好きな80年代アイドル歌謡10曲。 | …

i am so disappointed.

昨日、「80sディスク・ガイド」という20年前に出た本の「コーネリアス(小山田圭吾)VS常盤響 青春放談!」に触発され、私なりの1980年お気に入りアルバムベスト10的な記事を書いて上げた。セレクション自体はきわめて置きにいったというか、無難でつまらないものになったのだが、これでもわりとちゃんと考えたのである。10枚だけに絞るという行為はなかなか楽しかったし、出来上がったページがよくあるちゃんとした音楽サイトに掲載されたベストオブリストみたいでなかなかカッコよく思えたのだ。それで、調子に乗って他の企画でもやろうかと思い、まずは昨日は除外した日本のアーティストによる作品でやってみるのはどうかと思った。とりあえずリストアップはしたもののほぼ動画が存在しないので、これは昨日のページのようにはならないと思い、その時点で興醒めした。次に80年代のアイドルポップスでやるのはどうかと思い立ち、これも一旦頓挫しかけたのだが、ツイッターのタイムラインでテクノ歌謡ネタが個人的に盛り上がったというか、かなり以前に出ていてひじょうに重宝していたテクノ歌謡のコンピレーションCDの選曲を、じつはWHY@DOLLの曲などでもお馴染みの吉田哲人さんらが手がけていたことを知ったのであった。

 

今回のセレクションはあくまでいま時点のものであり、別の機会に選んだとするならば、まったく違ったものになる可能性は大いにある。また、客観的な評価とかではなく、あくまで私が個人的に好きなものを選んだ。いずれも当時、リアルタイムで聴いていたものであり、普通にテレビやラジオで流行歌として流れていたものである。あまりマニアックなものは入っていない。このような理由から、必ずしもそのアイドルの最も代表的な曲が選ばれているとは限らない。くどいようではあるが、あくまで私の個人的な好みで選んでいる。順位は付けられないので、発売日順に紹介していきたい。

 

ごめんねDarling/岩崎良美

 

松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ、男性では田原俊彦と同じく、1980年のデビューである。人気歌手、岩崎宏美の実妹ということで、かなり注目されていた。歌唱力が安定していたのと、どことなく上品なイメージから、いかにもアイドルという感じではあまりなかった。ポップスとして良質な曲が多いにもかかわらず、代表曲が人気アニメの主題歌「タッチ」と見なされがちなのは、やや残念である。

 

「ごめんねDarring」は1981年9月5日にリリースされた7枚目のシングルで、オリコンでの最高位は41位である。作詞・作曲は尾崎亜美で、エモーションズ「ベスト・オブ・マイ・ラブ」歌謡の1曲ともいえる。曲調はおしゃれなシティ・ポップ、歌詞の内容も大人のカップルを想像させる。

 

 

 

瞳はダイアモンド/松田聖子

 

1983年10月28日にリリースされた15枚目のシングルで、オリコン最高1位を記録している。作詞は松本隆、作曲の呉田軽穂は松任谷由実のペンネームである。

 

当時の松田聖子はもはやアイドルというよりは、1人のポップス歌手として幅広い層の人々から高く評価されていた。大学生のカーステレオでは、松田聖子のアルバムが山下達郎、松任谷由実、サザンオールスターズ等と同様の用途でよく流されていたという。この直前に全編英語詞である「SWEET MEMORIES」の大ヒットがあり、その評価もますます高まっていた。

 

「映画色の街」での恋の終わりが歌われるこの曲は、やはりシティ・ポップである。私は中学生や高校生だった頃に、アイドルとしての松田聖子の熱心なファンであったことはないのだが、その歌や音楽はひじょうに気に入っていた。音楽評論家のスージー鈴木さんは、1984年を日本の大衆音楽がシティ・ポップ化した年だとしている。シティ・ポップの名盤と呼ばれる作品が1980年のはじめの数年間にリリースされ、その影響がお茶の間の流行歌にも及ぶのがその辺りだということだろうか。「瞳はダイアモンド」はその直前にリリースされ、年明け早々に中森明菜「北ウイング」がリリースされる。

 

 

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めざめ/石川秀美

 

「花の82年組」である。1982年にデビューした中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優、デビューは1981年だが音楽賞レースにおいてはこの年の新人という扱いになる松本伊代らを総称して用いられるワードだが、もちろんこれ以外にも大勢のアイドルがデビューしたのだ。それにしても、後にヒットチャートの常連となるアイドルがこれだけ数多くデビューした年というのも他には無いのではないか。

