アリアナ・グランデはアメリカのポップ・シンガーであり、楽曲の制作も行っている。10代の頃から女優として活動し、2011年に歌手デビューを果たしている。以来、3枚のアルバムをリリースし、全米アルバム・チャートでは2枚が1位、1枚が2位を記録、シングル・チャートでは計9曲をTOP10入りさせている。イギリスではアルバムをリリースする毎にその最高位を上げ、2016年5月リリースの「デンジャラス・ウーマン」においては、No.1を記録している。翌年からこのアルバムのツアーが始まったのだが、5月22日のマンチェスター公演において、悲劇が起った。ライブ終了後の会場建物内で自爆テロが起こり、被疑者を除いて22人が死亡、59人が負傷したのである。ツアーは一時的に中止されたが、翌月、事件が起こったマンチェスターにおいて、「ワン・ラヴ・マンチェスター」という慈善公演が行われた。これにはコールドプレイ、ジャスティン・ビーバー、ケイティ・ペリー、リアム・ギャラガーなども参加した。その後、ツアーは再開され、日本では幕張メッセでの2公演までもが行われることになった。日本の洋楽ポップスファンにもひじょうに高い人気があり、昨年の9月に日本のみでリリースされたベスト・アルバムは、オリコン週間アルバムランキングにおいて2位を記録している。
今年の4月20日にニュー・シングル「ノー・ティアーズ・レフト・トゥ・クライ」がリリースされ、全米3位、全英2位のヒットを記録した。マンチェスターで起った事件はアリアナ・グランデやファンにとって、大きなトラウマになったのではないかと思うが、そこから立ち上がって、強く前向きに生きていこうという意志が十分に感じられる、力強いポップ・ソングであった。
女性ポップ・シンガーのキャリアではよくあることだが、アリアナ・グランデは過去に様々なポップスのトレンドをその楽曲に取り入れ、ユニークなヒット曲を生み出していた。そして、前作の「デンジャラス・ウーマン」には、より大人のイメージを打ち出した作品であった。シングル・カットもされた表題曲においては、女性の主体的なセクシュアリティーを強く肯定し、ビデオもそのような内容であった。これに対し、ある人物が性差別的なコメントをSNSに書き込んだところ、アリアナ・グランデは激しく反論したのであった。また、2016年の暮れには、路上で見ず知らずの男性から性的な言葉を投げかけられ、これに深く傷ついたという女性の文章をツイッターでシェアしてもいる。
女性のポップ・スターがこのような姿勢を表明することは、ひじょうに重要なことである。たとえば女性のアイドルやポップ・シンガーを支持する男性ファンの中には、女性全般を物格化し、欲望の対象としか見ていない、ミソジニーを拗らせたようなタイプも散見される。しかし、当の女性アイドルやポップ・シンガーはこのようなファンからの支持によって活動ができているわけであり、思うところがあったとしても異議申し立てをすることには困難がともなうであろう。その結果、むしろミソジニストたちを慰安するような名誉男性化するという、最悪のパターンに陥る場合もある。主体的なセクシュアリティーの肯定は素晴らしいのだが、男性から性的にまなざされることを前提とし、それに応えるかたちでのアピールにはとても残念な気分にさせられることがある。
先日、ツイッターのタイムラインに私がまったく知らない女性アイドルのような方のツイートが流れてきた。どうやら女性ファン限定公演のようなことをやっているようなのだが、その時の写真を公開したところ、一部の男性ファンから「可愛い子もちらほらいるんですねぇ」というような、クソ気持ち悪いリプライが来たのだという。おそらく悪気はないのだろう。しかし、この方はツイートにおいて、それに対する不快感を理路整然と説明し、「一般の女の子からしたらおじさんの『かわいいねぇ』は恐怖です」という、とても大切なことが書かれている。自分自身は生業としてやっているのだから、それを引き受けるが、一般的にそれは悪いことなのだ、ということをちゃんと言っている。女性アイドルの中にもこのような方がいると思うと、希望が持てるのである。日本のクソセクシズム社会も少しずつ変わっているし、今後、さらに変えていける可能性もあるのかな、と思える。
それはそうとして、アリアナ・グランデである。次にリリースしたシングル「ゴッド・イズ・ア・ウーマン」においては、やはり女性としての主体的なセクシュアリティーの肯定が歌われている。特にゴキゲンなのが、「And I can be all the tings you told me not to be」という箇所であり、これはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン「キリング・イン・ザ・ネーム」における「Fuck you, I won't do what you tell me」に匹敵する痛快さである。
「rockin' on.com」においては、この曲のタイトルについて「ひところのフェミニズム的な感じもしないでもないが」などと書かれているが、フェミニズムはけして「ひところの」ものなどではなく、むしろこの思想が根幹にあるからこそ、アリアナ・グランデはより重要なアーティストたりえているともいえる。
これらのシングル、また、先行で公開されていたニッキー・ミナージュ参加の「ザ・ライト・イズ・カミング」をも含んだ最新アルバム「スウィートナー」がリリースされた。この「ザ・ライト・イズ・カミング」は、暗闇がすべてを失ったとしても、光はまた射すというようなポジティブなメッセージが連呼されるダンス・チューンである。アルバムはアカペラの「レインドロップス(アン・エンジェル・クライド)」ではじまるが、デビュー当時にマライア・キャリーとも比較されたボーカルの素晴らしさが堪能できる。空から雨が降り、あなたが去って行った時、天使が泣いたと歌われたその後、ファレル・ウィリアムスをフィーチャーした「ブレイズド」が続く。一度、あなたを手に入れたら、けして手放すことはないと何度も歌われるこの曲は、一般的なラブソングのようにとらえることもできるが、「あなた」とは「ザ・ライト・イズ・カミング」における「光」のように、生きることにおける希望のことを指しているようにも解釈ができる。
音楽的にはヒップホップのビート、また、そのサブジャンルとしてメインストリームでもトレンドとなりつつあるトラップからの影響が強く感じられる。それでいてバラエティーにとんでいるため、強力なダンス・ポップアルバムとして十分に楽しめる。
そして、アルバムの最後には「ゲット・ウェル・スーン」という曲が収録されているのだが、これもまたマンチェスターでの事件の被害者に対するメッセージを含んでいるのではないかと早くも話題になり、多くのファンを感動させているようだ。
アリアナ・グランデは兄で俳優のフランキーがゲイであることから、幼い頃からその文化に慣れ親しんでいる他に、ゲイやトランスジェンダーの友人が多いという発言もしている。音楽が素晴らしい上に、その考え方も影響を及ぼすであろう若者達や社会に対して模範的である。ポップ・スターとして、ひじょうに理想的であるように思える。
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