「男はつらいよ」関連の本3冊 | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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(「GO!GO!寅さんキャンペーン」実施中)

 

 映画「男はつらいよ」第1作上映から今年で55年経つそうだ。

 それを機に現在55周年キャンペーンが行われているが、先日その一環としてNHKで山田洋二監督と渥美清さんの親友だった黒柳徹子さんの対談が放映された。

 

(NHK「渥美清さんに会いたい」より 山田監督92歳、黒柳さん90歳)

 

 番組からは渥美さんを思うお二人の気持ちがヒシヒシと伝わってきて食い入るように観てしまった。

 

 意外だったのは「男はつらいよ」最終作(予定では第50作)のお話。

 山田監督の構想では、最終作のマドンナは修道院のシスターに扮する黒柳徹子さんだったというのだ。  

 

 「それじゃリリー(浅丘ルリ子さん)の立場はどうなる!」

 私は思わずテレビに向かって叫んだ。

 寅さんとリリーは結ばれないままに第48作で「男はつらいよ」は終わったが、最後の最後まで山田監督は二人を結婚させるつもりはなかったらしい。なんて薄情なヤツ。

 

 なんとなくモヤモヤして、寅さん関連の本を3冊買った(Amazonの中古だけど)。

 

「倍賞千恵子の現場」(2017PHP新書)

「渥美清わがフーテン人生(新装版)」(2019毎日新聞社)

「トットチャンネル(新版)」(2016新潮文庫)

 

 まずは「わがフーテン人生」。内容は渥美清さんの半生記で、特に「男はつらいよ」にフォーカスしたものではない。

 初版が出版されたのは1996年だがおそらくだいぶ前に「サンデー毎日」に連載されたものをまとめたもので、「男はつらいよ」に関しては初期の作品に言及があるだけだ。

 

 「トットチャンネル」は黒柳徹子さんが6000人を超える応募者の中から選ばれてNHKに入社したころのエピソード集で実に読み応えがある。

 

 マイクスタンドに指をつっこんだら抜けなくなってしまいスタジオ中をマイクスタンドとともに動き回ることになった有名俳優。敵に襲われた忍者が懐から仲間に託したものは密書でなく月給袋、その時の当意即妙のセリフは・・・。

 

 当時はドラマも含めてほぼ全ての番組が生放送で、現場の失敗談がもりだくさん。

 新人の黒柳さんはしばしばガヤガヤ(ラジオ放送で臨場感を出すための群衆役)やエクストラに狩りだされたそうだが、いつも悪目立ちして途中で外されていたそうだ。

 

 本書に渥美清さんとの交流は殆ど登場しない。

 そういう意味では残念だったがテレビ放送の黎明期の物語として大層面白かった。

 

 

(恋愛ドラマで二人は共演 結婚式のシーン)

 

 渥美清さんとのふれあいという観点では「倍賞千恵子の現場」が秀逸だ。

 

 さくらを演じているうちに撮影が終わってもさくらから倍賞千恵子に戻れなくなってしまう倍賞さん。そんな倍賞さんに渥美さんは役者のオンオフの重要性を説く。

 

 事実30年にわたって苦楽を共にした倍賞さんに渥美さんの死が告げられたのは亡くなってからのこと。それまでプライベートでのつきあいは皆無だったというのだ。

 

 「男はつらいよ」の撮影は渥美さんを中心にアドリブのオンパレードでいつも台本とは全く違うものになったそうだ。茶の間のシーンが面白くて、しかもいつまでも色褪せることがないのはそのせいだという。

 

 私が知らなかった意外な事実は満男役の吉岡秀隆さんは「男はつらいよ」でデビューしたのでなく、「遥かなる山の呼び声」(1980)がデビュー作だったこと。

 

 母子が営む牧場でひっそりと、そしていつしかかけがえのない存在になっていた指名手配犯の男(高倉健)が警察に連行される日がきた。

「おじさん出ていくんだって。挨拶してきなさい」

「ウソでしょ。・・・ねえウソでしょ」

 

 倍賞さんによると子役の吉岡さんはこのシーンの撮影が終わった後もいつまでもいつまでも泣きじゃくっていたそうだ。そんな幼い役者魂が山田監督をして彼を満男役で使うことにさせたのだろう。

 

(「おじさ~ん」警察に連行される高倉健を追いかける吉岡 列車のラストシーンと並んで泣ける場面)

 

(当時10歳たしかに満男の顔だ)

 

(追悼作品「男はつらいよ お帰り寅さん」(2019)の吉岡さん当時49歳 満男と泉(後藤久美子さん)もやはり結ばれなかった)  

 

 私は「男はつらいよ」をこれまでに何十回も観てきたが、何度観ても面白く、そしていつも物足りなさが残ってしまう。

 物語の最後では寅さんはリリーと、満男は泉と結婚してほしかった。