大橋荘ではおそらく壁が薄かったからだと思うのだが、部屋へのステレオの持ち込みや夜間の友人の招き入れなどが禁止されていた。
入居にあたり、ステレオは旭川の実家に置いたまま、ラジカセとレコードプレイヤーだけを大橋荘に送った。ケーブルで繋げばレコードを聴いたりカセットテープに録音したりできるだろうと思っていたのだが、実際にはすごく小さな音でしか鳴らず、ほとんど使いものにならなかった。
1985年の9月14日にリリースされたサザンオールスターズの2枚組アルバム「KAMAKURA」は、私が金を出し、予備校で知り合った松戸市に住む友人に買って、カセットテープに録音してもらった。レコードは彼に貸しているというかたちを取り、後に返してもらうことになっていたのだが、結局は返ってこなかった。数年後、夏休みに帰省した旭川のマルカツデパートで、レコーズ・レコーズという中古レコード店がフェア的なものをやっていて、そこで1000円で買ったような気がする。
しかし翌月、10月21日にリリースされたZELDA「空色帽子の日」はカセットテープで買っていて、よくウォークマンで聴いていた記憶がある。つまり、その間にウォークマンを買っていたのである。
1979年にソニーから発売されたウォークマンは、携帯できるカセットテープレコーダーで、たちまちヒット商品になった。外を歩きながらヘッドフォンで好きな音楽を聴き、自分だけの世界に没入できる。大人達の間でははこれを自閉症的な異様な光景だとする意見も、比較的多かった。そうなると若者側の立場としては、なおさら自分達の世代の新しい感性なのだという気分になってくるのである。
とはいえ、私は高校を卒業後、1985年になるまでウォークマンを買ったことがなかった。ウォークマンのヒットにより、他のメーカーも似たような商品を売り出していたので、これらを総称してヘッドフォンステレオなどと呼んでいたが、欲しいとはそれほど思っていなかった。外で音楽を聴きたいとはあまり思っていなく、友人と話しているか、1人の時は好きな音楽を脳内再生したり、オリジナルの曲を思い浮かべたりしていた。
東京で一人暮らしをはじめ、大橋荘ではステレオを聴くことができず、レコードを買ってもカセットテープにダビングをしてもらっていたため、それならばはじめから音楽が入ったカセットテープを買えばいいのではないか、という発想になった。当時はレコードでは発売していないが、カセットだけの独自企画によるベスト・アルバムというのもよく出ていて、中学生の頃にはやはりカセットでしか出ていないサザンオールスターズやイエロー・マジック・オーケストラのベスト・アルバムを買っていた。大橋荘で生活をはじめてからは、大滝詠一が「B-EACH TIME L-ONG」というカセットをリリースし、それは「A LONG VACATION」「ナイアガラ・トライアングルVOL.2」「EACH TIME」から選りすぐった曲に、インストゥルメンタル、未発表曲の「Bachelor Girl」を収録したコンピレーション・アルバムで、LPレコードは発売されなかったが、CDでは出ていた。
午前中で予備校の授業が終わり、一旦、大橋荘に帰って食事をしてから、おそらく池袋に行ったのだろう。はじめから買うことを決めていたかどうかは、いまとなってはあまり覚えていないのだが、とにかく東口のビックカメラで生まれてはじめてのウォークマンを買ったのであった。そうなるとすぐに音楽を聴きたいのだが、カセットテープは持っていない。それならばなにか買おうと西武百貨店のレコード売場に行き、モータウンのベスト・アルバムを買ったのだった。タイトルは「モータウン25NO.1ヒット」で、タイトルが示すように、モータウン・レコードからリリースされ、ヒット・チャートの1位になった曲が25曲収録されている。1本のカセットに25曲は、かなりお得である。音楽ファンの間では、アーティストのオリジナル・アルバムを聴くのが通であり、私のようにベスト・アルバムやコンピレーション・アルバム、特に曲数が多いものが好きだとミーハーだと軽く見られがちな風潮がなんとなくあったのだが、当時からミーハー上等であり、マニアックで細かくはなるべくならないように細心の注意を払って生活をしていたため、このアルバムのコンセプトは最高であった。
