雑誌は毎月発行されているのだが、おそらく何らかの理由で数ヶ月間、届かない時期があった。
この雑誌は英国の音楽紙「NME」「メロディー・メイカー」の過去の記事を編集してまとめたもので、ポピュラー音楽の歴史を当時の感覚で追体験する手助けとなっている。
とはいえ、ある時期から私の生活がいろいろと忙しくなってしまい、届いてはいるものの読まずに保管しているだけになってしまっていた。雑誌の内容上、別に急いでいますぐ読まなくても、いつか時間がじゅうぶんに出来た時の楽しみとしてとっておいてもいいだろう、とも考えている。
今月は1984年をテーマにした号が届き、思い入れがある年でもあるし、先月までと比べると少しは時間的な余裕もできたため、というか、体調をやや崩してしまい、意図的に少しだけスロー・ダウンした方がトータル的に生産性が高まるだろうという判断をしたため、毎日少しずつ読んでいる。
この年、私は高校3年であり、1年中を旭川の実家で過ごした最後の年であった。秋には小学5年からずっと住んでいた家から、現在の実家に引っ越した。
当時は高校生とうこともあり、買えたレコードはせいぜい月に1枚程度であった。もちろんその選択には慎重になったものである。
この年に買ったレコードでよく覚えているのは、ザ・スタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」、ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・USA」、カーズ「ハートビート・シティ」、U2「焔(ほのお)」、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「BIG BAM BOOM」、佐野元春「VISITORS」、サザンオールスターズ「人気者で行こう」、RCサクセション「FEEL SO BAD」などである。
大ヒットしたプリンスの「パープル・レイン」は大好きだったし、映画も観に行ったのだが、友人が持っていたのでそれを借りて聴いていて、自分では買わなかった。
とにかくザ・スタイル・カウンシルの「カフェ・ブリュ」がかなり好みであり、当時、ジャズっぽいテイストの入った音楽がイギリスでは流行っていて、その辺りがわりと好きだなと感じていた。
しかし、インターネットもまだ無い時代、旭川の普通の高校生に入手できる情報などはたかだか知れていて、前年にリリースされたシャーデーの「ダイヤモンド・ライフ」などを手に入れて興奮しながら聴いているぐらいがせいいっぱいであった。
当時、旭川で「宝島」などのサブカルチャー雑誌を読んでいると、どうやら東京で最もおしゃれな場所は西麻布あたりのカフェバーらしく、ザ・スタイル・カウンシルやシャーデーなどの音楽は、そのような所でかかっているのではないかという印象があった。もちろん当時、実際に西麻布のカフェバーに行ったことなどは、一切なかった。
私が高校を卒業し、東京で生活するようになると、とんねるずが「雨の西麻布」というタイトルの演歌パロディーのようなものを歌っていたり、松本伊代が「人影のないカフェバーで 最後に聞いたデュラン・デュラン」と歌う程度に、これらの感覚は一般大衆的に消費されつくしていたようである。
「THE HISTORY OF ROCK」で1984年当時のブルー・ナイルのインタヴューを読み、そのデビュー・アルバム「ア・ルーフ・アクロス・ザ・ルーフトップス」に興味を抱いた。
ブルー・ナイルはスコットランドのグラスゴー出身のグループであり、1989年にリリースされた2枚目のアルバム「ハッツ」が名盤として知られているため、それは聴いたことがあった。
パンク/ニュー・ウェイヴ出身のアーティストがソウルやジャズの影響を受けたタイプの音楽といえば、ザ・ジャムのポール・ウェラーが結成したザ・スタイル・カウンシルが典型的だが、この頃はわりとこういうのが流行っていたような気がする。
当時、日本やアメリカでも人気があったデュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ワム!といったポップ寄りのイギリス出身グループにしても、ソウル・ミュージックの影響を受けた音楽性が特徴だったわけである。
今回、リリースから33年目にして初めてこのアルバムを聴いたわけだが、すっかり気に入ってしまった。ソウル・ミュージックに影響を受けていながら、感覚としてはニュー・ウェイヴなわけであり、それは当時の私がかなり好きだった音楽性である。
中でも、「ティンゼルタウン・イン・ザ・レイン」という曲が気に入った。この曲はブルー・ナイルの出身地であるグラスゴーに捧げられているようである。
テーマは都会での恋愛のようである。きらびやかな街の生活の中で人々は孤独をかかえ、恋愛だけがそれを心の底から癒してくれる。それはやがて終わりを宿命づけられているとしてもである。
これはおそらく古今東西を問わず、ひじょうに重要なテーマであり、特に私にとってはリリースから33年目のいまこのタイミングで初めて聴いたことが運命でもあるかのように、グッとくる内容になっている。
