Super Jam '83 | …

i am so disappointed.

スージー鈴木氏の著書「サザンオールスターズ 1978-1985」が素晴らしすぎて、すっかり当時の記憶がよみがえってしまった。

 

中でもピークとなるのが、1983年8月6日土曜日の出来事である。その日は札幌の真駒内屋外競技場というところで「Super Jam '83」というライブ・イベントが開催されていた。メインは当時人気絶頂であった日本のロック・バンド、RCサクセションとサザンオールスターズである。

 

この2つのバンドがこのような対バン的イベントで競演したのは、これが最初で最後だったのではないだろうか。

 

当時、旭川で高校生だった私は、このライブを体験していて、その時にもかなり感激していたのだが、いま思うととても貴重な現場にいたのだなということが、改めて認識できるのである。

 

ということで、先日読んだ「サザンオールスターズ 1978-1985」にも取り上げられていたということで、今回はこのイベントの思い出について、出来る限り書いていきたいと思う。

 

とはいえ、じつは私は以前に「変な人」こと道重さゆみファンとして書いていた「生きるブログ。」というやつで、この「Super Jam '83」についての思い出をすでに書いていた。それはきわめて個人的な思い出という感じのやつであり、ライブの内容やそれを取り巻く状況などについては、必要最低限しかふれられていない。

 

ほぼ誰が興味あんねんという内容なのだが、とりあえずリンクを貼っておきたい。

 

Super Jam '83|「生きる」ブログ。

 

このイベントについては、北海道内ではかなり告知されていたような印象がある。この頃、現在の夏フェスのように何組ものバンドやアーティストが出演する訳ではないのだが、数組が出演する野外ライブイベントというのが、わりと多かったような印象がある。

 

「サザンオールスターズ 1978-1985」によると、この年にサザンオールスターズはRCサクセションとの「Super Jam '83」以外に、西武球場でラッツ&スター、大滝詠一、名古屋球場で長渕剛、大阪南港で沢田研二、上田正樹、ラッツ&スター他、福岡小戸公園岬でサードワールド、サンハウス、子供バンド他と同様のライブイベントを行っているようであった。

 

RCサクセションも高橋幸宏と箱根で同様のイベントに出演し、それを何かの番組で観たか聴いたかしたような記憶がある。

 

1978年にデビューしたサザンオールスターズは、デビュー・シングル「勝手にシンドバッド」から「C調言葉に御用心」までを5作連続でヒット・チャートのトップ10に送り込み、テレビの歌番組やCM、芸能雑誌の表紙にもなるほどの人気バンドとなっていた。

 

1980年からはテレビ出演を控え、音楽制作に集中するが、これによってレコード・セールスは低迷し、わりと地味な存在になっていく。この間、音楽的な成長を確実に遂げ、シングル・ヒットは無かったものの、アルバムはよく売れていた。

 

そして、1982年、この年は意図的にシングル・ヒットを出そうとしていたようで、シングル「チャコの海岸物語」がオリコン2位を記録した他、「匂艶 THE NIGHT CLUB」「Ya Ya(あの時代を忘れない)」もトップ10入り、アルバム「NUDE MAN」は週間1位、年間3位の大ヒットとなった。

 

これ以外にもアルバム「NUDE MAN」収録曲を研ナオコがカバーした「夏をあきらめて」、桑田佳祐が中村雅俊に書き下ろした「恋人も濡れる街角」がトップ10入りし、ソングライターとしても大きく注目された。

 

また、この年には桑田佳祐と原由子との結婚、NHK紅白歌合戦への出場など、サザンオールスターズにとってひじょうに話題の多い年になった。

 

RCサクセションは忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチによって、1968年に誕生した。サザンオールスターズがデビューする、10年も前である。同じメンバーによる前身バンド、ザ・クローバーは1966年に結成されていたという。

 

当初はフォーク・ロックのような音楽性であり、1970年に「宝くじはいらない」でデビュー、1972年には「ぼくの好きな先生」がヒットするものの、その後、マネージャーの独立騒動に巻き込まれ、仕事を干されるなどの不遇の時期に入る。

 

後の代表曲「スロー・バラード」が収録されたアルバム「シングル・マン」が1976年にリリースされるもすぐに廃盤、この翌年に破廉ケンチが脱退している。

 

この後、新井田耕造、仲井戸麗市が加入するなどして、音楽性がバンド・サウンドに変化していったようだ。

 

私がRCサクセションの存在をいつ知ったのかは定かではないのだが、音楽評論家の吉見佑子が「シングル・マン」再発を懇願する運動をしていたことは、何かの雑誌で見て知っていた。