このベスト・アルバムはモータウン・レコードの25周年を祝ってリリースされたものでもあり、それは1983年だったようだ。高校生までは自由に使えるお金も限られていたため、レコードも欲しい新作を買うのが精一杯で、旧作はほとんど買っていなかった。当時、買っていたのは、ビリー・ジョエルは廃盤のものを除いて全部持っていて、他にはビートルズ、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、ドアーズのベスト・アルバムや、ラジオで聴いて気に入った「アイム・ノット・イン・ラヴ」が収録された10ccの「オリジナル・サウンドトラック」などのみであった。大橋荘で生活をはじめてからは、オーティス・レディングとT・レックスのベスト・アルバムを買っていた。オーティス・レディングはかねてから忌野清志郎が影響を受けたアーティストとして名前だけは知っていたのだが、NHK-FMの「軽音楽をあなたに」で何曲か聴いて、これは良いと思ったのであった。T・レックスはこの年、イギリスでベスト・アルバムがよく売れていて、また、デュラン・デユランのメンバーやロバート・パーマーなどによるユニット、パワー・ステーションが「ゲット・イット・オン」をカヴァーしたりもしていた。
モータウンについては、私が好きな様々なアーティストが影響を受けたと言っていた。アーティストではなく、レーベル名で語られることが多いのも独特だと思っていた。1983年はいま思えばモータウンの25周年ということで、それなりに話題性もあったのかもしれないが、フィル・コリンズがシュープリームスの「恋はあせらず」をカヴァーしてヒットさせたり、その前の年の秋にはダリル・ホール&ジョン・オーツがモータウンに典型的なリズムを取り入れた「マンイーター」を大ヒットさせたりしていた。日本ではサザンオールスターズの原由子によるソロ・ヒット・シングル「恋は、ご多忙申し上げます」にモータウンからの影響が見られた。また、かつてはモータウンの重要なアーティストだったが、すでにレーベルを移籍したマイケル・ジャクソンやマーヴィン・ゲイが全米ヒット・チャートで大ヒットを記録したりもしていた。
ウォークマンで音楽を聴きながら街を歩くと、見慣れた景色がまるでプロモーション・ヴィデオのように感じられた。現在はミュージック・ヴィデオと呼ばれることが多いそれは、当時はプロモーション・ヴィデオと呼ばれていたが、ヴィデオ・クリップと呼ぶ方がなんとなく通っぽいという雰囲気もあった。それはそうとして、それまでウォークマンの魅力を語る上でさんざん言い尽くされてきたその感覚を、ついに私は実際に味わったのであった。
1曲目はマーヴェレッツの「プリーズ・ミスター・ポストマン」で、これがモータウンにおける初のNO.1ヒットだったのだろうか。当時、紋別の看護学校生と文通をしていて、その手紙が大橋荘の大家の家のベランダにポスト代わりに設置された水の張られていない水槽に届くのを心待ちにしていた私にとっては、なかなか感情移入をして聴ける曲であった。続く、ダイアナ・ロスとシュープリームスの「ベイビー・ラブ」が素晴らしく、すぐに好きになった。テンプテーションズの「マイ・ガール」はオールディーズを演奏しがちなバンドがよくレパートリーにしていた曲で、テレビなどで聴き覚えがあったが、オリジナルを聴くのは初めてであった。この年、テンプテーションズのメンバー2人がダリル・ホール&ジョン・オーツと共演し、「ライヴ・エイド」でもライヴを行っていたし、ライヴ・アルバムもリリースされた。フォー・トップスの「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」は曲の展開もドラマティックだし、ヴォーカルの迫力がすごいと思い、すぐにお気に入りの曲になった。他にマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5といったアーティストによる大ヒット曲が収録され、最後はリアルタイムのヒット曲として知っていたし、シングルも買って持っていた、ダイアナ・ロスとライオネル・リッチーによる「エンドレス・ラブ」で締められていた。
