「1984年の歌謡曲」を読んだ。 | …

i am so disappointed.

音楽評論家のスージー鈴木さんが「1984年の歌謡曲」という本を出していることは昨年のある時期から知ってはいたのだが、なかなかタイミングが合わず、出版されてから11か月目にしてやっと読むことができた。

 

以前に「1979年の歌謡曲」という本を出されていて、これはひじょうに楽しめた。タイトルから想像できるように、その年のヒット曲について解説されているのだが、客観的な情報と個人的な思い入れとのバランスが絶妙であり、一気に読んでしまったのであった。

 

その後、「サザンオールスターズ 1978-1985」という本も出されていて、これもすぐに買って読んだ。とてもおもしろかった。1978年から1985年、つまりデビュー・シングル「勝手にシンドバッド」からアルバム「KAMAKURA」までのサザンオールスターズについて書かれているのだが、私が熱心に聴いていた頃とも完全に被っている。

 

というのも、スージー鈴木さんはどうやら私と同じ学年のようで、つまり同じような年齢で同じようなカルチャーを体験していたわけである。ではあるものの、やはり好みがやや異なっていて、ここがまたおもしろいのである。まるで大人になってから知り合った同年代の知人と居酒屋でトークに花を咲かせているような、そんな気分で読むことができたのである。

 

だから、「1984年の歌謡曲」もきっと楽しめるに違いない。イースト・プレスという出版社から発売されているのだが、いざ読みたいと思った時に書店に行っても置いていなかったことが何度かあった。しかし、ついにその時は訪れ、他の本や雑誌と一緒にAmazonに注文し、届いた翌日には読み終えていた。

 

表紙には帯がかかっていて、「そして、<東京化>する日本の大衆音楽=<シティ・ポップ>が誕生した」というコピーと、薬師丸ひろ子「Woman ”Wの悲劇”より」のジャケット写真が掲載されている。

 

シティ・ポップというと大滝詠一「A LONG VACATION」や山下達郎「FOR YOU」が連想され、1984年よりも少し前なのではないかという感じもしたのだが、その影響が流行歌にまで及び、お茶の間に浸透したというようなことなのだろうか、などと思いながら読みはじめたのであった。

 

1979年の日本のポピュラー音楽シーンの特徴が歌謡曲とニューミュージックとの対立だったとするならば、1984年においては歌謡曲とニューミュージックとの融合であると、そのようなことが書かれている。

 

1970年代後半にはニューミュージックのヒット曲がたくさん生まれたが、一方、歌謡曲においてはある程度のキャリアを重ねたビッグスターたちがヒット・チャートの常連として大活躍していた。このような状況で、新しいアイドルはなかなかブレイクできなかった印象がある。

 

1980年代に入ると、前年秋から放送されていたテレビドラマ「3年B組金八先生」に生徒役で出演していた田原俊彦が「哀愁でいと」でデビューし、いきなり大ヒットを記録する。私は歌謡曲が大好きだったので、金曜の夜8時はフジテレビ系の「ビッグベストテン」を観ていた。だから、「3年B組金八先生」のことはちゃんと知らなかったのだが、「ザ・ベストテン」に田原俊彦が初登場した時の鮮烈なイメージは、強く印象に残っている。とにかく底抜けにポップであり、何か新しい時代がはじまるような胸騒ぎを覚えた。

 

その数ヶ月前、ニッポン放送のラジオ番組「パンチ!パンチ!パンチ!」に出演していたパンチガールの1人、松田聖子が歌手デビューするということであった。デビュー曲「裸足の季節」はとても爽やかな曲で、ボーカルにも魅力があると感じたが、新人のアイドルがそう簡単に売れるはずがないだろうとも思っていた。

 

