週の半ばあたりのことだったと思うのだが、いつものように午前中、情報のインプットを行っていた。硬いものから軟らかいものまでいろいろなのだが、アイドル関連、特にAKB48グループについての見出しはよく見かける。大抵はスルーするのだが、何かこれは無視できないような予感を感じ、見てみたところ、NGT48のメンバーが男性に襲われたが、その件で運営が1ヶ月待ってもちゃんと対応してくれなかったし、このままでは他のメンバーのことも心配だというような内容の配信を行っていたところ、途中で切られたというものであった。
その配信された映像、また、その後、ツイートした内容を見て心が痛くなったと同時に、日頃からけして無縁ではないタイプの怒りに焼かれる思いであった。この件に関してはその後もゆるく注視し、進捗を確認したりしていたのだが、とりあえずいろいろと都合が悪いので、真相を明らかにすることもなく、被害者のケアをするどころか屈辱をあたえ、なんとなく終わらせようという、そのような力の存在を、あくまで主観ではあるが強く感じたのであった。
この件が問題になる前から、HKT48の指原莉乃は日曜に放送されるフジテレビの報道バラエティー番組に出演することになていたようだが、番組ではもちろんこの話題にふれたようだ。この件に対する見解や思いを、指原莉乃は真摯に述べたようなのだが、グループを卒業後は運営のトップになってはどうかという話の流れで、キーボードでその名前を打つことすら汚らわしく、指が怒りで震えてくるのだが、松本人志が「そこは得意の体を使って」というようなことを言っていたようだ。実際にこの前後の動画を観たのだが、バラエティー番組では百戦錬磨の指原莉乃は一瞬、いま起こったことが信じられないというような表情を見せ、しかし瞬時に持ち前の反射神経で、「なにを言ってるんですか」と返すのがやっとであった。そして、性犯罪天国ニッポンのクソオヤジ文化のエッセンスを煮詰めたかのような、松本人志の下卑た笑い声が続いた。
このような光景は日常的にけして珍しいことではなく、たとえば酒の席などで若い女性が真面目な話をしている時に、ホモソーシャルでミソジニーなクソオヤジ文化にそまった男が性的な話題で論点をずらし、相手の心を傷つけるような場面である。私は個人的にそのような場面に遭遇した場合、本気でブチ切れてその場の雰囲気を凍らせたり、かなりの勢いで罵倒、説教をするという活動を地道に行っているのだが、白昼堂々、公共の電波で笑いのカリスマなどとも言われている影響力の強い芸能人がこういうことを言って、ゲラゲラ笑っていることが発するメッセージは、このような草の根的な活動の何年分にも匹敵する効果を及ぼすであろう。クソが。
NGT48は新潟を拠点とするアイドルグループで、成功したAKB48のモデルケースを地方でも展開するパターンの一環であろう。私は3年前にやはり新潟を拠点とするアイドルグループ、Negiccoのことが突然、好きになったので、それまで縁もゆかりもなかった新潟という街に俄然興味がわき、Negiccoのライブやイベントがあるわけでもないのに、ただ街が見たくて新潟に行ったことがある。その時にどうせなので、ラブラ2という商業施設の中にあるNGT48劇場の場所も確認しておいた。それがきっかけでNGT48にも興味がわいたかというとそんなこともなく、曲もまったく知らないし、メンバーの名前もこの件が起こるまでは柏木由紀を含めて2人しか知らなかった。しかも、もう1人については名前を知っているだけで、顔を見たところでまったく分からない。
NGT48についてそれほど興味がない私が、なぜにこの件について熱くなっているかというと、そこには性暴力をマイルドに容認するクソ社会の現状や、権力が個人を蹂躙し、真っ当に生きている者が報われない、ディストピア的な社会の縮図のように思えるからである。
松本人志の発言については、ツイッターで検索してみた限り、ほぼ否定的な意見が多く、これは実はやや意外であり、ひじょうに希望が持てるものである。ただし、私はツイッターを趣味でやっているため、ミソジニストやレイシストは見つけ次第、即ブロックしているので、たまたま容認するツイートが目に入っていないだけかもしれない。
今回のNGT48の件については、性暴力を受けた被害者であるメンバーが謝罪をさせられるという、まったくもって不可解かつ腸が煮えくりかえることが行われていて、これはいくら正しいと思ったとしても、また、世間一般的な規範、さらにはそのグループが表向きにコンセプトとしていると思われる建前上のルール上は正しかったとしても、組織に逆らった場合には公衆の面前で、私も完全に信じているわけではないが、一説によると加害者の面前で、震えながら謝罪させられるのだという、そのような見せしめなのだという印象がひじょうに強い。
こうして性暴力被害者の心の傷は、泣き寝入りしなかったことによって、権力によってさらに傷つけられる。
この件が今後、どのように進展していくのかは定かではないのだが、運営サイドとしては被害者の過度な被害妄想だということにして、幕引きを図りたいのだろうと、あくまで個人的な印象ではあるが、そう感じるのである。そして、加害者は放免され、それに加担したとされるメンバー(あまり信じられていないように思われる公式の発表においても、被害者の帰宅時刻を加害者にリークしたメンバーが1名はいるとされていて、その名前は伏せられ、全力で守られているような印象を受ける。あくまで個人的な印象では、実際には加害に加担したメンバーは1名ではないし、ただ被害者の帰宅時刻を加害者にリークしたというだけにはとどまらないのではないかと思っているのだが、いくら収集しえた情報の辻褄が合うとはいえ、あくまで個人的な印象である)は、そのまま活動を続けていくようである。
総じて、クソオブザクソという印象を持たざるにはいられないわけだが、NGT48のことはほぼまったく知らないに等しいのだが、私の心のバイブルでもあるスパイク・リー監督の「ドゥ・ザ・ライト・シング」よろしく、リスクを取ってまでも自らが正しいと思った行動を取った被害者には、四半世紀以上年下にもかかわらず、最大限のリスペクトであり、きわめて微力ではあるが、応援していきたいと思う。
また、今回の件においては、なぜか理不尽かつ見せしめ的に被害者が謝罪し、他のメンバーや関係者もコメントを発表しているのだが、当の支配人だとか元締め的な人物がまったく表に出てきていない。一般的な企業であれば、なにか問題が起きた場合には責任者が説明や謝罪を行うのが常だが、若い女性メンバーにそれを(しかもひじょうに理不尽きわまりないかたちで)やらせ、責任者である大人の男は一切出てきていない。これもまた性差別ディストピアニッポンの暗部を象徴するものであろう。
しかし、今回の件について、私が知る限り、非難する声が多いことはせめてもの救いであり、希望である。
それよりもやはり性暴力のみならず、様々な被害に遭った被害者のことが気がかりである。自分自身が受けた被害が引き金だったとは思うのだが、リスクを顧みず(そんなことすら考えられないぐらいに追いつめられていたのだろうとも思えるが)、正しいと思うことを主張した。そして、アイドルという職業倫理に照らし合わせても、彼女が行ったことはまったく間違ってはいない。どうか報われてほしいし、絶対にしあわせになってほしい。5日前までは顔も名前もまったく知らなかったアイドルについてそこまで言うのもどうかとも思うのだが、いまは本気でそう思っている。そのために私も微力ではあるが、可能な限り出来ることをやっていきたい。そして、このような不幸がもうけして2度と起こらないことを願って止まない。