先日、タイムラインで見た相互フォローのライターさんのツイートにあった「今パチンコ屋になってるビルにHMVがあって、LOFTの1FにWAVEがあった頃」というワードが鮮烈に印象に残り、確かに私もその頃の渋谷にはとても思い入れがあると思っていた。そして、その期間は約5年ぐらいであった。
イギリスの大手CD販売店チェーン、HMVが日本に進出し、その第1号店を文化村通りのONE-OH-NINEにオープンさせたのは1990年11月16日であった。また、1987年11月21日にオープンした渋谷西武ロフト館は後に渋谷ロフトに名称が変わったが、その1階にはウェイヴ渋谷店があった。1995年3月10日にタワーレコード渋谷店が宇田川町から現在の場所に移動し、売場面積を大幅に拡張するが、その年の秋にウェイヴ渋谷店は渋谷ロフトの1階から6階に移転した。HMVは1998年にセンター街の万葉会館があったビルに移転し、売場面積を拡張した。ONE-OH-NINEには1995年7月7日にパチンコ店のマルハンが入り、マルハンパチンコタワー渋谷と呼ばれるようになっていた。HMV渋谷店の移転に伴ってマルハンは増床し、パチンコ店のビルというイメージがさらに強くなった。そして、マルハンパチンコタワー渋谷は2016年1月17日に閉店し、現在は2017年5月12日にオープンしたMEGAドン・キホーテ渋谷店になっている。
最近、ブログを書くにあたって1991年ぐらいのことをよく思い出したり調べたりしていたこともあり、なんだか懐かしくなったので、ちょっとした空き時間を利用して久しぶりに渋谷に行ってきた。
そう、久しぶりなのである。1990年代のある時期にはほぼ毎日行っていた渋谷に行く機会が、いまではすっかり減ってしまった。それは、私がなぜ渋谷に行っていたのかという理由にも関係している。
当時と同じように、そして、現在も渋谷に行くとすればそうするように、京王井の頭線で行った方がよりリアルに懐かしめたのだろうが、この日はその前に高円寺と丸の内で用事があったため、東京メトロ銀座線での移動となった。
とはいえ、渋谷駅の構内を通り、いつもと同じように渋谷マークシティのエレベーターで下りて街に出るので、ここからはいつもと同じである。スクランブル交差点があり、渡った先にはSHIBUYA TSUTAYAなどが入っているQFRONTがある。Q's EYEと呼ばれる街頭ビジョンから広告の映像が流れているのだが、その左右のビジョンからもまったく同じものが同時に流れている。信号が青に変わるのを待っていると、AKB48の新曲が発売されたことを告知するアド・トラックが走って行った。この後、街を歩いていると、いろいろな場所でこの曲の広告が音声で流れていた。
私が渋谷にあまり行かなくなった理由としては、1998年に職場がかなり遠くなったというのが一番大きいが、それでも休日には行っていて、移転して広くなったばかりのHMVでCDを買ったりしていた。その後もたまには行っていたのだが、気がつくとどんどん自分にとってはあまりおもしろくない街になっていた。最後に覚えているのは1999年の夏、当時の職場のアルバイトだった女子大学生とその友人と遊んだことで、赤坂ブリッツで行われるスウェードのライブのことで携帯に電話したらちょうど渋谷にいるということだったので合流し、カラオケやゲームセンターに行ったりした。プリクラに落書きができるようになったことを、その時にはじめて知った。この年の12月にQFRONTが、そして、翌年に「オトナ発信地」をコンセプトとする渋谷マークシティがオープンしたのであった。
このQFRONTと渋谷マークシティができてから、渋谷に楽しい街というイメージがなくなっていった。それは、この街のコンセプトと私の趣味嗜好とが合わなくなっていったからであろう。また、私が渋谷に行っていた最大の理由はCDと本を買うことだったのだが、それらをインターネット通販で買うようになったのも、ちょうどこの頃からであった。
