昭和60年度の空気を感じさせる日本の流行歌10曲。 | …

i am so disappointed.

歌謡曲でも日本のポップスでも、ましてや当時はまだその言葉すら存在していなかったJ-POPではあるはずもなく、流行歌という呼び方が最も適しているのではないかと思う。

 
TBSテレビで土曜の深夜に放送されていた「やすしの度胸一発」に、「よい子の歌謡曲」の編集長、梶本学がゲスト出演していた。「よい子の歌謡曲」は日本のアイドルやポップスやロックなどを取り上げたミニコミ誌で、高校生の頃から私も投稿した原稿を何度か掲載してもらったことがあった。1991年に発行された最終号の表紙、インタヴューはフリッパーズ・ギターで、私はこの号を六本木の青山ブックセンターで買い、真夜中にマクドナルドの2階で読んでいた記憶がある。
 
1985年の「やすしの度胸一発」においては、「歌謡曲」という言葉のニュアンスにについて、横山やすしが要するに流行歌のことかというようなことを尋ね、梶本学は「いいですね、それ」というようなことを言っていた。
 
というわけで、私が大橋荘に住んでいた1985年の春から約1年間、つまりほぼ昭和60年度の日本の流行歌から、当時の空気を感じさせる10曲を選び、今回はヒットした時系列順に、例によって個人的な思い出なども交えながら記録していきたい。
 
卒業/斉藤由貴
 
発売は1985年2月21日、つまり昭和59年度の卒業シーズンに合わせたシングルである。この年にはこの他に菊池桃子、尾崎豊、倉沢淳美が「卒業」というタイトルの、それぞれ別々の曲をシングルとしてリリースしている。最もヒットしたのはオリコン週間シングルランキングで1位を記録した菊池桃子の「卒業」だと思うのだが、その後、長きにわたって愛され、スタンダード化したのは斉藤由貴のデビュー・シングルとなるこの曲であろう。当時のオリコン週間シングル・ランキングでの最高位は6位であった。この年の3月に発売された「宝島」1985年4月号において、「よい子の歌謡曲」編集長の梶本学は「地方の若者が東京に出てくるというシチュエーションを扱った、『木綿のハンカチーフ』以降、松本隆が18番にしている分野の作品。もう、たまんない世界だぜ。弱ったもんです」と評している。この曲のオリコン週間シングルランキングでのアクションを見ると、3月11日付から2週連続で10位を記録した後、3月25日付では一旦、11位にダウンしているのだが、その後、再びじわじわと順位を上げ、新学期もはじまった4月15日付で最高位の6位を記録、この週に菊池桃子「卒業」の順位を初めて抜くのだが、それから4月いっぱい10位以内に留まり続けた。この春に旭川の高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめた私は、もちろんこの曲に感情移入しまくっていたわけだが、大橋荘で生活をはじめてからもしばらくはヒットし続けていたわけである。
 

 

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ふたりの夏物語/杉山清貴&オメガトライブ

 

1983年に「SUMMER SUSPICION」でデビューした杉山清貴&オメガトライブの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高5位、TBSテレビ「ザ・ベストテン」や日本テレビ「ザ・トップテン」では1位に輝いた。夏をテーマにした楽曲だがリリースは3月6日と早く、4月1日付のランキングでは9位であった。いわゆるシティ・ポップであり、作曲はこのタイプの楽曲をお茶の間に浸透させた功労者、林哲司である。私が中学生や高校生だった頃に憧れた、都会の大人のライフスタイルをこの曲はまだ描いているようであった。そして、物理的にはもう都会に住みはじめたので、あとは大学に入学するなどの状況が整いさえすれば、そこに手が届くのだろうと錯覚させる、完成度の高いポップスであった。セールスは好調だったが、方向性の違いを理由にバンドはこの年で解散、翌年から杉山清貴はソロ・アーティストとして、オメガトライブはメンバー・チェンジ後、1986オメガトライブとしてそれぞれ成功を収めた。