 

また、サラリーマンが社長に昇給を懇願するという内容のシングル「ボスしけてるぜ」が歓楽街の有線放送で放送禁止になったという話題は、確か「オリコンWeekly」で読んだ記憶がある。

 

その次のシングルが1980年10月にリリースされた「トランジスタ・ラジオ」だが、この曲は翌年の元旦からはじまった「ビートたけしのオールナイトニッポン」でかかっているのを聴いた覚えがある。

 

当時、コピーライターブームというのがあって、特に糸井重里などが時代の寵児として持て囃されていたのだが、私も結構好きで「ペンギニストは眠らない」「私は嘘が嫌いだ」というような本を買ったり、「ヘンタイよいこ新聞」という人気連載が載っている雑誌「ビックリハウス」を毎号買って読んだり投稿したりしていた。

 

当時のRCサクセションはその界隈と親和性が高く、糸井重里がMCを務めていたNHK教育テレビの「YOU」という番組でライブが放送されたりしていた。

 

「ビックリハウス」と並んで当時のサブカルチャー少年少女が愛読していた雑誌といえば「宝島」だが、RCサクセションやイエロー・マジック・オーケストラが大きく取り上げられることが多かったように記憶している。

 

1982年のはじめ頃、私は第一志望の高校に入学できるかどうかハラハラドキドキの毎日で、願掛けのために当時大好きだった松本伊代の「ラブ・ミー・テンダー」を何回も繰り返し聴くなどしていた。

 

その頃、サザンオールスターズが「チャコの海岸物語」で久しぶりに大ヒットを記録していたのだが、オリコンでは2位止まりであった。一方、RCサクセションの忌野清志郎とイエロー・マジック・オーケストラの坂本龍一が組んだ「い・け・な・いルージュ・マジック」はオリコンで1位になっていた。

 

高校に入ると、少し悪そうで遊んでいそうだが頭はいいようなタイプの女子生徒がRCサクセションのファンである場合が多く、私はどちらかというと佐野元春や山下達郎の方が好きだったのだが、これはRCサクセションも好きになっておいた方がいいのではないか、という気分になってきていた。

 

その夏、RCサクセションは「SUMMER TOUR」で初のトップ10ヒットを記録し、「ザ・ベストテン」にも出演した。

 

などと思い出話をダラダラと書いてきたが、要はRCサクセション、サザンオールスターズ共に、前年の1982年にかなり売れていて、そんな中で札幌でこの2バンドが競演するという事実がいかにすごいことだったかということである。

 

「Super Jam '83」の少し前に、RCサクセションは「OK」、サザンオールスターズは「綺麗」と、それぞれ新作のアルバムをリリースしている。そこからのシングルは大ヒットに至っていなかったが、バンドの人気、注目度はいずれもひじょうに高いものであった。

 

尚、この年にはイエロー・マジック・オーケストラが歌謡曲に寄せたシングル「君に、胸キュン。」でオリコン2位の大ヒットを記録し、山下達郎は後にクリスマスの定番曲となる「クリスマス・イブ」を収録したアルバム「MELODIES」でオリコン1位に輝いている。

 

「クリスマス・イブ」は初めに、シングル曲ではなくアルバムに収録されたうちの1曲として、われわれの前にあらわれたのである。しかも、季節は初夏であり、その時期に新しいクリスマス・ソングを聴くことは、なかなかシュールな体験であった。

 

さらに付け加えると、「クリスマス・イブ」はアルバム「MELODIES」の最終曲、つまりアナログ・レコードのB面の最も内周に近い溝に閉じ込められていたためか、私のそれほど高価ではないステレオにおいては高温が潰れたように聴こえ、あの美しいコーラス部分が十分に堪能できなかった。

 

「MELODIES」からの先行シングルは全日空のCMソングとしても起用された「高気圧ガール」で、オリコンでは最高17位を記録している。

 

佐野元春はベスト・アルバム「No Damage」で初のオリコン1位に輝いたが、それを置き土産にしてニューヨークに旅立った後であった。前年に佐野元春のアルバム「SOMEDAY」にゲスト参加していた沢田研二は、イギリスのアダム&ジ・アンツが流行させたジャングルビートを取り入れた斬新なシングル「晴れのちBLUE BOY」(作詞:銀色夏生、作曲:大沢誉志幸)をリリースし、私はこれが大好きだったのだが、オリコンでも「ザ・ベストテン」でも惜しくもトップ10入りを逃していた(「ザ・トップテン」では最高8位)。

 

