(小谷城址より 琵琶湖上に竹生島を望む 手前の小山は羽柴秀吉が小谷城攻めの出城を築いた虎御前山)
前の晩胃の苦しさで殆ど眠れなかった私は朝メシを食えなかった。
上からでも下からでも、詰め込んだ食い物が出てしまえば多少は楽になるのだろうが、すっかり不貞腐れた胃腸はピクリとも動かない。
(鍋で出てきたなめこ汁だけ味わった)
一方のデカちんは私の苦しみをヨソに旨い旨いとこれでもかとばかりメシを食った。
「旨いですよ。ホントに食べないんですか」
「残したら宿に悪いからよかったらオレの分も食ってください」
「そんなあ。・・・じゃいただきます」
(朝から二人分を平らげてすっかりご満悦)
「どうしちゃったんですかねえ。大丈夫ですか」
「トルティーヤを4個食ったのがよくなかったんだな~」
「・・・」
「一人で4個食ったからさ。一人で4個。ひつまぶし太巻きも4つ」
「それもあるでしょうけど、新幹線で弁当食べてそれからモーニング食べたのもよくなかったんでしょうね~」
責任を追及しようとする私と、それをはね返そうとするデカちんのラリーはこの後何度も行われた。
宿の女将に挨拶を済ませて送迎バスで岐阜駅へ。
バスの中で身じろぎせずに縮こまっていたが事態は一向に改善しない。デカちんの運転するクルマで彦根城に向かう間も助手席で達磨状態になっていた。
彦根城の駐車場にクルマを停めるとおっちゃんが走ってきた。
「あんな、天守閣はな、耐震工事中で今日は登れまへんで~」
「せやろか」
「せやせや(そう言ってるがな)」
(これだ!)
「天守閣に入れないなら止めておいた方がいいです」
「でも城の周りを見物するだけでもいいんじゃないの」
「私は何度も来てますから、ゆるふわさん次第です」
そうだったのか。
デカちんは昨日の長篠古戦場も一度訪れたことがあるとのことだった。
結局のところ今回のセンチメンタルジャーニーで気の優しい彼は私の運転手役を引き受けてくれたということらしい。
ああ、ありがたや大男。
昨日来の私の殺意はものの見事に氷解していった。
「じゃあパパっとその辺を見物するから、どこかで昼メシ食っててください」
「いえ、お供します。そんなことになるかもと思って朝飯をた~っぷり食べましたから。あははは~」
どこまでも優しいデカちんさん。
彦根城は関ケ原合戦後に井伊直政が上州箕輪から石田三成旧領佐和山に転封された際、佐和山城に代わる新たな居城として建造に着手、直政没後の1606年に落成した。
井伊直政は遠江の落魄した名門の生き残りながら運よく家康の小姓となり、槍遣いから一軍の将にまで累進、徳川軍の先鋒を常に承る(「井伊の赤備え」=同様の役割を担っていた武田家山県昌景の家臣団を受け継いだ)という栄誉を与えられた。
家康から見ると、松平家の怪しげな出自やら先祖の胡乱なふるまいやらをよく知る三河以来の小うるさい家臣団より新参の直政の方が遣い易かったのだろう。
彦根藩30万石は徳川家家中で最大、また築城から幕末まで一貫して井伊家が領主だったことも稀有の存在である。
(国宝彦根城天守閣 天守閣が現存する14城のうち国宝に指定された天守は彦根城・犬山城・松本城・姫路城・松江城の5城)
(眼下に彦根の町並みと琵琶湖を望む)
腹が相変わらずパンパンで歩き回ったせいか気分が悪くなってきた。
「そろそろ帰りましょうか。小谷城はまたの機会にして」
そうはいかない。
デカちん氏がこの旅で唯一楽しみにしていたのが小谷城址だから。
彦根から小一時間で小谷城址に着いた。
(山道の駐車スペースから本丸跡までは400mほど)
小谷(おだに)城は1520年代に北近江の豪族浅井亮政が築城、その後久政、長政に至る浅井家三代の居城であった。
浅井長政は1567年に織田信長と同盟、信長の妹(お市の方)を娶って姻戚となる(同盟時期には諸説あるが信長が足利義秋を越前から迎えた1568年以前であることは間違いないらしい)。
その後1570年に至り長政は突如信長から離反、姉川の合戦などを経て1573年8月に小谷城は落城、浅井家は滅亡した。長篠合戦のわずか3か月後のことである。
兵農分離が行われていなかった戦国期において、戦闘専門集団を擁する織田軍が他を圧する抜群の機動力を持っていたことが窺われる。
小谷城は戦後浅井攻めに功があった木下秀吉に与えられたが、秀吉は交通の要衝である長浜に新たに城を構え、小谷城は廃城となった。
(本丸跡を巨漢が往く)
小雨の中岐阜駅に戻った時には辺りはすっかり暗くなっていた。
デカちん氏とのお別れの盃をあげたいが、とてもそんな体調ではない。
「最後の旅がこんなザマになって残念です」
「最後って?」
「だって3月末でいよいよリタイヤでしょ」
「あははは~」
デカちん氏は巨体をゆすって大笑い。
「そういうことだったんですね。残念ながら私が辞めるのは来年の3月末ですから」
そうだったの。
じゃあ来年リベンジだ。