【旭川の印象③】街と音楽の記憶。 | …

i am so disappointed.

「街の唄が聴こえてきて 真夜中に恋を抱きしめた あの頃」というのは、佐野元春の初期の代表曲「SOMEDAY」の歌いだしである。このシングルがリリースされたのは1981年6月25日で、当時はオリコン週間シングルランキングの100位以内にも入らなかった。ちなみにその頃、オリコン週間シングルランキングで1位だったのは近藤真彦「ブルージーンズメモリー」、アメリカではスターズ・オン「ショッキング・ビートルズ45」、キム・カーンズ「ベティ・デイビスの瞳」、イギリスではマイケル・ジャクソン「想い出の一日」が大ヒットしていた。

 

「SOMEDAY」はリリース当時、あまり売れなかったが、ラジオでCMスポットは流れていたような気がする。「だからもう一度あきらめないで まごころがつかめるその時まで」からの部分が流されていたと記憶している。私はその数ヶ月前、中学校から帰ってきてからNHK-FMの「軽音楽をあなたに」を聴いていると、佐野元春の曲が何曲かかかり、たまたまそれを録音していたのだった。佐野元春の名前はおそらく音楽雑誌などでなんとなく知っていて、ライブハウスなどで活動中の若者に人気のロッカーというイメージがあったのだが、曲は聴いたことがなかった。その時にかかった曲は、アルバム「HEART BEAT」から「ガラスのジェネレーション」「NIGHT LIFE」「君を探している(朝が来るまで)」の3曲であった。メロディーに対する日本語の乗せ方が独特であり、また、その言葉のチョイスにもひじょうに新しいものを感じた。そのカセットテープは何度も繰り返し聴いたのだが、少し後にミュージックショップ国原で「HEART BEAT」のLPレコードを買った。

 

その年から全米ヒット・チャートをほぼ毎週チェックするようになり、ラジオ関東の「全米TOP40」を聴いたり、NHK-FMの「リクエストコーナー」を録音したりするようになった。その前の年から当時、「オリコン新聞」などとも呼ばれていた「オリコン全国ヒット速報」を買うようになった。それにも全米ヒット・チャートは載っているのだが、「全米トップ40」のものとは少し違う。「全米TOP40」がビルボードのチャートを元にしていたのに対し、「オリコン全国ヒット速報」に載っていたのは、その競合誌であるレコード・ワールドのものであった。「オリコン全国ヒット速報」は音楽業界誌「コンフィデンス」の一般人向け版というような感じだったが、「コンフィデンス」の競合誌で「ミュージック・ラボ」というのがあり、ビルボードはこちらと契約していたのであった。「ミュージック・ラボ」そのものは主に業界人が読むものであり、一般の書店では市販されていなかったし、価格もわりと高かったはずである。しかし、その付録として1枚の紙の表裏にビルボードと「ミュージック・ラボ」のチャートを印刷したものがあり、ミュージックショップ国原ではコルクボード的なものにそれを吊り下げ、自由に取って行っていいようにしていた。私が旭川のレコード店でもミュージックショップ国原派であった要因として、これはかなり大きかった。

 

土曜日、学校が午前中で終ると家で昼食を食べ、STVテレビで「お笑いスター誕生」を観る。それから、友人と自転車で市街地に行った。当時、スティーヴィー・ワンダー「マスター・ブラスター」のイントロ部分を「ドゥットゥチッチ、ドゥットゥチッチドゥットゥチッチドゥットゥチッチ」という風に人間カラオケ風に歌うのが、私と友人との間で流行っていた。あのレゲエ調のリズムが、なんだかとても印象的だったのである。そうしながら市街地へ行き、ミュージックショップ国原でビルボードの紙をもらい、レコード店や書店を見て、お金と気に入ったものがあれば買ったりもした。「オリコン全国ヒット速報」は1981年のある時期から「オリコン・ウィークリー」に、リニューアルされた。

 

