのならば、それではいけないのだろう。

 

また、アイドルに憧れる女性の中には、ただメディアに出て脚光を浴びたり、キラキラした世界に飛び込みたいということだけではなく、恋愛禁止ということも含めた、アイドルの美学とでもいうべきものを含めて、まっとうしようという者もいるのだろうか。

 

アイドルが恋愛しても別に構わないという考えを持っている私が応援していたアイドルは、だいたい卒業まで目立ったスキャンダルはまったく無かった。恋愛をしても別に構わないと思っていながらも、実はアイドルでいるうちは恋愛をしないという美学に生きる姿勢そのものに良さを感じていたのかもしれない。

 

今回、私がこの件について関心をいだくきっかけとなった動画に映っているメンバーの名前は山口真帆、愛称をまほほんというようである。出身は青森県で、15歳の頃に地元で東日本大震災を経験しているようだ。「人はいつ死んでしまうか分からない。そして、困っている人はすごくたくさんいる」という思いから、いくつかのボランティア団体に所属して、東北を中心に活動をしていたという。その頃、AKB48グループが被災地で定期的にイベントを行っていることを知り、それがきっかけで興味を持ったのだという。2014年にNMB48のオーディションに応募するが、最終審査で落選、その後、2015年7月25日にNGT48のオーディションの最終審査に合格したということである。NGT48のメンバーとして活動を続け、2018年7月1日にはチームG副キャプテンに就任したようだ。

 

私が観たあるインターネット配信動画においては、「好きです。付き合ってください」というファンからのコメントに対し、「アイドルをしてる時は私は誰とも付き合わないって決めてるの。軽い女じゃないわ」と答え、それを受けての「重い女なのね?」というコメントに対しては、「そういうことじゃないよ」と、ふくれたような表情をつくり、「そんなね、ホイホイホイホイってね、遊ぶようなね、アイドルじゃないってこと。遊びたいなら辞めた方がいい。そんなの見てても嫌になる」と説明、さらに「まほほんのこと信じてるから大丈夫」というコメントに対しては、「もう信じるとか信じないとかない。なんも無いから別に信じなくてもいい。なんにも出てこないから。『信じてください』なんて言わないよ。別に『信じて下さい』まで言うことなんてなんも無いもん。疑われるようなことさえしてない」と話している。

 

また、「アイドルがみんなまほほんのようならいいのに」というコメントに対しては、「ね、アイドルみんな恋愛禁止にさぁ、もうさ、契約書もそうだったんだからね、恋愛したら卒業みたいにもっと厳しくいけばいいのに。恋愛してる時点でアイドルじゃないと思うので。まあ、片想いはいいみたいなのよくありますけど。どうせ片想いなんてしてたら集中できなくなっちゃうんだから」と話す。そして、「でも真面目にやっててもね、よう分からんからこの世界は。でも、真面目にやりたいと思う。アイドルが好きだから。好きだったから。まゆゆさんとか小嶋陽菜さんを見て、アイドルになりたいと思ったから」と語る表情は、どこか切なげであった。

 

アイドルに「恋愛禁止」を求めるファンにとっては素晴らしいプロ意識だと思うのだが、たとえばこれはあくまで仮定なのだが、たとえば表向きは「恋愛禁止」を謳ってはいるものの、だからこそアイドルの恋愛はスキャンダラスであり、ニュースバリューがある、金になるともいえるわけである。ここでアイドルに意図的に恋愛をさせることによって、新たな商品価値が生まれる、つまり金が動くわけであり、これをシステム化しようと考える者がいないとも限らない。その過程で、アイドルを夢見た罪のない少女たちの魂が深く傷つき、汚されていたとしてもだ。それでも、「恋愛禁止」を頑なに守り、このシステムに加担しないメンバーの存在は、おそらく邪魔でしかない。これはあくまで想像でしかないが、もしもこのような現実が存在するとすれば、これは実に許しがたいことである。どうか、これがただの妄想であることを信じたいのだが、いろいろな情報を知れば知るほど、もしかするとそれこそが真相なのではないかという、暗澹たる気分にさせられるのである。