エブナイSAT | …

i am so disapointed.

2001年、私は町田市内のとあるショップで働いていた。毎週土曜日は仕事が深夜に及び、翌朝は9時半ぐらいには出勤しなければならなかったため、もちろん当時住んでいた渋谷区の自宅には帰れるはずもなく、仕事場近くに会社が借りていたマンションの一室に泊っていた。

とはいえすぐには眠れずに、コンビニエンスストアで買ってきたビールを飲みながら、プレイステーション2で「実況パワフルプロ野球7」をやったり、深夜のテレビを適当に見たりして過ごしていた。

2000年10月に、フジテレビで「エブナイ」という番組がはじまった。「エブナイ」とは「エブリナイトフジ」の略であり、かつて同局で土曜深夜に放送していた「オールナイトフジ」へのオマージュだということだった。

1983年から1991年まで放送されていた「オールナイトフジ」は、世に女子大生ブームを巻き起こしたり、他局でも深夜の番組に力を入れるきっかけになったり、女子高生版としておニャン子クラブを誕生させたり、とんねるずをブレイクさせたり、最終回で何度もかかった「WON'T BE LONG」のヒットによって、バブルガムブラザースを紅白歌合戦に出場させたりと、話題が尽きない番組であった。私もある時期までは、大いに楽しんで観ていたものである。

「エブナイ」のテーマは「毎日深夜にお届けするエンタメバラエティ」ということで、放送は「オールナイトフジ」のように土曜深夜ではなく、月曜から木曜までの平日であった。

レギュラーは日替わりで、当時の人気お笑い芸人などが出演していた。月曜から水曜までの「エブナイ」は翌年3月で終了し、木曜と新たにはじまった土曜の週2日間の放送となった。

木曜日には雨上がり決死隊、DonDoKoDon、ガレッジセールが出演していて、かなり人気があった。後に「ワンナイR&R」に改題され、曜日や時間帯が変わるなどして、2006年まで続いた。

宮迫博之と山口智充による番組内ユニットのくずや、ガレッジセールのゴリが演じたゴリエのCDが大ヒットしたり、ビデオやDVDも多数発売されるなどした。

一方、土曜日に放送されていた「エブナイSAT」だが、こちらは2002年3月で放送を終えている。

インターネットでこれだけいろいろな人がニッチな話題についてあれこれ書いているこの時代だが、この番組についての言及はほとんど見られない。それだけ印象が薄い番組だったということだろうか。

少なくとも私にはそうは思えない。この番組は私にひじょうに強い印象を残している。そして、もしもこの番組の過去の映像などを観ることができたならば、おそらく興奮を隠しきれないであろう。

ここからはあの番組の記憶をインターネット上になるべく残すという目的だけで、書いてみたいと思う。観ていなかった人にとってはまったく分らないことが多いと思うのだが、とりあえず思い出せるだけのことを書いてみたい。

番組の司会はビビるであった。そう、現在、バラエティー番組によく出演しているビビる大木がかつて組んでいたコンビである。そして、いまもキャスターとして活躍する望月理恵である。

番組では視聴者からのダメ出しをFAXで募集していて、番組の終りに最もダメだった出演者が罰ゲームを受けるという企画があった。番組のアシスタント的なポジションであったエブサタガールは、台本が読めなかったりいろいろとダメ出しを受けることが多かった。

ある回でビビる大木が選んだダメ出しは大内登に対するもので、その理由は「エブサタガールより色白い」という理不尽なものであった。芸人としてはひじょうにおいしいところなのだが、大内豊は「そんなの親に言ってくれよ」などとわりと真面目なトーンでキレていて、おもしろかった。

また、ある時期からなぜか「マセノボルTX」なる芸名に改名していて、ジャンプしながら体をXの形にして「マセマティックス」と叫ぶという、よく分らないギャグをやっていた。

望月理恵は「女王様が料理番」というコーナーを持っていたが、これは高飛車な女王様キャラクターで料理をするという内容なのだが、出演している芸人たちから主に年齢についての野次がとびまくり、それに耐えながらやっている姿が印象的であった。当時、29歳か30歳だったはずである。美人だがお笑いのセンスがあり、自虐もできる、バラエティーにもってこいの逸材ではないかと思った。

芸人では他にやるせなすの中村豪、ホームチーム、ポプラ並木が出演していた。

中村豪は「漫力2」というお笑いバトルのコーナーを担当していた。毎週2組の芸人がネタを披露し、勝った方が翌週、また新たな挑戦者と対戦するというものであった。私はこのコーナーで初めておぎやはぎを観て、とても斬新でおもしろいと思った。

いろいろな事務所の若手芸人を呼んでゲームをするようなコーナーもあり、アメリカザリガニ、チャイルドマシーン、シャカ、18KINなどがよく出ていたような印象がある。ホームチームの与座嘉秋が「よろしくネッシー」というよく分らないギャグをやたらと推していた。

ホームチームとシャカは中川家と共に、2001年10月からフジテレビで月曜深夜に放送開始した「感じるジャッカル」にもレギュラー出演していた。

ポプラ並木はいろいろなアルバイトに挑戦しておカネを稼ぐというよく分らないコーナーに出演していたが、途中で喧嘩をするようなシーンもあり、どこまでが演技でどこからがガチなのかよく分らないような感じであった。後に解散するのだが、コンビ仲はかなり険悪になっていたようである。