私は佐野元春の「HEART BEAT」をとにかく聴きまくっていたのだが、その間に「SOMEDAY」のシングルが出て、ラジオでCMスポットも流れていた。しかし、そのシングルは買わなかった。いずれアルバムが出たら買おうと思っていたのだろう。1977年に父の仕事の都合で北海道の苫前町から旭川市に引っ越したのだが、その時の旭川の印象は大都会というものであった。人の多さもデパートの数も、それまで住んでいた町とは大違いであった。そして、夜にラジオをよく聴くようになった。心がひかれる音楽は、主に都会の生活のことを歌っていた。後にシティ・ポップなどと呼ばれる音楽が全盛の時代に入っていく。佐野元春の「HEART BEAT」はおそらく代表作とはいえないと思うのだが、私にはひじょうに思い出深く、とても重要なアルバムである。苫前町から見ると大都会の旭川で暮らしながら、さらに東京に思いを馳せていた。しかし、もしもあのタイミングで旭川に引っ越していなければ、もしかするとそんな気分にはならなかったかもしれないし、現在、東京で暮らしてすらいなかったのかもしれない。特に「NIGHT LIFE」という曲は、当時の私が東京という街に対していだいていた幻想のほとんどすべてだと言っても過言ではない。

 

そして、もちろん佐野元春が「SOMEDAY」で歌った「街の唄」の「街」とは、おそらく東京のことだったのだろう。しかし、「真夜中に恋を抱きしめ」、「『手おくれ』と言われて」いた私は、旭川でこの曲を聴いていた。だから、私にとって、「SOMEDAY」こそが「街の唄」であり、その「街」とは旭川のことなのであった。

 

そのうち、秋には「ダウンタウン・ボーイ」のシングルが出た。私はNHK-FMの「夕べのひととき」かなにかでかかったのをカセットテープに録音し、やはりシングルレコードは買わなかった。アルバムが出た時に買おうと思っていた。それでもこの曲は本当に大好きで、そのカセットテープを何度も何度も聴いた。歌詞を聞き取って文字に起こしたりもした。「夜のメリーゴーランド 毎日が毎日のアクロバット」「この街でまたひとつ誰かの 愛を失いそうさ」といった歌詞は、高校受験を前にして不安定になった心にもセンチメンタルにジャストフィットするような内容のものであった。「Marvin Gayeの悲しげなソウルに リズム合わせてゆけば」の部分については、そもそも「Marvin Gaye」という単語がなにを指すものなのか、当時はさっぱり分からなかった。「セクシャル・ヒーリング」でヒット・チャートにカムバックするのは、一年後のことであった。また、「ゆけば」の部分を、英語の「Get Back」だと勘違いしていた。

 

その数年後、私は高校を卒業し、実際に東京で暮らしはじめる。楽しいことがたくさんあり、東京にいなければ味わえないようなこともいろいろ経験した。なんといってもレコード店と書店がたくさんあるのが良かったのだが、ある時期からはインターネットで買うことが多くなり、さらにはデジタルデータのダウンロードやストリーミングでこと足りる部分もあり、店に足を運ぶ頻度はかなり減ってしまった。

 

先日、旭川空港の搭乗口で羽田行きの航空機を待っていて、まったく東京に戻りたいと思っていないことに唖然とした。いつからこうなってしまったのか。そして、もちろん仕事などいろいろ溜まっているので、それは全力でやるのだが、次の目標はまた旭川に帰ることだったりもしている。とにかく田舎で嫌で嫌で仕方がなく、早く東京に出て行きたかったのだが、いまは本当に素晴らしい街だなと思う。しがらみをはじめ、いろいろあるわけだが、私はやはりベースが旭川で、東京には一時的に出てきているという意識で今後は行くのだろうな、という気がかなり濃密にしている。とはいえ、ひじょうに軽くて適当ですぐに影響を受けやすいという自覚はものすごくあるので、また数日後にはまったく別のことを言っている可能性は大いにある。

 

 

 

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