この年の秋、デヴィッド・ボウイとミック・ジャガーがマーサ&ザ・ヴァンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」をカヴァーし、全英シングル・チャートで1位を記録していたが、この曲のオリジナルは収録されていなかった。
ジャクソン5の「帰ってほしいの」はその後、しばらくしてから笑い飯の出囃子として、お笑いライヴの会場で聴くことにもなった。なるほど、フィンガー5はこれに影響を受けていたのか、などとも思った。その後、モータウンのベスト・アルバムはいくつも出たし、CDのボックス・セットを買ったりもしたのだが、私にとってはおそらく初めて聴いたのがこれだという理由のみによって、この「モータウン25NO.1ヒッツ」こそが最高だと思っているのである。
2017年に札幌出身のオーガニックアイドルユニット(当時)、WHY@DOLLのアルバムのクオリティーの高さに感激したのだが、ラストに収録された「恋はシュビドゥビドゥバ!」という最高の曲がスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ「涙のクラウン」へのオマージュを含み、思えばこの曲を初めて聴いたのも、このカセットであった。1986年にリリースされたRCサクセションのライヴ・アルバムのタイトルにもなっていた。
ちなみに収録された全曲を列挙しておくと、カセットのA面がマーヴェレッツ「プリーズ・ミスター・ポストマン」、ダイアナ・ロスとシュープリームス「ベイビー・ラブ」、テンプテーションズ「マイ・ガール」、フォー・トップス「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」、ダイアナ・ロスとシュープリームズ「恋はあせらず」、フォー・トップス「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」、マービン・ゲイ「悲しいうわさ」、ジャクソン・ファイブ「帰ってほしいの」、テンプテーションズ「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」、スティービー・ワンダー「迷信」「サンシャイン」、マービン・ゲイ「レッツ・ゲット・イット・オン」、エディ・ケンドリックス「キープ・オン・トラッキン」、B面がジャクソン・ファイブ「ABC」、ダイアナ・ロス「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」、ジャクソン・ファイブ「アイル・ビー・ゼア」、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ「涙のクラウン」、テンプテーションズ「はかない想い」、マービン・ゲイ「ホワツ・ゴーイン・オン(愛のゆくえ)」、テルマ・ヒューストン「ジス・ウェイ」、マービン・ゲイ「黒い夜(パート1)」、コモドアーズ「永遠の人へ捧げる歌」「スティル」、リック・ジェームス「ギブ・イット・トゥ・ミー・ベイビー」、ダイアナ・ロスとライオネル・リッチー「エンドレス・ラブ」となっている。
これらのアーティスト名、曲名はカセットのパッケージに載っているものを転載したのだが、英語の「V」については、このブログにおいて私が基本的に用いている(例外も相当にあるが)「ウ」に濁点の「ヴ」ではなく、「ブ」として扱われていて、たとえば「マーヴィン・ゲイ」ではなく「マービン・ゲイ」、「ジャクソン・ファイヴ」ではなく「ジャクソン・ファイブ」というようになっているのだが、1983年当時においてこれがわりとスタンダードだったかについては、私もよく分からない。
などと書いているのだが、このカセットそのものはとうの昔に私の手元にはもう無いのである。おそらくどこかのタイミングでの引っ越しの時にまとめて捨ててしまったのだろう。パッケージ的な魅力を抜きにすれば、録音されていた曲のほとんどはおそらくいまや別の方法で聴くことができるのだが、「ミスDJリクエストパレード」で松本伊代が私のザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」のリクエストを読んでくれた時の録音だけは取っておけばよかったと、強く後悔しているのである。