 

石川秀美では「ゆ・れ・て湘南」「涙のペーパームーン」も好きだが、最も気に入っているのは1984年2月8日発売の9枚目のシングル「めざめ」である。オリコンでは最高8位を記録している。ゴージャスなアレンジが最高で、これもシティ・ポップのアイドル歌謡的な解釈といえるかもしれない。

 

この年、旭川雪まつりに石川秀美が来て、常盤公園に雪でつくられたステージでこの曲を歌った。西城秀樹の妹分としてデビューした当時は健康的なイメージが強かったがどんどん大人っぽくなっていき、現在は同じく1982年にデビューしたシブがき隊出身の薬丸裕英の奥様である。

 

 

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ト・レ・モ・ロ/柏原芳恵

 

1984年2月29日にリリースされた18枚目のシングルで、オリコン最高9位。作詞が松本隆、作曲は筒美京平という当時の黄金コンビによる作品だが、それ以上に船山基紀によるフェアライトを駆使したテクノポップアレンジがひじょうに印象的であった。コーラスは「想い出がいっぱい」をヒットさせたポップデュオ、H2Oである。

 

1980年の夏休み、父にはじめて東京に連れてきてもらい、その時に後楽園球場でデビュー曲の「No.1」を歌う柏原よしえを観た(名前はデビュー当時は平仮名の「よしえ」だったが、後に「芳恵」になった)。球場だったので豆粒ぐらいの大きさでしかなかったが、私にとってはじめて生で観た80年代アイドルであることには違いがない。

 

15歳でデビューした当時から大人っぽい雰囲気があり、歌も上手かった。中島みゆき、松山千春、谷村新司といったニューミュージック系の作家による曲もヒットさせていた。

 

イエロー・マジック・オーケストラを中心とするテクノポップは歌謡曲にも影響を及ぼし、後に「テクノ歌謡」として評価される作品が1980年代前半から多数生まれることになった。

 

 

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あなたに帰りたい(Dancin' In The Heart)/松本伊代

 

1985年3月5日リリース、14枚目のシングルでオリコンでは最高16位である。

 

私が1980年代で最も好きなアイドルは松本伊代である。数ある作品の中でこの曲が最も好きなのだが、代表曲として取り上げられることはほとんど無い。しかし、本当に好きなのでやはり挙げておきたい。

 

私が考える松本伊代の最大の魅力は、やはりその個性的な声である。この声があるだけで、どのようなタイプの曲を歌っても松本伊代のポップスにしてしまうのである。

 

TVの国でキラキラしているアイドルとしてデビューし、1980年代後半は同世代の女性が聴いて共感できるような路線に移行し、これもひじょうに良いのだが、「あなたに帰りたい(Dancin' In The Heart)」はその過渡期にリリースされた曲でもある。

 

イントロのサックスはチェッカーズがブレイクした翌年という時代を感じさせ、曲調はいかにも80年代ポップスというような軽さと明るさに溢れているが、歌詞は大人になることの切なさを描写している。コーラスはこの年に「Romanticがとまらない」でブレイクを果したC-C-Bである。

 

 

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白いバスケット・シューズ/芳本美代子

 

1985年3月21日発売のデビュー・シングルで、オリコン最高位は22位である。

 

「春の風が冷たくて」と歌われた後に、ドンドコドンというような打楽器の音が入るのだが、これがフィル・スペクターみたいで素敵だと思ったのだ。歌詞に登場する男の子が気遣ってスタジアムジャンバーを貸してくれるのだが、これに対して言うのが「風邪ひいても知らなくてよ」である。当時においても、このような言い方をする女の子はなかなかいなかったのではないだろうか。

 

そして、「眼を閉じて10秒待ったのに にぶい人ね もっと他の恋人たち 進んでる」は、松田聖子「赤いスイートピー」における知り合った日から半年過ぎても手も握らない男の子にも通じる、松本隆お得意のキャラクター設定である。

 

高校を卒業し、東京で一人暮らしをして間もない頃、テレビ東京の「おはようスタジオ」でこの曲を歌う芳本美代子を何度か観た。すぐに気に入って、シングルレコードを買ったのを覚えている。

 

当時、戸川純が雑誌のインタビューでこの曲を気に入っていると言っていた記憶がある。歌謡曲テイストの「好き好き大好き」をリリースした年だ。

 

