おめでとう照ノ富士 you are my sunshine  | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(陽光に輝く八ヶ岳)

 

 令和6年大相撲初場所、

「これで見納めかも」などというシロウト衆の浅はかな予想(←私です。ど~もスミマセン)を見事に覆し、照ノ富士が復活優勝を遂げた。

 やったね、照ノ富士。おめでとう~。

 

(気迫一閃まさに土俵の鬼 新大関琴の若の技量もまだまだ及ばない)

 

 7日目、私の眼前で笑うセールスマンこと正代に負けたあたりではどうなることかとハラハラしたが、千秋楽本割で霧島をブッ飛ばした力強さ(この辺から涙が出てきた)、決定戦で琴の若に何もさせなかった練達の取り口を見る限り引退なんてまだまだ先のことになりそうだ。

 

 かつては「1年を10日で暮らすいい男」と言われたお相撲さんだが、働き方改革もどこへやら、この200年というもの大相撲の労働条件は過酷の一途をたどっている。

 

大相撲本場所の変遷

(1年を10日で暮らしたのは1834年まで)

 

(雷電為右衛門 江戸大相撲黎明期のヒーロー 出場35場所(ローカル場所含む)うち優勝28回、254勝10敗通算勝率・962という不滅の記録を持つ 身長197cm、体重172kgは照ノ富士とほぼ同じサイズだから当時断トツに強かったのもうなづける)

 

 お相撲さんの仕事は本場所だけではない。これに加えて地方巡業がある。2023年は年間69回の巡業を北は北海道から南は九州まで。

 地方巡業は地元の勧進元との関係があるから金看板の横綱が休むわけにはいかない。本場所はやたら休場が目立った照ノ富士だが、巡業はほぼ皆勤のはずだ。

 ったく、世の中にラクな商売はない。満身創痍の照ノ富士にはさぞ辛かったことだろう。

 

 それにしても私は何故ここまで照ノ富士が好きなのだろう。

 子供の頃私のヒーローは読売巨人軍の堀内だった。

 

 これには明白な理由があって、彼が山梨県出身ということと(=両親含め私の周囲に堀内応援団がいっぱいいた)、ちょうど私が野球を理解しはじめたところに忽然と現れた新人だったからである。

 

 ところが50年ぶりに現れた新ヒーローに関してはイマイチ理由がはっきりしない。

 おそらく毀誉褒貶があまりにドラマチックで、ハラハラしているうちにいつの間にか照ノ富士を応援するようになったらしい。

 

(何度も触れているが、会社でいえば次期社長候補だった副社長が突如ヒラ社員に降格されたようなもの この軌跡にカタルシスを感じるサラリーマンは多いはず)

 

 仄聞するところによれば角界も高齢化の影響で105ある年寄株の取得が年々難しくなってきたところに、2014年から定年再雇用制度が始まり70歳まで年寄株の保有が認められることになった(親方として部屋を運営することはできない)ため、さらに状況は悪化しているらしい。

 現に松鳳山、豊山、豊ノ島、逸ノ城などの関取衆が年寄株を取得できずに角界を去ったが、照ノ富士も年寄名跡の手当てに難渋しているらしい(横綱特権で引退後5年に限り現役名で年寄待遇を受けることはできるが部屋持ち親方にはなれない)。

 

 引退後照ノ富士が伊勢ケ浜部屋を承継することは既定路線といわれているが、その前提はあくまで照ノ富士が年寄株を取得すること。

 2年後に定年を迎える師匠に伊勢ケ浜名跡を譲ってもらい、代わりの株を師匠に渡すことが理想形だ。

 

 そんな事情があるなら(真偽はさておき)、なおさらあと2年頑張れ照ノ富士!

 

(年寄株取得のその日までがんばれ~)

 

 私の胸を焦がすヒーロー

 そうよきっと、そうよきっと

 you are my sunshine~