東京で一人暮らしをはじめた1980年代の半ば、この渋谷のスクランブル交差点で衝撃を受けた。もちろん人の多さもだったのだが、斜めに渡人なども多いのにもかかわらず、素早くぶつからずにスイスイ歩いている。まるで魚のようだと思った。しかし、しばらくすると私もなんとなく距離感が即座に判断でき、このスクランブル交差点をスイスイと斜めに歩けるようになっていた。この日、平日の午後というわりと人通りの少ない時間帯ではあったのだが、スクランブル交差点をみんな真っ直ぐにしか歩いていないなと思った。気になって調べてみると、ワールドカップだとかの時に一時的に斜め移動が禁止されたりしていたことがあったようだ。私が通った時がたまたまだったのかもしれないが、以前よりも斜めに横断する人は減っているのかもしれない。横断歩道を渡る途中で立ち止まり、写真を撮る人をよく見かけるようになり、これはかつてはいなかったなと思ったのだが、おそらく携帯電話やスマートフォンで写真を撮るということがまだ無かったからだろうと思った。
私がはじめて東京に遊びに来たのは、1980年の夏休みであった。父に連れてきてもらったのだが、その時は赤坂見附のラジオたんぱや後楽園球場、上野や銀座などに行ったことを覚えている。はとバスのツアーでNHKに行ったので、その時に渋谷に行ったといえば行ったのだが、おそらく街には行っていないのではないかと思う。新宿は乗り換えの時に西口の地下を歩いていたような記憶がなんとなくある。
次は1983年の秋、高校の修学旅行だったが、上野に集合した後で何時間かだけ東京で自由行動の時間があった。この時の最大の目的はオープンしたばかりの六本木ウェイヴに行くことだったのだが、残りの時間は渋谷で過ごした。まったくあてもなく適当に歩き、おそらく土曜日だたので人がやたらと多かったのだが、帰りにラーメンを食べて集合場所の上野公園に戻った。この頃には渋谷のことを若者の街としてなんとなく認知していたと思う。パルコ出版から発刊されていた「ビックリハウス」を読んでいたので、パルコがある渋谷にはなんとなく憧れをいだいていた。それとそれから、公園通りという響きである。
1970年代の半ばまで、東京で若者の街といえば新宿だったらしい。渋谷には東急グループの商業施設が多かったというが、西武百貨店を中心とするセゾングループの渋谷パルコが1973年に出店し、若者に絶大な支持を得たのだという。渋谷パルコが面していた道路はかつて区役所通りと呼ばれていたのだが、渋谷パルコの開店と同時に公園通りと呼ぶようになったのだという。パルコがイタリア語で公園の意味であったこと、そして、この道が代々木公園に通じていることがその由来だったという。
1985年の春から私は東京で一人暮らしをはじめるのだが、当初は渋谷にはあまり行かなかった。住んでいた場所から2駅で池袋に行けたため、レコードや本はオンステージヤマノやディスクポートやパルコブックセンターなどで買っていた。「ビックリハウス」を読んでいて、RCサクセションやイエロー・マジック・オーケストラや糸井重里的なものがわりと好きだった私は、やはりこの時代の多くの文化系の若者と同様に、西武セゾン文化とでもいうものがとても好きだった。西武百貨店と池袋パルコが東口に並ぶ池袋はそのメッカともいえる街で、わざわざ渋谷にまで行く必要性を感じていなかった。やはりセゾングループである六本木ウェイヴには時々、山手線から恵比寿で営団地下鉄日比谷線に乗り換えて行っていた。水道橋の予備校に通っていたので、本は神保町の書泉グランデや三省堂書店、水道橋の旭屋書店などでも買うことができた。
この年の秋、夕方に一人で渋谷に行ったことがあった。駅前で露天商が輸入盤のカセットテープを確か1本1000円で売っていて、私はホイットニー・ヒューストンの「そよ風の贈りもの」と邦題がついたデビュー・アルバムを買った。当時、カセットテープをよく買っていたのだが、住んでいたアパートではおそらく壁が薄いことからステレオの持ち込みが禁止されていて、音楽をラジカセかウォークマンで聴いていたからである。ステレオのレコードプレイヤーだけは持ってきていて、それをラジカセに繋いで再生しようとしたのだが、音がものすごく小さくしか出なかった。レコードは学芸大学か都立大学の近くに住んでいた友人の家に持って行って、カセットテープにダビングしてもらい、それでやっとまともな音量で聴くことができた。ならば、いっそはじめからカセットテープで買った方が早いとう判断である。
