1984年の秋、NHK-FMの「夕べのひととき」で松尾清憲の「愛しのロージー」をはじめて聴いた。とにかくカッコよくて、すぐに好きになった。一言でいうならば、日本のポップスではあるのだが、まるで洋楽のようなカッコよさだと思った。洋楽といっても、ワム!「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」やダリル・ホール&ジョン・オーツ「アウト・オブ・タッチ」などがヒットしていたリアルタイムのヒット・チャートではなく、ビートルズだとか1970年代のブリティッシュ・ロックなどの影響を強く感じさせるものであった。メロディーやサウンドもそうなのだが、言葉の発音や歌い方にも強くそれを感じさせた。
松尾清憲はシネマというバンドをやっていたが解散し、これがデビュー・シングルだったようである。当時、旭川で高校生だった私はそのような情報はまったく知らず、単にラジオで聴いて好きになったのであった。1984年10月25日に発売され、オリコン週間シングルランキングにおいて、最高56位を記録していたようである。スズキセルボという自動車のCMでも流れていて、これはなんとなく記憶にあるのだが、ニッポン放送で放送されていた「三宅裕司のヤングパラダイス」でオープニングテーマとして使われていたことは、少し前にはじめて知った。歌詞の「ロージー」の部分が「ユージー」と変えられていたようである。作詞は秋元康と松尾清憲との共作、編曲はムーンライダーズの白井良明だったようである。
「夕べのひととき」はNHK-FMで放送されていたローカル番組で、私はNHKの旭川放送局からの放送を聴いていた。この番組ではヒット曲がノー・カットでかかるので、よくカセットテープに録音していた。全米や全英ヒット・チャートのランクイン曲がかかる同じくNHK-FMの「リクエストコーナー」は、価格が安く売られているクスリのツルハで買ったソニーのカセットテープに録音していたのだが、「夕べのひととき」は学習教材のカセットテープのツメにセロテープを貼って録音した(ここのくだりはヤングな人たちにはちょっとなにを言っているのか分からないかもしれないが、分かったところでそれほど深い意味はないので、スルーしてもまったく問題はない)。
よって、当時、ヒットしていた中森明菜薬師丸ひろ子「W~Wの悲劇より~」や中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」と同じカセットテープに、「愛しのロージー」は録音されていたのであった。とにかくこんなにカッコいい日本のポップ・ソングはないと、松尾清憲がいったいどのような人物なのかも知らずに、カセットテープのこの曲の部分を何度も繰り返し聴いていた。ラジオで流れた曲を聴いてこれほど気に入ったのはこの年の春先に「リクエストコーナー」でかかったザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジングムーズ」以来であり、それ以降となるとまったく記憶にない。
菊池桃子が表紙の「よい子の歌謡曲」No.19でもこのシングルはレヴューされていて、「一人でも多くの人に、彼の歌を聞いて欲しい。きっと、みんなが待ってる素敵なポップスだから」と大絶賛されている。それから34年が過ぎた今日、もしも私がまだ聴いたことがない人に「愛しのロージー」を薦めるとするならば、おそらくまったく同じようなことを言うと思うし、これ以上の言葉は思いつかない。それぐらい、エバーグリーンにカッコいい最高のポップスなのである。
私は「愛しのロージー」のシングルを買わなかったのだが、B面には「サンセット・ドリーマー」という曲が収録されていて、これは後にデビュー・アルバム「SIDE EFFECTS 恋の副作用」にも収録された。
1985年の2月に私は大学受験のために上京し、都内のホテルに少しの間、宿泊していた。品川プリンスホテルに泊っていた時、部屋のホテルではテレビ神奈川を視聴することができたのだが、ポップ・ミュージックのビデオ・クリップを流す番組がとても多く、かなり感激した。こんなのが毎日観られるなんて、東京はなんて素晴らしいところなのだろうと思った。洋楽だけではなく、日本のロックやポップスのビデオもわりとかかっていたのだが、そこで「サンセット・ドリーマー」のビデオを観たような気がするのだ。今日、YouTubeで検索してもまったく見当たらず、本当にこの曲のビデオ・クリップが存在したのかは確証がないのだが、確かに観たと思うのである。そうでなければ、それまでに私はこの曲を知っているはずがないからである。
