松の木ばかりがマツじゃない | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(八ヶ岳南麓のマツの過半を占めるカラマツの幼苗 

 北杜市内に約100平方キロのカラマツ樹林がある 秋になると針状の落ち葉が狭い所に入り込む厄介者だ)

 

 囲碁トモにしてマツタケ友のAさんが我が家に来るなり庭を一瞥し、

「あ、これは早く抜いたほうがいいです」

と、カラマツの幼苗を引っこ抜いてくれた。

 今はかわいいものだがやがて簡単に抜けなくなり、最後は業者を頼んで伐採せざるをえないハメになるそうだ。

 

 すわ一大事とばかり、庭の幼苗退治にとりかかった。

 

(アカマツ 北杜市内のアカマツ樹林は約60平方キロ 100年ほど経てば立派なマツタケ林になるかもしれない)

 

 松の木ばかりがマツじゃない

 時計を見ながらただ一人

 今か今かと気をもんで

 あなた待つのもマツのうち~ (まつのき小唄1965二宮ゆき子)

 

 鼻歌まじりに庭を検分し、手あたり次第に幼苗を引っこ抜いた。

 その数はおよそ10本。まあ今日んとこはこの位で堪忍したる。

 

(殺戮、というかんじであまりよい気分ではない)

 

 美しい花が咲くわけでもなく、食用にもならない(「松の実」はカラマツ、アカマツでは採れない)マツだが、その成長の早さや冬でも緑を残すことから(カラマツは例外)古来おめでたい木とされてきた。

 正月に飾る門松は平安期に「小松引き」というマツの幼苗を引っこ抜く貴人の遊びから始まったという。はからずも私も貴人の戯れをマネたわけだ。

 

 ちなみに百人一首で松の歌は一首だけ。

 

 たれをかも 

 知るひとにせむ高砂の

 松も昔の

 友ならなくに (藤原興風)

 

「おめでたいトリオ」の竹、梅も一首ずつ。

 

 あさじふの 

 小野の篠原しのぶれど

 あまりてなどか

 人の恋しき (参議等 「篠原」は竹の原っぱのこと)

 

 人はいさ

 心もしらずふるさとは

 花ぞ昔の

 香ににほひける (紀貫之 「花」は梅であることが分かっている)

 

 ちゃんと「松」と謳われているだけマツが上だろう。さすが「松竹梅」の筆頭、貫目が違う。

 

 手ついでに東京のコキアを移植した。

 これから先我が家の気温が5℃を下回ることはないだろう、と予測したうえでの移植である。66歳を目前にして日々賢くなっていく私。

 

 

 それにしてもこっちの都合で抜いたり、植えたり。

 人間サマはどこまでも身勝手だ。