1989年4月1日の全米シングル・チャートにおいて、R.E.M.の「スタンド」が前週の14位から6ランクアップして8位に入り、1987年の「ワン・アイ・ラヴ」に続き、バンドにとって2曲目のトップ10ヒットを記録した。当時、R.E.M.のようなオルタナティブ・ロックのバンドがシングル・チャートにおいてもここまでのヒットになることは、ひじょうに珍しかった。「スタンド」は翌週に順位を6位に上げるとそのまま3週間キープし、それがこの曲の最高位となった。「ワン・アイ・ラヴ」の9位を抜き、この時点でR.E.M.にとって最も高い順位まで上がった曲であった(1991年に「ルージング・マイ・レリジョン」が4位を記録し、抜かれることになるのだが)。
R.E.M.は1980年にアメリカのジョージア州アセンズで結成され、1981年にシングル「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」、1983年にアルバム「マーマー」をリリースしている。当時、私は高校生だったのだが、おそらく音楽雑誌でこのバンドの名前ぐらいは知っていたのではないかと思う。歌詞が抽象的で、かつアメリカ人であっても聴き取りずらい、というような情報を何かで読んでいたような気がする。また、アメリカの「ローリング・ストーン」誌において、ライターからマイケル・ジャクソンの「スリラー」を抑えて年間ベスト・アルバムに選ばれたということも、何となく知っていた。他の候補にはポリス「シンクロニシティ」、U2「闘(WAR)」などが入っている。
しかし、私はR.E.M.のレコードをなかなか買うきっかけがなく、新作を出すたびに音楽雑誌では評価が高く、ひじょうに気にはなっていたのだが、ほとんど聴いたことがないような状態であった。
R.E.M.は1987年にアルバム「ドキュメント」から「ワン・アイ・ラヴ」を全米トップ10ヒットにして、それからメジャーのワーナーと契約を結んだ。そして、最初にリリースされたアルバムが1988年の「グリーン」であった。
私はかなりヒットしたはずの「ドキュメント」や「ワン・アイ・ラヴ」すらちゃんと聴いてはいなかった。この年にはイギリスでザ・スミスが解散するのだが、それを機にもうインディー・ギター・ロックのようなものは時代の主流ではないし、これから先もそうなる可能性はほとんどないのだろうと思っていた。そして、パブリック・エナミーなどのヒップホップを、これこそがこれからのロックンロールだと興奮しながら聴いていたのである。
テレビ朝日の「ベストヒットUSA」はもう放送されていなくて、フジテレビの「beat UK」が放送されるまでにはまだ少し待たなければ奈良なかったこの時期、私は何で洋楽のビデオを観ていたのかというと、おそらくTBSの「MTVジャパン」だったのではないかと思う。司会を音楽評論家の萩原健太さんがやっていて、アシスタントは光岡ディオンさんだったと思う。ロイ・オービソンが亡くなった時、トラベリング・ウィルベリーズのボーカルを誰がやるのかというような話の流れで、萩原健太さんは1960年代に活躍したアメリカの歌手、ディオンがいいのではないかと言う。光岡ディオンさんが自分のことを言われたのではないかと勘違いし、どうして私なんですか的な反応をして微妙な雰囲気になっていたような気がする。
それはそうとして、とにかく私は1989年のはじめぐらい、昭和から平成にかわってまだそれほど経ってはいない時期に、深夜のテレビで「スタンド」のビデオを観たのである。アメリカの大学生のような男女が横並びになって、どこか懐かしさをも感じさせるダンスを踊っている。曲もひじょうにキャッチーでありながら、どこか脱力感をも感じさせ、それでいてひじょうにポジティブな内容を歌っているようであった。
機会があればR.E.M.のレコードを買いたいと思っていながら時期を逃していた私だが、このビデオは本当に良いきっかけになって、確か渋谷のタワーレコードで「グリーン」のCDを買った。
「グリーン」は強力な政治的メッセージをもまた持っているアルバムではあるが、オルタナティヴ・ロックとしてひじょうに聴きやすい曲が多く収録されている。また、この後、R.E.M.は「アウト・オブ・タイム」「オートマチック・フォー・ザ・ピープル」と、キャリア中でも最も充実した作品を生み出していくのだが、「グリーン」で追いついたことによって、これらをリアルタイムでファンとして体験することができたのは良かった。
バンドのボーカリストでフロントマンのマイケル・スタイプによると、「スタンド」は1960年代のバブルガムポップのような感じを狙ってつくられたのだという。バブルガムポップとは、主に子供や10代の若者をターゲットとしてつくられた底抜けにポップで、内容に深さは無いようなタイプのポップ・ミュージックである。マイケル・スタイプはバナナ・スプリッツ、アーチーズ、モンキーズ、また、ギタリストでメインソングライターのピーター・バックはキングスメンの「ルイ・ルイ」に言及ぢている。
アーチーズは1969年に全米1位に輝いた「シュガー・シュガー」が、あまりにも有名である。1981年にオランダのスタジオ・ミュージシャン集団であるスターズ・オン45によるビートルズ・カバー・メドレー「ショッキング・ビートルズ45」が全米1位の大ヒットになったが、この曲の中ではショッキング・ブルー(後にバナナラマもカバー)「ヴィーナス」のイントロに続き、この「シュガー・シュガー」がカバーされ、それからビートルズ・メドレーに入る。
アーチーズは元々はコミックのキャラクターであったが、TVアニメ化の際にその中でバンドを組ませるというアイデアが出て、レコードも発売したところ大ヒットしたということのようだ。また、アーチーズには「シュガー・シュガー」の他にもトップ10ヒットが1曲、トップ40ヒットが3曲あり、けして「シュガー・シュガー」だけのいわゆる一発屋ではないのである。
また、「アイム・ア・ビリーバー」「デイドリーム・ビリーバー」など数々のヒット曲を持つ1960年代のポップ・グループ、モンキーズだが、こちらも元々はテレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」のために結成されたグループなのであった。
アーチーズとモンキーズは分かるのだが、バナナ・スプリッツというのがよく分からなかった。そういうグループがあったのだろうか。調べてみたところ、これは1960年代に放送されていた子供向けのテレビ番組であり、動物の着ぐるみたちがバンドを結成しているのだという。制作は「チキチキマシン猛レース」「ドラドラ子猫とカチャカチャ娘」などのアニメーションで知られる、ハンナ・バーベラである。
1960年生れのマイケル・スタイプにとってこれらの音楽は子供の頃にリアルタイムで親しんだ、ある意味ルーツとなる音楽の1つだったのかもしれない。
R.E.M.の「スタンド」とはつまり、1980年代のオルタナティヴ・ロックに1960年代のバブルガム・ポップの要素を取り入れるこにより、より幅広い層から支持されたという、ひじょうにユニークなヒット曲なのである。やたらと前向きな歌詞も、おそらく意図的なものなのであろう。
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