セクハラ天国ディストピアニッポンと私。 | …

i am so disappointed.

会社などで特に何の悪気もなくセクハラ的な言動、行動を取られる方々の中には、人生や仕事上での先輩で、それ以外の面ではひじょうに尊敬する人たちも少なくはない。もちろんできるだけ分かりやすく、それはユーモアやコミュニケーションではなく、性的いやがらせであり、いじめや暴力と同じだということを伝える。

 

まずはそのような行動、言動が放置されている現場にいるだけではらわたが煮えくり返り、最悪の気分になるのだが、これはまあ条件反射的なものである。

 

このようなことを、ひじょうに草の根的なレベルで個人的にやっているのだが、もちろん軋轢を生じたり人間関係が悪化したりすることはある。しかし、これは私の人としての根本的な価値観にかかわる部分なので、どのようなデメリットがあったとしても、これはやる。なぜなら、そのデメリットなるものは、その現場に私のような者がいるにもかかわらず、性的いやがらせによってその場にいる女性や(じつはわりと多くの)男性が不愉快な思いをし、それを放置することによって、性犯罪を軽視するような社会を温存させることに比べれば、じつに些細なことにすぎないからである。

 

性犯罪は多くの場合、表には出ないが、少なくとも私が親しくコミュニケーションを取ってきた女性たちにおいてはごく日常的なものであり、生まれてこのかた、一度もそのような目に遭ったことがないという方が少ないのである。酷い場合は、それが原因で精神を病み、最終的には自ら命を絶ったというケースもある。

 

コミュニケーションだとか軽いジョークだとか勘違いして上機嫌で何の悪気もなく発しているその一言が、このような社会を温存することに加担している。

 

この度、財務省の福田純一事務次官が女性記者に対し、性的いやがらせを含む発言をしたという記事が「週刊新潮」に掲載され、その音声データも公開された。

 

その内容たるやまさにセクハラクソ親父的感性に満ち溢れたものであり、胸糞が悪く、引用することも憚られる。品性下劣で、低俗そのものである。その場にいたら、おそらく瞬発的に殴っているのではないかというレベルである。思い出しても腹が立ってくる。

 

謝罪して辞任なり処分となるならばまだしも、どうやらシラを切り遠し、逆に「週刊新潮」や女性記者を脅迫するような発表があった。

 

つまり、国のエリートの集まりであろう財務省が、セクハラを容認するというメッセージを国民に対してあたえたのと同じことであろう。

 

日々、生活している中で、性犯罪天国のディストピアに住んでいるという自覚は何となくあり、それを正すべく自分自身のレベルでできることは言っていこう、やっていこうとは思っていたのだが、ここまで酷くなっていたとは驚きである。

 

絶望的な気分ではあるが、セクハラ親父的クソゴミメンタリティーが可視化されたということでもあり、このような価値観を根絶できる日を夢見て、日々を前向きに生きていこうと思った。

 

もちろん完全に根絶することはひじょうに難しいのだろうが、少しずつでも良くしていきたい。このような問題が、性的いやがらせであるとある程度の人々にはきちんと伝わり、同意を得られるようになったというだけでも、少し前と比べるならば、まだましになっているといえるだろう。

 

燃え上がる炎のような怒りに胸は焼かれているが、希望を捨てずに闘っていきたい。