サザンオールスターズは3月にリリースしたシングル「ボディ・スペシャルⅡ」がオリコン最高10位を記録し、「チャコの海岸物語」以降、シングルが4作連続のトップ10入りとなった。

 

続くシングル「EMANON」が最高24位に終わり、ここで連続トップ10入りは途絶えるのだが、「EMANON」はアルバム「綺麗」に収録されていて、しかも発売日も同じ7月5日であった。つまり、先行シングルですらなかった訳である。当時、多くのサザンオールスターズのファンはシングルよりもアルバムを買う傾向にあったと思われ、さらにB面に収録された「ALL STARS' JUNGO」も「綺麗」の収録曲ということで、このシングルがそれほど売れなかったことも納得できる。

 

「Super Jam '83」について、当時、高校2年生だった私は、これは行かなければならないのではないかという気がしていたが、チケット代がなかなか工面できず、それでもやっとかき集めて旭川のミュージックショップ国原に行った時には、すでに売り切れていた。

 

これにはかなり落胆していたのだが、友人にこのイベントのスポンサーであったそうご電器関係者がいて、チケットが手に入るらしいという情報を聞いた。それで、遂に行けることになったのである。

 

RCサクセションの「OK」もサザンオールスターズの「綺麗」も、確かイトーヨーカドーの地下にあった玉光堂で買ったと思う。かなり聴き込んでいたので、予習はもう十分という感じであった。

 

夏休みが近づくにつれ、もうそのことで頭はいっぱいであった。

 

尚、この頃、全米ヒット・チャートではポリスの「見つめていたい」が連続1位を続けていた。ビルボードでは7月9日付でアイリーン・キャラ「フラシュダンス」にかわって1位になって以来、9月3日付でユーリズミックス「スウィート・ドリームス」にその座を明け渡すまで約2ヶ月間、8週にわたってその順位をキープし、年間1位にも輝いた。

 

この曲が収録されたアルバム「シンクロニシティー」のLPレコードを、私はこの年の秋、修学旅行で訪れた東京で買うのだが、その店はオープンして間もない六本木ウェイヴであった。それから約1年半後に上京する私にとっての聖地となり、一時期は働かせてもらっていたこともあった。RCサクセションの最後のアルバム「Baby A Go Go」のCDは、ここで買ったはずである。

 

また、「Summer Jam '83」開催日に最も近いオリコン週間シングル・ランキングは1983年8月8日付のものだが、ここでの第1位は近藤真彦「た・め・いきロカビリー」である。2位が薬師丸ひろ子「探偵物語」、3位は原田知世「時をかける少女」と、共に角川映画とのタイアップで人気が出た女優が並んでいる。4位には松田聖子の「ガラスの林檎」が初登場し、翌週には1位に輝く。このシングルのB面には英語詞のCMソング「SWEET MEMORIES」が収録されていた。

 

1位から4位までをアイドル歌手と呼ばれる人たちによる作品が占めていて、5位は洋楽のアイリーン・キャラ「フラッシュダンス」である。次の6位がまたアイドルの小泉今日子による「半分少女」、他にも早見優「渚のライオン」、河合奈保子「エスカレーション」、中森明菜「トワイライト」、堀ちえみ「青い夏のエピローグ」、柏原芳恵「夏模様」と、トップ20のうち、10曲がアイドル歌手によるものであった。

 

他にこの週のトップ20に入っていた曲は、ニュー・ミュージックの村下孝蔵「初恋」、H2O「想い出がいっぱい」、シティ・ポップの上田正樹「悲しい色やね」、つっぱりロック(?)のT.C.R.横浜銀蠅R.S.「おまえにピタッ!」、演歌の都はるみ・岡千秋「浪花恋しぐれ」、細川たかし「矢切の渡し」、欽ちゃんバラエティー系ポップス(?)の風見慎吾「僕笑っちゃいます」、和製ロックの葛城ユキ「ボヘミアン」、テクノ歌謡のイエロー・マジック・オーケストラ「過激な淑女」である。

 

私は「Super Jam '83」に、同じ学年の少し悪そうな女子と一緒に行くことになっていた。朝早くに自転車で旭川駅まで行き、そこから汽車で札幌に行った。パルコを見たりカレーを食べたりして過ごしていたのだが、街でカルチャー・クラブの「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」がかかっていたことを、なぜだかすごくよく覚えている。

 

あと、一緒に行っていた同じ学年の少し悪そうな女子がパルコでピアスの穴をあけようかどうか迷ったあげく、結局あけなかったことも覚えているのだが、それ以外にどのような会話をしていたのか、札幌に着いてからの移動中のことなどについてはほぼ何も覚えていない。