渋谷の街を適当に歩いていると、駅から少し離れた場所にタワーレコードを見つけた。宇田川町の東急ハンズの近くであった。タワーレコードの日本での1号店は札幌で、ここは2店舗目である。札幌のタワーレコードは現在の場所とは違い、五番街ビルという建物の中にあった。兄が札幌の大学に行っているという中学校の友人から情報は聞いていて、いつか行ってみたいと思っていたのだが、1982年の春にやっと行くことができて感激した。その翌年に修学旅行で東京に来た時にビル全体がCDショップ(厳密にはそのうちの4フロアだったが)というような六本木ウェイヴを見ていたので、渋谷でタワーレコードを発見した時にもそれほど感動はなかった。それと、当時はウェイヴのどこかポストモダンな雰囲気が時代とマッチしていたようなところもあり、タワーレコードのアメリカンな感じには個人的にそれほど魅かれなかったというのもある。
それからまた適当にあるいていると大盛堂書店を見つけ、発売されたばかりの村上春樹の「回転木馬のデッド・ヒート」が並んでいたことを覚えている。この本が発売されたのが1985年10月9日ということなので、記憶との整合性も取れている。ここは上の方の階で洋書が売られていたのと、エスカレーターの速度がゆっくりだったような印象がある。おそらく渋谷で最もよく行っていた書店だと思うのだが、しばらく行かないうちに閉店していた。QFRONTの隣の建物に売場面積を縮小して移転したのかと思っていたのだが、あの店は本店が閉店する前からTOKYO文庫TOWERとして営業していて、その後で駅前店になったようである。
QFRONTがあった場所にはそれまでなにがあったのかというと、峰岸ビルという建物で、東急ハンズのロゴの看板などが設置されていた。現在、「SHIBUYA TSUTAYA」の入口があり、チェーン店の中で世界で最も高い売り上げを上げているというスターバックスコーヒーが入った1階には、東海銀行があった。また、現在は大盛堂書店が入っている隣の建物の上には、青い筒状のキーコーヒーの広告が設置されていた。1998年にHMV渋谷店、2010年からはFOREVER 21が入っている建物はかつては万葉会館で、たくさんの飲食店が入っていた。中華料理の白鳳は現在も同じ建物で営業している。
1980年代にはセンター街にアートコーヒーが運営している飲食店がいくつか入った建物があったと記憶している。地方から出てきたばかりの頃、おしゃれ過ぎるよく知らない店には気後れしてなかなか入れなかったのだが、ここは入りやすくてよく利用していた。ハンバーグステーキのような料理もちゃんとあったのだが、インターネットで調べてみても情報があまり見つからない。あと、やはり1980年代の後半だが、夏休みにお金がなかったのだが、大学の同級生だった熊本出身の友人が東京に戻ってきていて、ご飯をおごるから渋谷で会おうと連絡があった。彼は由緒ある酒蔵の子息だと聞いていたような気がするのだが、実際にお金を持っていて、高級クーペのトヨタ・ソアラを乗り回していた。首都高のドライブとやらに何度か誘われたのだが、ムカつくので行かなかった。好きなものをなんでも食べていいと言って連れていってもらったのは、センター街を少し入ったところにあるビルの2階か3階あたりの中華料理店であった。普通になんらかの単品を注文しようとしたのだが、せっかくおごってやるんだからもっとたっぷり食えよというようなことを言われ、ボリュームが多いセットメニューを頼んだ。おそらく中国人のウェイトレスが注文を取りに来て、「ビッグセット」と繰り返していたのを覚えている。それは本当においしくて、このビッグセットというネーミングも直球で男前で素晴らしいなと感動したのであった。それからしばらくしてこのことを思い出し、その辺りを探してみたのだが、もう中華料理店は無かったし、ビッグセットも二度と食べられない。この店についても情報を求めているのだが、まったく見つからない。
