熊ボッコのこと。 | …

i am so disappointed.

先日、旭川の実家に帰省していたのだが、特にまったく予定を入れていなかったので、着いた翌日には市街地へ行こうということになった。旭川の駅前は平和通買物公園という歩行者天国になっているのだが、かつては陸軍第七師団が通る師団通だったらしい。第二次世界大戦の終戦と同時に第七師団も解体され、その後、平和通と改名されたようだ。そして、1972年には歩行者天国が開設されるのだが、これは恒常的なものとしては日本で初めてだったという。

 

私が幼かった頃、羽幌町や苫前町といった小さな町に住んでいて、夏や冬には祖父母が住んでいた旭川に家族で行ったのだが、やはり駅前の平和通買物公園に行くのが恒例となっていた。花時計や噴水などがあり、いつ行っても大勢の人たちで賑わっていた記憶がある。映画館もひじょうに多く、上映中の作品のタイトルが書かれた看板が並ぶ光景は壮観であった。

 

高校を卒業後、旭川を離れ、東京で生活をするようになったのだが、たまに帰省した時にはやはり平和通買物公園に行った。変化はそれほど感じていなかった。1990年代の半ばを最後にしばらく帰らなくなり、次に訪れたのは2008年のことであった。この時には大きな変化を感じた。一言でいうと、かなり淋しくなったという印象である。まず、平和通買物公園を歩いている人が少なく、記憶の中にあるような活気が失われているように感じられた。

 

旭川市の人口推移を見てみると、ピークは私がこの街から離れた昭和60年で、それから少しずつ減少しているのだが、平成29年においてピーク時の93パーセントということなので、体感ほど減ってはいない。世帯数においては毎回、過去最高を更新し続けているようである。日本全体の傾向と同様に、少子高齢化は確実に進んでいるので、それが実際の人口減以上に街に出ている人が少なくなったような印象をあたえているのかもしれない。

 

また、郊外に様々な商業施設ができたことにより、人々の買い物をする場所が分散したということも大きい。特に影響力が強いのは2004年に開業したイオンモール旭川西だったようだ。しばらくは市街地から無料送迎バスも出ていたという。

 

私がここに初めて行ったのは2011年の9月だったが、東京でもお馴染みの飲食や衣料品のチェーン店がたくさん入っていて、これでは市街地から人々の足が遠のくのも無理がないと思った。このイオンモール旭川西が開業した2004年には、旭川駅の地下にあったステーションデパートが閉店している。その後、2010年に駅が高架し、翌年の2011年には現在の4代目駅舎が全面的に開業した。長く慣れ親しんでいた駅が変わってしまうのはどこか寂しい感じもしたのだが、インターネットで北海道ローカル局のテレビニュースを観ると、地元の人たちは喜んでいるようなのでよかった。

 

それから、2015年に旭川駅と隣接するイオンモール旭川駅前が開業し、その影響もあり、旭川市街地のシンボル的存在でもあった西武百貨店旭川店が2016年に閉店した。2018年には駅前にツルハビルができて、高速バスの発着所は駅前ロータリーに移転した。

 

駅の中には土産物を扱っているコーナーや、ラーメンなどが食べられるレストランがある。土産は出発間際にでも買えばいいと思っていたのだが、とりあえずどういうのがあるか見ていた。旭川駅の土産物売場には菓子などの他に民芸品なども置いてある。そこで見つけたのが、熊ボッコである。木彫りの熊の人形なのだが、有名な黒い本格的な熊が鮭をくわえているようなタイプのものではなく、もっとコンパクトでキャラクター化されたようなものである。妹はずっとこれが欲しいと思っていて、何度か買おうとしたのだが止めるということを繰り返していたらしい。かなり昔に実家にもあったような気がするのだが、母は覚えていないと言っていた。熊ボッコという商品名らしく、これもかなりかわいい。

 

その後、記憶をたどり、思い出話をしたりしながら、母と妹と平和通買物公園を歩いた。当時とはすっかり変わってしまい、シャッターが下りて、営業していないところも多い。マルカツデパートにあるマツヤデンキは昔からずっとあり、かつては4条にも店舗があったということなのだが、私にはまったく覚えがない。4条にあった家電店はそうご電器だとばかり思っていた。しかし、後に以前は光洋無線と呼ばれていたことを知り、完全に合点がいった。また、スガイビルがあった場所は果たしてどこだったのか、というような話をしたりもした。以外にも妹はファッションプラザオクノには、ほとんど思い入れがないらしい。私は当時、地下にレコード店の玉光堂や広めの書店があったため、かなり頻繁に利用していたし、読売ジャイアンツの選手のサイン会にも行ったことがあった。地上階はレディースファッションの店が主体だったこともあり、ほとんど記憶がない。

 

当初は翌日の夜に東京に帰る予定だったのだが、深夜に大きな地震があったりして、飛行機が欠航になった。やがて飛行場の機能は復旧し、飛行機は発着するようになったのだが、チケットがなかなか取れない。2日遅れでやっと取れたのだが、今回の帰省最終日となったその日、やはり私は旭川電気軌道バスに乗って市街地に行ったのであった。妹は私の帰省に合わせて3日間、休みを取っていたのだが、元々はすでに東京に戻っている予定であったその日には仕事に行っていた。私は旭川駅の土産物売場に行き、熊ボッコを2つ買った。1つは自宅用、もう1つは妹にプレゼントするためであった。

 

熊ボッコはいろいろなサイズが販売されているようなのだが、その時に旭川駅の土産物売場にあったのは、中サイズのみであった。しかし、素材である木の年輪の具合によって、1つ1つ顔の表情が異なる。何体かあったうちの、できる限りかわいいものを2体選んだ。

 

熊ボッコのことが数日前に初めて見た時からずっと印象に残っていて、iPhoneで調べたりもしていたのだが、どうやら昭和2年創業の旭川市内にあるトミヤ郷土民芸というところで製造されているらしく、数に限りがあるらしい。このことを家族に話してみたところ、その場所もちゃんと分かっていた。「ボッコ」とは、北海道では棒のことを指すのだが、いまの若い人たちもそう言っているかどうかは定かではない。「こけしぼっこ」という商品があり、それはこけしが棒状になった民芸品だったようなのだが、熊ボッコはそれの熊バージョンのようなコンセプトでつくられたらしい。現在の熊ボッコに棒的なイメージは一切ないのだが、当初はより棒状に近いフォルムだったようで、インターネットで調べるとそれを見ることもできる。

 

ツイッターを軽く見てみると、世のかわいいもの好きの人々の中には、やはりこの熊ボッコに魅了された人も多いようである。トミヤ郷土民芸に行くと、実際に熊ボッコを買えるだけではなく、過去の様々なバージョンを見ることもできるようである。ヤフー!オークションで、いろいろなバージョンの熊ボッコが出品されているのを見たのだが、ピークは昭和40年代で様々なものが販売されていたようなのだが、現在はスタンダードなもののみで、しかも数に限りがあるのだという。それにしても、これは本当にかわいいものだ。懐かしいのだが、新しい。本来は大切なのだが、時代の流れの中で忘れられがちな価値観を思い出させてくれるようなところもある。

 

買った熊ボッコのうちの1体は飛行機に乗せて、東京まで連れてきて、現在は世田谷の自宅にいる。見れば見るほど本当にかわいい。