エブサタガールのメンバーは西田夏、かわい綾、永井流奈、村瀬日加里、山田千鶴、理子、宇恵さやか、稲葉ちあき、大上祐美子、曲山えりの10人である。

じつはフジテレビのホームページに「エブナイSAT」の番組ページがまだ残っていて、そこには曲山えりの名前が無く、代わりに蓮城ゆみこという名前が書かれているのだが、じつはこれは大上祐美子と同一人物である。仕事によって芸名を使い分けていたのか、途中で改名したのかは定かではない。また、なぜ曲山えりの名前が記載されていないのかも謎である。

西田夏はダイエットに挑戦するコーナーに出演していた。「痩せろ!」という直球のコーナー名だったが、目標はあるコンテストに合格することであった。しかし、この企画は途中で落選することによって、終了した。

「エブナイSAT」終了後に女子プロレスに挑戦するが、翌年には芸能界を引退している。その後、DA PUMPのYUKINARIと結婚するが、後に離婚している。

かわい綾はグラビアアイドルとして雑誌などにもよく露出していたが、妊娠が発覚し、「エブナイSAT」の最後の方は妊婦アイドルとして出演するという、かなり斬新なことになっていた。

永井流奈は荒木経惟が撮影した「流奈 天城淫行」なる写真集の発売もあり、はかなげな雰囲気がとても印象的であった。「エブナイSAT」が終った翌月から一般入試で合格した立教大学文学部英米文学科に入学し、卒業後は海外留学をしたりしながらも活動を続けていたが、2008年に芸能界を引退している。

村瀬日加里は幼いキャラクターで親しまれていたが、番組終了後の情報はほとんど得られていない。芸能界はすでに引退しているようである。

山田千鶴は番組途中から明らかに推されはじめているな、という印象があった。最も正統派アイドルに近かったのではないだろうか。「エブナイSAT」が終った翌月に奥村チヨの作曲・プロデュースで「林檎のうさぎ」というCDをリリースし、その後は志村けんの番組などに出演していたが、2005年ぐらいに芸能界を引退したようである。

理子は元ヤンキーのギャルというような雰囲気が、バラエティー的にはかなりおいしかったと思われる。いわゆるゴミ屋敷のような汚い部屋を訪問して掃除をするというコーナーで、冷蔵庫の中にあった古い食べ物の匂いを嗅いだりした時のリアクションが秀逸だったことを覚えている。「お利口理子」を自称することもあったと思う。一場千秋、一場理子の名前でも活動していたようだが、「エブナイSAT」終了後についてはまったく情報を得ることができない。

宇恵さやかもなかなかバラエティーセンスを感じさせるメンバーであったが、「エブナイSAT」出演時に2代目パイレーツのメンバーになるという急展開もあった。パイレーツは1990年代後半に活躍した浅田好未と西本はるかによるコンビであり、お笑い芸人とグラビアアイドルの中間のような活動をしていた。西本はるかが女優を目指すために脱退し、その後、事務所を移籍した浅田好未が宇恵さやかと2代目パイレーツを結成したということである。

「エブナイSAT」ではビビる大木などからパイレーツの代表的なギャグである「だっちゅ~の」などを求められることがあったが、宇恵さやかは頑なに拒否していた。2代目パイレーツはギャグを封印し、純粋にグラビアアイドルとして活動するというコンセプトだったようだ。

2004年にパイレーツは解散し、その後はテレビや演劇などに出演したということである。

稲葉ちあきには健康的なイメージがあり、よく芸人たちがゲームをやっている間、音楽に合わせて脚を露出した衣装で踊っていたことを覚えている。

「エブナイSAT」が終った2年後、漫画「ONE PIECE」のミュージカルに出演し、なんと作者の尾田栄一郎と結婚してしまった。

大上祐美子は清楚なお姉さんという印象だったが、番組終了後の情報についてはまったく得ることができない。「エブナイSAT」が終った2002年に「スケアー ~地獄の課外授業~」という映画に出演していたようだが、この映画のこともよく分らない。

曲山えりは「エブナイSAT」終了後も、ドラマやバラエティーにわりと出ていたような印象がある。一時休業後に事務所を移籍し、曲山英里に改名したということだが、活動の形跡は見られていないということである。

番組ではかつての「三宅裕司のいかすバンド天国」のような、勝ち抜きバンド合戦のような企画もあった。何週間か勝ち抜くとCDデビューができることになっていて、マッシュルームというグループが勝ち抜き、「ラジオから...」という曲でデビューもしたはずである。

また、エブサタフガールのCDデビューについても、プロジェクトが始動していた。選抜メンバーを選ぶための企画が番組中で行われ、プロデューサーはにJUN SKY WALKER(S)の森純太が招へいされた。オリジナル曲が番組中で歌われたりもしていたのだが、リリース前に番組終了が決ったのか、リリースされたものの自主制作盤的な感じになったのか、いまとなっては記憶が定かではないし、確かな情報もないのだが、なんとなく尻すぼみ的にフェードアウトしたような印象はある。

「エブナイSAT」の最終回はビビると望月理恵による海外ロケであった。東南アジアの国だったような気がするのだが、よく覚えていない。ゲテモノ料理のようなものを食べたり、この番組らしいグダグダな内容で安心した。

エンディングは、船の上で収録されていた。大内登が何かコメントをするのだが、ちょうどそのタイミングで近くを別の船が通過し、その声はかき消された。ビビる大木がお前は最後までダメだなというようなニュアンスのことを言い、その後、また別のやり取りがあったかもしれないが、少なくとも私にとってはこの場面が「エブナイSAT」の最後の記憶であった。

番組終了の翌月、ビビるの解散と大内登の芸能界引退が発表された。