ところで、渋谷センター街をバスケットボールストリートと言い換えようという動きがあったと思う。確かに現在、渋谷センター街に行くと、バスケットボールストリートという表記を見ることができる。しかし、入口には大きくセンター街とも書かれている。渋谷が私にとってあまり魅力がない街に変わっていくにあたって、やはりセンター街の浄化作戦のようなものがあったようだ。マイナビから2013年に出版された「新旧地図で比較する80年代と”いま” 地図から消えた東京物語」という本を見ると、1986年の地図では「渋谷センター街」と表記されていた道が、2013年には「バスケットボールストリート」となっている。区役所通りが公園通りと呼ばれるようになった時のようには普及しなかったということなのだろうか。
ここまでセンター街のことを書いてきたが、当時、私が渋谷に行った時ににはまずはじめに公園通りを通っていた。西武百貨店のところで信号をわたって左折、それから渋谷ロフトのウェイヴに行くのである。イギリスの音楽雑誌「NME」を買いはじめたのは1992年からで、当初は六本木ウェイヴで買っていたが、途中から渋谷のウェイヴで買うようになった。入口を入って左に曲がった所あたりにイギリスのインディー・ロックを特集したようなコーナーがあり、ここに「NME」も置かれていた記憶がある。イギリスでは毎週水曜日に発売され、土曜日には日本にも入荷していたのだが、たまに遅れることもあった。1994年に広告代理店で働きはじめてからは特に、土曜日に渋谷に行き、ウェイヴで「NME」と何枚かのCDを買うことが日常における最大の楽しみであった。現在のようにインターネットはまだ普及していなく、もちろん私にも無縁のものだったので、情報を得たり試聴したりすることが自宅でできるわけではない。西武百貨店のところの横断歩道を渡り、左折して渋谷ロフトのウェイヴに行く、それが新しい音楽体験への扉であった。1994年の春先、カート・コバーンが亡くなったことを知ったのも、この店にいる時だった。
レジで精算を済ませた後は、公園通りに面した出入口から出た。現在は紀伊國屋書店になっている部分である。1990年代には「渋谷系」ご用達のブランド、アニエスベーがあったはずである。すぐ近くに東京山手教会があり、地下に渋谷ジァン・ジァンという小劇場があった。よく観客の列が地上まで伸びているのを見かけた。以前、当時、「今田耕司のシブヤ系うらりんご」という番組に出演していたナインティナインの矢部浩之をこの近くで見たことがある。
この先には公園通りの名前の元ともなった渋谷パルコがあったのだが、現在はもう無い。地下にパルコブックセンターがあり、併設されていた洋書ロゴスもよく利用した。近くにはスペイン坂があり、かつてはTOKYO FMのサテライトスタジオに人だかりができているのを見かけることもあった。雑貨店の大中も人気だったが、2015年4月26日で閉店したようである。
井の頭通りに出ると右折してタワーレコード渋谷店がかつてあった場所を見に行きたくなるのだが、まずは左折してオープン時のHMV渋谷店があった場所を見に行くことにした。黄色い看板が目立つ味の兆楽という中華料理店が以前からずっとあるのだが、一度も入ったことがない。ディスクユニオンもずっとある。クラブクアトロがある建物はパルコクアトロとして1988年にオープンしたが、1993年には渋谷で2店舗目となるウェイヴにも開店した。その少し前、私はその手伝いをしたことがあり、店頭でホイットニー・ヒューストンが主演した映画「ボディガード」のサウンドトラックを何時間もぶっ続けで聴きながらCDを売ったりしていた。クアトロのウェイヴは「渋谷系」のムーヴメントにも大きな影響をあたえたらしい。クラブクアトロでは1994年にオアシスの初来日ライヴを観たり、パルコクアトロではG-SHOCKやまだ日本では上映前だった「トレインスポッティング」のTシャツを買ったりした。クラフトワーク「コンピューター・ワールド」のジャケットのTシャツはサイズ的にもう着れなくなったのだが、妻が欲しいと言ったのであげた。