 

 

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六本木心中/アン・ルイス

 

1984年10月5日のリリースだが、本格的にヒットしたのは翌年になってからで、1985年9月23日のオリコン週間シングルランキングで、最高位である12位を記録している。テレビ朝日で火曜の深夜に放送されていたテレビドラマ「トライアングル・ブルー」のエンディングテーマ曲としても使われていた。とんねるず、可愛かずみ、川上麻衣子が出演するこの番組は、当時の東京における若者のライフスタイルを切り取ったかのようでもあり、六本木の街やカフェバーなどがよく舞台になっていた。作詞は湯川れい子で、歌詞のモデルとなったのは吉川晃司だということだが、「夜のヒットスタジオDELUXE」においては、2人による地上波としてはギリギリレベルのセクシュアルなパフォーマンスが生放送された。その後、この曲はカラオケで主に年上の女性が歌うのを何度も聴くことになった。

 

 

 

メロディ(Melody)/サザンオールスターズ

 

1985年8月21日にリリースされたサザンオールスターズの23枚目のシングルで、5月にリリースされた「Bye Bye My Love (U are the one)」に続き、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。個人的にはお盆に旭川の実家に帰省し、紋別の看護学校生とミュージックショップ国原で待ち合わせをし、西武百貨店の2階にあったアメリカンボックスで食事をしたりした直後、大橋荘のラジカセで聴いていた。夏の終わりの淋しさを紛らわせてくれるようなバラードで、また夏は訪れるし、それはおそらくもっと素晴らしいものになるのだろう、と思わせてくれた。このアルバムが収録された2枚組のアルバム「KAMAKURA」のテレビCMスポットには明石家さんまが出演していたが、トーク番組「さんまのまんま」に桑田佳祐がゲスト出演した際に、番組のテーマソングを作ってほしいと言われ、「観てちょんまげ、さんまのまんま」というような歌詞を提示されながらも、即興でボサノバテイストのなかなかカッコいい曲の一節を作っていたのが印象的であった。

 

 

 

雨の西麻布/とんねるず

 

とんねるずは私が中学生だった頃に日本テレビ系の「お笑いスター誕生」で、アゴ&キンゾーとデッドヒートを繰り広げていた頃に、好きでよく観ていた。その後、グランプリを獲得するが、あまりテレビで観ることもなかった。それが高校生の頃に「オリコン・ウィークリー」を読んでいると、フジテレビの「オールナイトフジ」で人気上昇中であり、「一気!」というレコードまでリリース、オリコン週間シングルランキングで最高19位のヒットを記録した。「オールナイトフジ」には私が大好きな松本伊代も出演していたため、観たかったのだが北海道のテレビ局では放送されていなかった。1985年の2月に大学受験のために東京のホテルに宿泊し、その時に初めて観たのだが、確かにあのとんねるずがひじょうに勢いをノッていることを実感させられた。「オールナイトフジ」の女子高生版から派生して、私が大橋荘での生活をはじめた1985年の春からは平日の夕方に「夕やけニャンニャン」が放送を開始した。「オールナイトフジ」からの流れでとんねるずも出演していて、これをきっかけに人気が全国区になったようなところもあるのだろうか。「一気!」の次のシングル「青年の主張」は前作に続き、ネタの要素が強いものだったが、9月5日にリリースされた「雨の西麻布」は演歌パロディーではあるものの、ちゃんとした歌になっていた。作詞は秋元康、作曲は元一風堂の見岳章である(このコンビは後にパロディーではない本当の演歌の流行歌、美空ひばり「川の流れのように」を世に送り出すことになる)。オリコン週間シングルランキングでは、最高5位のヒットを記録した。

 

 

 

フレンズ/レベッカ

 