その頃、私は土曜日の午後に旭川の市街地に友人と自転車で行って、レコードや本を買うことを楽しみにしていたが、地元のレコード店である玉光堂がキャンペーンをやっていて、アーティストの名前が入ったステッカーをくれるということであった。私は特にファンと言うわけでもなかったのだが、松田聖子のステッカーを選んだ。そして、黒のマジックペンでプラスチックスのロゴマークが書かれた缶ペンケースに新しく松田聖子のステッカーを貼って、授業を受けていた。

 

1980年代に入ってはじめの年、流行していたのはテクノ、MANZAI、アイドルであった。つまり、すべてが急にポップにカラフルになっていくような感覚があった。この年にデビューしたアイドルでは河合奈保子、柏原よしえが後にベストテンの常連になり、続いて松本伊代、中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優らがデビューした。男性アイドルでは田原俊彦と同じジャニーズ事務所から近藤真彦、シブがき隊がデビューし、やはりヒット曲を連発した。また、薬師丸ひろ子、原田知世は角川映画に主演すると同時に、主題歌を歌って連続ヒットさせていた。

 

1980年に山口百恵が引退、1981年にはピンク・レディーが解散し、ヒット・チャートの顔ぶれは数年のうちにすっかり変わっていた。

 

1980年代の新しいアイドルたちの楽曲を提供していたのは、ニューミュージックやテクノポップのアーティストたちや、コピーライターや放送作家出身の新しい感覚を持った作詞家たちであった。

 

当時、アイドルをポップに語るミニコミ雑誌「よい子の歌謡曲」が一部で人気だったが、1980年代のサブカルチャー少年少女が愛読していた雑誌「宝島」にも連載を持っていた。

 

その年の夏休み、私は札幌のデパートの屋上で行われた菊池桃子の握手会に参加したりしていたのだが、デビュー・アルバム「OCEAN SIDE」のサウンドはまさにシティ・ポップという感じであった。

 

「1984年の歌謡曲」は、この年にヒットした48曲について、客観的なデータに基づく解説、また、きわめて個人的な記憶についても書かれていて、とても楽しく読むことができた。

 

ヒット曲ばかりを取り上げているのだが、当時、大阪でハードロック少年だったという著者が、これはやはり外せないということで、オリコンのランキングに入ってすらいないアースシェイカー「ラジオ・マジック」を入れている辺りも素敵である。

 

まったくの余談だが、もしも私がこのようなコンセプトの本を書くとするならば、スージー鈴木さんにおける「ラジオ・マジック」的な位置づけの曲は、松尾清憲「愛しのロージー」である。

 

この年はチェッカーズと吉川晃司がブレイクした年であり、特にチェッカーズの勢いはすさまじいものであった。しかし、私は女性アイドルの曲ばかり聴いていたので、その魅力についてあまり真剣に考えることはなかった。

 

「1984年の歌謡曲」においては、この辺りについての分析が秀逸であり、なるほどと思わされた。特にチェッカーズの成功の秘密が、「キャロル+YMO」であるというのがすごい。

 

あと、ビートたけし&たけし軍団「抱いた腰がチャッチャッチャッ」を新宿歌舞伎町のカラオケスナックで歌っていたオヤジの描写が最高である。

 

また、プリンスについての言及もあるのだが、1984年は「パープル・レイン」が大ヒットした年でもある。私はプリンスが本当に大好きで、毎年、新作が出る度にワクワクしては感激していた のだった。1980年代後半に岡村靖幸が登場した時、プリンスからの影響は明白であったが、日本語の歌詞や歌唱、ダンスのオリジナリティーがすさまじく、すぐに夢中になった。

 

一方、スージー鈴木さんは「パープル・レイン」がヒットした頃にはプリンスにはまらず、数年後、岡村靖幸がプリンスの影響を受けていると知り、それをきっかけにちゃんと聴きはじめ、良さが理解できたのだという。

 

私が大好きな原田知世「天国にいちばん近い島」や石川秀美「めざめ」などが取り上げられていないのだが、それでもとても楽しく読めたし、新しい発見もあった。今後もスージー鈴木さんの著書は、楽しみにしたいと思う。