パルコクアトロの物販フロアは2008年で営業を終了し、その後はブックオフが入っていたが、それも2018年7月22日で閉店した。現在はクラブクアトロのみが営業されている。
「渋谷系」に影響をあたえたCDショップろいえばONE-OH-NINEにあった頃のHMV渋谷店であろう。1階の一部で邦楽、地下で洋楽を扱っていた。イギリスから上陸したCDショップということで、当初は洋楽が売りだったと思うのだが、いつしか邦楽がかなりの人気となっていた。センター街に面した入口から入って右側にオープン当時はDJブースがあった。ここの売場が、後に「渋谷系」と呼ばれるような音楽をいつからか扱うようになっていた。入口からのメイン通路を挟んで反対側に当初は邦楽の売場があったのだが、フリッパーズ・ギターのパネルがずっと掛かっていたような気がする。もしかすると別の場所だったかもしれない。
パチンコにもドン・キホーテにもまったく興味がないのでしばらく足を踏み入れていなかったのだが、久しぶりに中に入ってみた。かつて「渋谷系」の売場だった場所は、女性のコスメティックを扱う売場になっていた。渋谷駅の方からセンター街を通って歩いてくると、この手前に門というバーがずっと以前からあって、大人になったら行くのだろうなと思っていたのだが、いまだに行ったことがない。
それから、渋谷BEAMという建物ではいまも中古CD店(新品も扱っているが)のレコファン(が営業されている。かつていろいろな街にあったレコファンだが、現在はこの渋谷BEAM店と横浜西口店のみとなり、横浜の店は2019年1月31日で閉店が決まっているということである。レコファンはかつては東急ハンズの向かい側のビルにあり、ここにはよくCDを売りに行った。同じ建物にフリスコというCDショップもあり、ここではブラー「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」の「ブルー・ジーンズ」がかかっていて気に入ってすぐに買ったり、スウェードのデビュー・アルバムもここで買った記憶がある。輸入盤が他のCDショップよりも少し安かったような印象があり、ザ・スミスのアナログしか持っていなかったアルバムを一気にCDで買い直したり、ビッグ・スターやニール・ヤングなどの旧譜を買ったりよくしていた。1階には一時期、ディスクユニオンが入っていたような気もするのだが、その後、吉祥寺にあった輸入レコード店、ワルシャワも入っていたことがあると思う。渋谷BEAMには現在、ヨシモト∞ホールが入っていて、吉本興業の若手芸人がライブをやっているのだが、かつてはゲームセンターだったような気がする。近くにリバプールというレコード店があって、何枚か買ったとは思うのだがよく覚えていない。
その近くにノア渋谷という建物があり、この中にかつて「渋谷系」の人たちにとても人気があったZESTというCD店があった。レコード袋のデザインはいろいろ変わったのだが、紫色だった頃のがとても人気があったような印象がある。店内はマンションの一室であり、カジヒデキが店員として働いていたりもした。私も何度か行ったことがあるが、プレミア価格がついたレア盤などを買えるはずもなく、どこにでも売っているようなセイント・エティエンヌだとかのレコードを買っていたと思う。ノア渋谷の中には、他に海賊盤的なレコードやビデオを扱っている店もあった。当時、インターネットも普及していなければもちろんYouTubeも無いので、海外アーティストの映像を気軽に観ることは現在よりもひじょうに難しかった。それで、オレンジ・ジュースがイギリスのテレビに出演した時の映像が20分間ぐらい収録されているようなビデオに何千円も出したりしていたのだが、そうでもしなければ観られなかったし、別に高いとも思っていなかった。あとはグラストンベリー・フェスティヴァルのテレビ中継を収録したビデオとかも買ったような気がする。あと、このビルにはかつてダンス・ミュージック専門のレコード店、DMRがあったが、おそらくそこが現在のHMV record shopである。それから一時期、ULTRAというピンク色のロゴが印象的なレコード店も何店舗かあったと思う。