ABブラザーズの中山秀征が主演していた日本テレビのドラマ「ハーフポテトな俺たち」のエンディングテーマ曲であった。オープニングで流れていたのは、カップリングの「ガールズブラボー!」である。「ハーフポテトな俺たち」はハンバーガーショップを舞台としたポップな青春ドラマで、わりと好きで観ていたのだが、予定していたよりも早くに打ち切られたらしい。しかし、テーマソングを歌っていたレベッカはこれをきっかけにブレイクを果たし、1985年10月21日にリリースされたこのシングルはオリコンで最高3位のヒットを記録した。

 

 

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ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)/荻野目洋子

 

荻野目洋子が1985年11月21日にリリースした7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。1984年デビューの女性アイドルでは岡田有希子と菊池桃子の人気が圧倒的であり、荻野目洋子の印象はそれほど強くはなかったのだが、アンジー・ゴールド「素敵なハイエナジー・ボーイ」の日本語カヴァーであるこの曲で一気にブレイクを果たし、その後、しばらくヒットチャート上位の常連となった。1986年のアルバム「NON-STOPPER」は翌年の年間アルバム・チャートで1位にも輝いている。有線放送など、街でよくかかっていた印象があり、アイドルポップスというよりは、なにやら新しい感じがするポップスとしてヒットしていったような印象がある。リリースから32年後の2017年には大阪府立登美丘高校ダンス部がコンテストで踊ったことによって注目され、リバイバルヒットも果たした。

 

 

 

仮面舞踏会/少年隊

 

ジャニーズ事務所所属の3人組、少年隊が1985年12月12日にリリースし、オリコン週間シングルランキングで1位を記録していた。錦織一清、植草克秀、東山紀之から成る少年隊はテレビなどには数年前からすでに露出していて、満を持してのデビューという感じであった。ダンス・ミュージックの要素を取り入れた楽曲はコンテンポラリーなポップスとしてもカッコよく、ジャニーズタレントに厳しくなりがちな同世代の男性にも、少なくとも当時の私の周囲ではわりと受け入れられていたような印象がある。

 

 

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冬のオペラグラス/新田恵利

 

1985年4月1日に放送が開始された「夕やけニャンニャン」に出演していたおニャン子クラブは、現役の女子高校生を中心とし、その素人っぽさが受けていたが、実際には事務所に所属しているタレントも少なくはなかった。新田恵利はおニャン子クラブの会員番号4番で、オリジナルメンバーだが、当初はすぐに辞めたいと思い、スタッフに申し出たということだが、諸々の事情により出演を継続したところ、人気が出て、1986年には「冬のオペラグラス」でソロ・デビュー、オリコン週間シングルランキングで初登場1位を記録した。良い意味で芸能人らしくない、弾けるような笑顔が魅力的であり、個人的には東京で一人暮らしをはじめたばかりで、まだ友達もいない頃に大橋荘のテレビで「夕やけニャンニャン」を観て、その存在に希望をあたえてもらっていた。歌唱力はけして芳しくはないのだが、オールディーズ調の楽曲を歌うヴォーカルの存在感はかなりのものであり、圧倒的な強度を感じた。大学入試に合格できたのはこの曲に力をもらえたからでもあると、いまでもわりと本気で信じている。

 

 

 

My Revolution/渡辺美里

 

ラジオで聴いたのが最初だったと思うのだが、アイドルポップスでもロックでもない新しいタイプの日本語のポップスだと思ったし、小室哲哉によるメロディーがとても印象的であった。1986年1月22日にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。フジテレビ的な軽薄な文化が流行する一方で、尾崎豊のようなメッセージ性のある音楽も反作用的に受け入れられていたのだが、渡辺美里や中村あゆみ、ハウンド・ドッグの「ff (フォルテシモ)」などは、そのより大衆化された表現としてヒットしたような気もする。1986年の夏休みに旭川の実家に帰省すると、中学生だった妹の部屋に渡辺美里のLPレコードがあった。