 

真駒内屋外競技場は札幌市の中心部からはやや離れていて、午後のわりと早い時間帯に移動したのだったと思う。会場ではRCサクセションの忌野清志郎や仲井戸麗市のコスプレのような格好をした若者も、わりと見かけた。

 

RCサクセションとサザンオールスターズがメインのイベントだったのだが、他に小山卓治とウェスト・ウッドというアーティストが出演していた。ウェスト・ウッドは爽やかなアメリカン・ロックのような音楽を演奏していたような記憶があるが、定かではない。ティモシー・B・シュミットがステレオか何かのCMで歌っていたドゥー・ワップの「ソー・マッチ・イン・ラブ」という曲をやっていたと思う。

 

小山卓治はメディアなどでもそこそこ話題になっていて、デビュー・シングル「FILM GIRL」は、恋人がアイドル歌手になってしまったという内容であった。

 

ブルース・スプリングスティーン&E・ストリート・バンドというか、佐野元春&ハートランドというか、サックスが入ったバンド編成によるロックンロールというような音楽性であった。

 

私は後にこのアーティストのことがすごく好きになるのだが、この時が初見であった。会場はまだ明るく、客の入りもじゅうぶんではなかった。「俺たちに少しだけ時間をくれないか」などと言ってはじまった小山卓治のステージは、空回り的な部分もあったような気もするが、私はこの熱さにひじょうに好感を持ったのであった。

 

小山卓治の公式ホームページというのが、昔からよく出来ているというか、ファンにとって有難いつくりになっているのだが、この日のセットリストもちゃんと記録されている。但し、日付が間違えているのだが。

 

それによると、「カーニバル」「HEAT OF THE NIGHT」「朝まで待てない」「西からの便り」「ILLUSION」「FILM GIRL」「NO GOOD!」だったようである。

 

「Super Jam '83」の様子は後にFM北海道で放送され、私もカセットテープに録音というか、当時の言葉でいうところのエアチェックして持っていたのだが、いつの間にかとっくにどこかに行ってしまった。

 

しかし、インターネットで色々調べていると、この時の音源の一部を聴くことができたり、当時の雑誌に掲載されたと思われるこのイベントのレポート記事のようなものを読むことができた。それらによって補足された情報も含め、これから書いていこうと思う。

 

この時点で当初、想定していた文章の量を遥かに超えているのだが、書いている本人がおもしろいので、このまま続ける。

 

件のラジオ番組の音源のようなものには、イベント前日に収録されたと思われる、忌野清志郎のミニ・インタビューのようなものも収録されている。女性レポーターのような方の質問に対し、清志郎はわりと機嫌がよさそうである。

 

サザンオールスターズについては、「ぶっ潰してやる」「なんだあのイモバンドは。ふざけんな」「アマチュアみてえじゃねえか」「二度と足腰立たないようにしてやる」「何が桑田だ」などと言っている。

 

言葉だけを文字で読むと、かなり辛辣な印象だが、音源ではレポーターの女性が忌野清志郎のキャラクターを知り尽くしているからか、終始、プロレス的なギャグとして笑っているような雰囲気で、わりと和やかなのである。

 

北海道のラジオ局ではこれ以外にも事前番組のようなものが放送されていた記憶があり、その中でも忌野清志郎と仲井戸麗市がサザンオールスターズのことを「フォーク・バンド」とか「歴史がちがう」とか「電源切ってやる」とか言っていたような気がする。

 

また、今回、当時の記事を掘り起こしてはじめて知ったのだが、清志郎らがサザンオールスターズに対してこのような発言をしていたことは、ラジオリスナーの投書によって、すでに桑田佳祐に届いていて、それに対して激怒もしていたということである。

 

この日、サザンオールスターズのステージがはじまったのは17時20分だったということである。この日のセットリストは、以下のようなものだったようだ。

 

「ボディ・スペシャルⅡ」「MICO」「夏をあきらめて」「マチルダBABY」「星降る夜のHARLOT」「いとしのエリー」「PLSTIC SUPER STAR」「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」「そんなヒロシに騙されて」「EMANON」「My Foreplay Music」「ラッパとオジサン(Dear M.Y's Boogie」「ALLSTARS' JUNGO」「勝手にシンドバッド」「YELLOW NEW YORKER」「旅姿六人衆」

 

この年のヒット曲「ボディ・スペシャルⅡ」からはじまり、最新アルバム「綺麗」収録曲を中心としたセットだが、「いとしのエリー」「勝手にシンドバッド」といった有名曲をやってくれているところにサービス精神を感じる。私は「綺麗」というアルバムそのものが大好きで、いまでもサザンオールスターズで最も好きなアルバムといえるぐらいなので、このライブには大満足であった。