そのまま真っ直ぐ歩いていくと、かつてタワーレコード渋谷店があった建物がある。当時は1階がジーンズメイトだったと思う。タワーレコードは2階にあって、当初は輸入盤しか扱っていなかったのだが、いつからか3階で邦楽のCDも売るようになっていた。これは渋谷店だけではないのだが、一時期、プレイステーションのゲームソフトも扱っていたと思う(1990年にマルイシティ新宿の地下にオープンしたヴァージンメガストアでもゲームソフトを販売していたような記憶がある)。建物の前には輸入物のビデオを売っているブースのようなものがあったような気もするのだが、記憶が定かではない。タワーレコード渋谷店がかつてあった2階は現在、サイゼリヤ渋谷東急ハンズ前店になっている。
東急ハンズに面した道を上がっていくと、かつてフリスコやレコファンがあったビルがある。ZESTもノア渋谷からこのビルに移転して営業していたと思う。この近くに一時期、京たこなどのたこ焼き店が3軒並んでいて、若者たちがガードレールの所でよく食べていた。京たこはサイズが大きくて、中がとろとろなのが特徴であった。当時、私が住んでいた幡ヶ谷にも駅の近くの文華堂という書店とレンタルビデオ店を兼ねた店の手前にあってよく買っていたのだが、いつの間にか無くなっていた。当時、渋谷たこ焼き戦争などともいわれ、メディアでも取り上げられていたのだという。道路を左に入って行った奥にシスコやイエローポップといったレコード店があったはずである。シスコはダンス・ミュージックが好きな人たちにとても人気があったが、インディー・ロックも扱ってはいたので取りあえず行って、欲しいものがあれば買っていた。
その途中にモボ・モガという飲食店があり、当時、よく行っていた。メニューとアイスティーのサイズがやたらと大きいのが印象的であった。ここには今年の春に24年ぶりぐらいに行ってカレーを食べたのだが、やはりとてもおいしかった。
最後に現在のタワーレコード渋谷店である。宇田川町からここに移転したのが1995年なので、もう23年もここで営業していることになる。宇田川町にあった店は1981年にオープンして1995年までの14年間なので、もうとっくにこっちの方が長くなっているのだ。1階入口から上りエスカレーターに乗るまでの感じは当時とあまり変わっていないような気がする。宇田川町にあった頃にもタワーレコード渋谷店には行っていたが、優先順位としてはそれほど高くはなかった。駅から遠いということと、他の店でも買えるものが中心というイメージがなんとなくあった。現在の場所に移転してからはじめて行って、まずその広さに驚いたのだが、個人的には上の方の階で洋書、洋雑誌がたくさん在庫されているのが特にうれしかった。まさに夢のようであった。それまで、洋書は銀座のイエナや六本木の青山ブックセンター、渋谷の大盛堂書店、新宿の紀伊國屋書店などで買っていた。それらに比べると、私が欲しいような本が圧倒的に多い。音楽関連の本だけではなく、文学やサブカルチャー関連も充実しているのがまた良かった。価格も専門店よりも安いような印象があった。ブリットポップのバンド、ドッジーがたまたまインストアライブをやっているのを観たこともあった。確か握手会まであった。
現在は書籍コーナーが2階になり、カフェと併設されている。当時はカフェが地下にあって、イベントスペースが上の方の階だったような印象があるのだが、違っているかもしれない。5階にはかつて青山学院大学の近くにあった伝説のレコード店、パイド・パイパー・ハウスを復活させたコーナーもある。アナログ・レコードがかなり増えていて、価格もCDよりも高い。中古CDなら数百円で買えるようなタイトルでも、何千円もついていたりする。かつてアナログ・レコードを持っていたアルバムも、当時、より高音質で永久に劣化しないといわれていた(ような気がする)CDに買い換え、アナログ・レコードはDJをやっているという友人に売ったりあげたり、残りも引っ越しの時に段ボール箱に入れてレコファンに送った。このようにアナログ・レコードが再評価される日が来るとは、当時はまったく思っていなかったし、それは多くの人たちにとっても同じであろう。













