これはたとえば恋人同士の関係や仕事や夢といった、様々な状況において、そうだといえるのではないだろうか。不平不満を持ちながらも、まだ続けていられるということは、つまり未来への希望や期待が完全には失っていないということなのだろう。
だが、実際にそうなのだろうか。痛みや深刻さを感じないために、絶望や無気力状態に自分自身を無意識に適応させている可能性もあるのではないだろうか。
そのような人生というのは、一体どうなのだろうか。
本当のことというのは、どの程度に知ることが最も幸福なのだろう。
ちょっと何言ってるか分からない。
やりたいことがもう何も残っていない場合、それでも生きていくことはできるわけだ。
いや、本当に何も残ってはいないのかというと、けしてそんなことはなく、「不可能なこと以外には」何も残っていないというのが、正確なところである。
では、なぜ不可能なのか。不可能を可能にするような努力はしないのだろうか。たとえそれが限りなく困難であったとしても、可能性に賭けて行動することは、それ自体が生に充足をもたらしはしないだろうか。
まったくその通りなのである。
しかし、そうまでしようという気がまったくない。ということは、つまりその程度の思いにしか過ぎないわけである。
いや、そうではないと言いたいところだが、では、なぜそれに向かって行動しないのかというと、いろいろとしがらみだとか社会通念だとかに反したり、現実的に迷惑をかける人たちが出てきたりするからである。そして、何よりもできればもう人をあまり傷つけたりしたくはないのだ。
と、このように言い訳のし放題なわけで、常日頃から人に対して自分に嘘をつくなとか正直に生きろ的なことを言いがちな私ではあるものの、一体どの口がいうか、という感じなのである。
いかんともしがたいとは、まったくこのことである。
意味を考えるとつらくなる。つらいの一言である。もう本当に消えて無くなりたいとかいうことを平気で口走ってしまう昨今であり、きわめて健全な状態とは言い難いのである。
意味ではなく強度を、未来ではなくいまここを、とかそういうことだろうか。それでも、いまここの先に未来を考えてしまう。そうなるともう失意しかない。
こんな問題はもう13年ぐらい前に解決済みであり、まさかこの期に及んでぶり返すとは思ってもいなかった。それはある意味、喜ばしいことなのかもしれないが、実際に起こってしまえばそんなことも言っていられないという、そんな感じなのである。
まったくもって油断をしていたというか、心に隙があったとしか言いようがない。この点についてはじゅうぶんに反省するべきであろう。しかし、本当にそう思っているわけではない。どないやねん。
おそらく時間が経てば忘れてしまうのだろうし、それは関係者にしても同じことであろう。それははっきりと分かっているのだが、もしかするとそれはとても勿体ないことなのではないか、などと思っているところもあり、まったくもって性質が悪いとしか言いようがない。
1992年のクリスマス・イヴ、新宿アルタの中にあったレコード店、シスコに彼女はやって来た。なぜなら、そこで待ち合わせをしていたからである。白いセーターを着ていた。それをはっきりと覚えている。直前まで私は自室にて、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「イズント・エニシング」を聴いていた。
師走の新宿の街は陽気な人たちで溢れかえっていて、予約もせずにたった2人で入れる店などは見つからなかった。それで、くだらない話をしながらただ歩いた。あの夜、彼女は私1人だけに会うために、総武線に乗って新宿までやってきた。なぜ、新宿で待ち合わせをしたのだろう。それはおそらく彼女が総武線、私が京王線の沿線に住んでいたという、ただそれだけの理由だったのだろう。
京王線に乗って、明大前のドイツレストランのようなお店で食事をした。あの夜には、まだ様々な可能性が残されていた。いや、残されていなかったのかもしれない。
あれは、果たして現実だったのだろうか。
人生最高の日だと思えるようなことが、それから何度も訪れた。しかし、その結末を思えば、それらはすべてまやかしだったのだろう。そしていま、あの夜こそがじつは人生で最高の日だったのではないかと思う。このように考えたことは、これまでおそらく一度もなかった。
あの夜の記憶を抱いたまま、それ以降に起こったことを何1つ知らずに死ねるとするならば、それは私に可能な限りの最高の人生ではないだろうか。まったくどうかしているのだが、いまは本当にそう思えてならない。
かと言って、それを取り戻すことは、いまや完全に不可能である。このことにいつから気づいていたのだろうか。
おそらく彼女と最後に会った街に、先日、アイドルのイベントで行った。あの頃、彼女が働いていた建物は、もう取り壊されていて無かった。
彼女はいまもどこかの街で、誰かと希望や絶望を抱きながら暮らしているのだろうか。知るすべはないし、知りたくもない。
そのまぼろしが、姿をかえて私の前にあらわれる。それは、かつて私の心が死んで眠っている墓場から揺り起こされて出てきた亡霊のようでもある。
果たされなかった夢はまぼろしであり、こんなことが一体いつまで続くのだろうか。
いい加減にとどめを刺してはくれないだろうか。
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