社会人になり、仕事が忙しくて恋人とあまり会えなくなったが、まだ来ない週末を待っている、というような内容の曲である。この曲の中で、おそらくオフィスレディーだと思われる恋人は、忙しいビルの中で朝から夜までタイプライターを打ち続けている。ワードプロセッサーでもパソコンのキーボードでもなく、タイプライターである。歌詞には地下鉄やラッシュアワーといった単語が出てくるが、それが地方都市の高校生だった私には、とても都会っぽく思えたのであった。そして、この曲で描かれているような大人の感覚に憧れを覚えた。
ポップスとは大人であったり都会だったりという、憧れの対象だったのである。そういった意味でも、この曲はとても強く印象に残った。
受験当日だったか、それとも下見だったのか、帰りに品川ではなく別の駅で降りて、歩いてホテルまで帰ろうとしていた。慣れない東京の街で、なぜそのようなチャレンジを思い立ったのかさっぱり分からない。そして、案の定、道に迷ってしまった。夕暮れが近づいていたが、心細さはなかった。スーツ姿の中年サラリーマンに、山手線の駅はこの辺りにないかと尋ねたのだが、目蒲線の駅ならばあるけれど、山手線の駅はこの辺りには無いと言われた。目蒲線という単語をこの時にはじめて聞いたし、その漢字が頭に思い浮かんでもいなかった。
その後、どのようにして品川プリンスホテルまで戻ったのかはよく覚えていない。途中で笹川良一がおばあさんを背負っている銅像がある建物の前を通った。そして、歩道橋をわたることにしたのだが、その上で立ち止まり、地上を見下ろしていた。たくさんの車が行き来して、夕日がとてもきれいだった。この街で春から暮らしていくのだと思い、その時に頭の中では「サンセット・ドリーマー」が流れていた。
「僕は沈むサンセット・ドリーマー そうさいつもスロー・ダンサー 交差点の人波に足を止めたところ」
大学受験の結果は思わしくないものだったのだが、とりあえずその春から東京で一人暮らしをはじめ、予備校に通うことになった。引っ越しをしたその日は、旭川から観光を兼ねて一緒に来た母と妹と秋葉原のロケットという店で家電を揃え、巣鴨の吉野家で牛丼を買って、帰ってから食べた。それから池袋のサンシャイン水族館でウーパールーパーを見たり、混んでいたこととラーメンがおいしくなかったことしか覚えていないつくば万博に行ったりして、数日後に母と妹は旭川に帰った。私は山手線で恵比寿まで行き、日比谷線に乗り換えてから六本木で降り、六本木ウェイヴで発売されたばかりの松尾清憲のデビュー・アルバム「SIDE EFFECTS 恋の副作用」を買った、一緒にザ・スタイル・カウンシルの12インチ・シングルも何枚か買ったような気がする。「愛しのロージー」は「夕べのひととき」から録音したカセットテープで何度も聴いていたバージョンよりもイントロが長かったが、やはり最高だと思った。アルバム全体がひじょうにクオリティーが高く、とても気に入ったのだが、いつか「サンセット・ドリーマー」のような、都会的な大人の感覚がリアルにグッとくる時も訪れるのだろうと思った。
そのためにも、まずは大学に合格するための勉強である。14インチのテレビでは同年代ぐらいの女の子たちが、キラキラと輝いていたが、彼女たちはその数ヶ月後に、「愛しのロージー」と同じ秋元康が作詞をした「セーラー服を脱がさないで」という曲でレコード・デビューし、池袋のサンシャインシティ噴水広場で予定されていたイベントは、人が集まりすぎたため中止になった。
それから30年後、「サンセット・ドリーマー」の世界観が似合う都会の大人になっているはずの私は、この池袋サンシャインシティ噴水広場で行われるモーニング娘。’15のリリースイベントに参加するため、早朝から列に並んでいた。
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