 

 

夏休みは終わらない/おニャン子クラブ

 

1986年7月10日発売のアルバム「PANIC THE WORLD」収録曲で、アルバムのオリコン最高位は3位である。シングルカットはされていないが、「夕やけニャンニャン」ではよく歌われていた。

 

「夏休み」を「青春」の暗喩として聴くことも可能な、秋元康の作品の中で最も思い入れのある曲である。

 

歌詞に散りばめられたディテールと切なさの濃度が、夏の終わりのブルーズを加速させ、それでも夏は心の状態であるから、強い思いがあればそれは終わらないのだと、片岡義男的なメッセージさえも込められているようにも取れる。

 

8月の終わり、この曲を歌うおニャン子クラブを観ながら、当時のメインのファン層であろう学生たちは夏休みが終わってしまう切なさに胸を痛めていたと思うのだが、いずれそれは青春時代そのものもことでもあったのだと気づいたかもしれない。

 

そして、そのうちの一部は夏休みを終わらせないために、「モーヲタ」などとしてアイドル現場に戻ってきたのだろうか。

 

すでに大学生だった私は北海道に帰省中で、これを札幌の友人の部屋で観ていた記憶がある。走るバスのイメージは22年後に、AKB48「大声ダイヤモンド」でふたたび登場することになる。

 

 

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人魚姫 mermaid/中山美穂

 

1988年7月11日リリースの13枚目のシングルで、オリコンでは1位(年間9位)を記録している。

 

久保田利伸などの功績により、日本のポップ・ミュージック界においても、ソウル・ミュージック的な曲調、サウンドはかなりポピュラーになってきていた。その影響はアイドルポップスにも及び、この曲はその幸福な例の1つであろう。はじめて聴いたのは「夜のヒットスタジオ」でだったと記憶しているのだが、これはすごくカッコいいじゃないかとすぐに気に入ったのであった。

 

 

 

TOKYO野蛮人/ラ・ムー

 

1984年にアイドル歌手としてデビューし、数々のヒット曲を歌った菊池桃子を中心として1988年に結成されたバンド、ラ・ムーの3枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン最高位は8位である。

 

当時、菊池桃子がロックバンド結成などと報じられたが、実際にはソウル・ミュージック色の濃いものであった。菊池桃子のボーカルスタイルはアイドル時代のものとあまり変わっていないようにも聴こえ、セールスもソロ時代よりも落ちたことなどから、このプロジェクトについてはあまりうまくいかなかったと見なされているようなイメージがあった。

 

一昨年、渋谷のクラブで行われたDJイベントに行くと、ECDがラ・ムーのデビュー曲「愛は心の仕事です」をかけていた。先月、「レコード・コレクター」誌の80年代シティ・ポップ特集においては、ラ・ムーの唯一のアルバム「Thanks Giving」が名盤として選ばれていた。

 

菊池桃子の楽曲はデビュー当初において、シティ・ポップ的な作風で知られる林哲司が手がけ、デビュー・アルバムの「OCEAN SIDE」は、ボーカルを除けばフュージョンかシティ・ポップのアルバムだと言っても差し支えの無いようなものであった。

 

今日、いわゆる楽曲派などといわれるアイドルグループにはソウル・ミュージックやファンクを取り入れているケースがひじょうに多い。つまり、ラ・ムーは早すぎたのか。時代がラ・ムーに追いついたのか。

 

まったくの余談だが、菊池桃子は私が80年代に握手をした唯一のアイドルである。

 

 

 

Fade Out/小泉今日子

 

「花の82年組」の1人でもある小泉今日子のデビュー8年目、1989年5月10日リリースの27枚目のシングルで、オリコン最高位は2位である。

 

当時、最先端の流行音楽とされていたハウス・ミュージックの要素を取り入れたアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」の先行シングルで、作詞・作曲・編曲を近田春夫が手がけている。

 

当時の日本の流行歌としてはかなり異質なサウンドではあったのだが、「Ah 今頃Discoでは」以降はちゃんと歌謡曲っぽいメロディーになっている。1970年代からハルヲフォン、ビブラトーンズ、PRESIDENT B.P.M.と、都市生活者のリアルを表現し続けてきた近田春夫による、素晴らしい仕事である。小泉今日子は翌年、藤原ヒロシ、屋敷豪太による「La La La...」において、ラヴァーズ・ロックにもチャレンジしてしまうのである。