 

ライブの終わりに、桑田佳祐は「この後はみんなが大好きなRCサクセションが登場します」というような内容のことを言っていたと思う。何せ34年前の記憶であり、ちゃんとした資料も無いので確かなことは言えないが、RCサクセションのプロレス的な挑発に激怒していたというのが本当だとするならば、何という大人の対応であろうか。

 

この後、RCサクセションのステージになるのだが、1曲目はメンバー紹介も兼ねた挨拶的なナンバー、「よォーこそ」である。この時に、忌野清志郎もまた、「サザンオールスターズがゴキゲンな演奏をしてくれたぜ」的なことを言っていたと記憶しているのだが、定かではない。

 

あれだけラジオで挑発的なことを言っていたのに、桑田佳祐がRCサクセションに対して好意的なことを言ったので機嫌がよくなったのではないかと、当時17歳の私はそのような浅薄なことを考えていた。

 

会場はすっかり暗くなっていて、RCサクセションのステージは本当にロック・ショウという感じで、ひじょうに迫力があった。RCサクセションのライブには上京してからも何度か足を運ぶのだが、この時が初めての体験であった。

 

当時のレポート的な記事に記載された曲目はこの他に、「ドカドカうるさいR&Rバンド」「Sweet Soul Music」「お墓」「君が僕を知ってる」「つ・き・あ・い・た・い」「スロー・バラード」「トランジスタ・ラジオ」「SUMMER TOUR」「指輪をはめたい」「雨あがりの夜空に」であった。

 

実際には他にも何曲か演奏されたような印象があるのだが、記憶が定かではない。最新アルバム「OK」収録曲と定番曲のバランスが絶妙であり、最新シングルの「Oh! Baby」はわりと気に入っていたのだが、演奏されなかったことは覚えている。

 

ラジオ音源に残された記録の中で、忌野清志郎はこのように言っている。

 

「オーイェー!真駒内ベイベー!オーイェー!オーイェー!オーライ。サンキューエブリバディーイェー!北海道に来られてゴキゲンな夏だぜイェー!サンキューエブリバディー!サザンオールスターズとも一緒にやれてよォ、ゴキゲンだぜベイベー!オーイェー!」

 

これは、この日の何曲目かに演奏された「つ・き・あ・い・た・い」の前のMCである。

 

この日、「よォーこそ」ではじまったRCサクセションのステージを、演奏を終えたサザンオールスターズのメンバーはPAミキシングの席の周りで見ていたのだという。桑田佳祐は打ち上げの席で、「誰も気がつかなかっただろうけど、オレ、涙出ちゃった」と語ったのだという。

 

RCサクセションの「雨あがりの夜空に」は、アンコールで演奏された。その時のラジオ音源に残されたMCを、書き起こしてみたい。

 

忌野清志郎「サンキューエブリバーディー!真駒内ベイベー!オーイェー!ゴキゲンな奴らだぜ!イェー!サザンオールスターズ!イェー!サザンオールスターズ!オーライ!」

桑田佳祐「RC最高だねー!RCバンザーイ!やっぱり最高、RC!日本一!オーイェー!」

忌野清志郎「サンキュー、桑田、イェー!ゴキゲンな野郎だぜ。イェー!オーライ!サザンオールスターズ!イェー!」

 

この後、RCサクセションとサザンオールスターズのメンバーが入り乱れての、「雨あがりの夜空に」のパフォーマンスとなる。

 

演奏の最後には、清志郎が「サザンオールスターズ!」、桑田が「レディースアンドジェントルメン、RCサクセション!」とお互いのバンド名をコールし合い、清志郎の「どうもありがとう、愛してます。バイバーイ!」で演奏が終わると、同時に花火が上がる。

 

最後にはこのイベントを体験したばかりのファンたちの声が収録されていて、それがどれも興奮と感動が伝わる、素晴らしいものである。

 

この日の夜遅く、ささやかなパーティーが開かれていたということなのだが、そこで仲井戸麗市はRCサクセションを代表し、「最初はぶっ潰してやろうと思ったけど、桑田はいいヤツだ。サザンはいいバンドだ」と語ったらしい。一方、桑田佳祐は「RCには完敗でした。でもキモチのいい負け方だった。来年は僕らの前座で出て下さい」と挨拶したようだ。

 

人生において、伝説に立ち会えたと思える場面がいくつかあるとするならば、おそらく私にとってこのイベントはそのうちの1つだったのではないかという気がする。