コジシタ八ヶ岳で牡蠣を堪能する | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(コジシタ八ヶ岳名物生ガキ6種盛り合わせ)

 

 中秋の名月を迎えて秋も次第に深まり、牡蠣が懐かしいシーズンになってきた。

 そんな時足が向くのが八ヶ岳南麓大泉の誇る牡蠣の名店「コジシタ八ヶ岳」。あまりガツガツしないで済むように出かける前に糠漬けを肴に風凛美山でちょっと下地をこさえるあたりが、我ながらいじましい。

 

 ひもじさに家を立ち出でて眺むればいづこも同じ秋の夕暮れ、夜6時半ともなると辺りは真っ暗だ。そんな闇の中にコジシタの灯りがほんのりと瞬いている。

 

 

 久しぶりのコジシタはこの5月に改装したそうで、個室が増築されていた。やはり名店とあって人気が高いのであろう。2号店も間近ですね、と冷やかすとウフフと女将(というのだろうか)が笑って返した。

 

(居心地が良さそうな空間 最大8人収容可能)

 

 この店で外せないのが生ガキの盛り合わせと牡蠣土鍋ご飯である。生ガキ6種盛りは以前は半分コ

していたのだが、次第に横着になって一人一皿ずつもらうようになった。

 年金生活になると先行きがなんとなく不安で次第にケチケチするようになっていく。私も全く同じだが、

最近心境の変化というか、将来のことよりその日その日のことが大切になってきた。この先いつまで牡蠣を存分に楽しむことができるのか、つい考えてしまうのである。

 

(今夜のラインアップ)

 

 あと20年、2040年になると(生きていれば私は83歳だ)65歳以上の高齢者が4000万人を突破するという。一方で働き手(15~65歳の生産年齢人口)も同じ4000万人に減少するうえに、日本国憲法には「労働は国民の義務」と規定されているにもかかわらず、「憲法が保障する『職業選択の自由』には『職業を選択しない自由』も含まれる」ということで、これという理由もなく労働を放棄したヒキコモリが少なく推計しても100万人以上いるだろう。ガブリ(ワインを飲み干す音)

 

(今宵のお供はNZ産ソーヴィニヨンブラン)

 

 その一方では青森のゴボウ農家も茨城のメロン農家も技能実習と称する出稼ぎ外国人がコロナ禍で来れないものだから人手不足で収穫ができずに困っているという体たらく。それでいて移民受け入れに関しては、

「我が国の古来からの伝統が~」

「治安の悪化が~」

「賃金の引き下げ圧力に~」

と反対のオンパレードである。ガブガブ(同上)。

 

(カウンターの奥には酒のメニューがずらり)

 

 それでも国が回っていくのなら構わないけどさ、ヒック、2040年には社会保障費が190兆円に達する見込みで、これは令和元年度国家歳入額のおよそ2倍の額ですよ。

 ということはさ、従来の長寿是認型の政策は早晩全てご破算になり、65歳以上、いやまずは75歳以上の国民には積極的安楽死が認められているだろう、というのが私の見立てですわ。つまり将来寝たきりになったり、食っていけない事態に陥った時には自らの人生に自らの意志で終止符を打てる、ということであ~る、ゼエゼエ。

 だいたいさ、働かない国民の代替に労働者を海外から受け入れて、その代わりというわけではないが自分の意思で死にたい国民をスイスやらなんやらに送り出す国っていったいなんなのさ。

 

 そんなことを考えているとあっという間に牡蠣は腹に吸い込まれてしまった。

 土鍋ご飯が炊きあがるまでのおよそ30分、他の旨いもので腹を膨らませることに。

 

(ローストビーフサラダ これは外せない)

 

(牡蠣春巻(左)と肉巻き)

 

 やがて熱々の湯気を立てて真打ち土鍋ご飯の登場である。

 

(成駒屋!大向こうから声がかかる)

 

 ところがすっかり腹が膨れた我々はホンのひと口でギブアップ。食が細くなると死期は近いというから、

これが最後の牡蠣になるのかもしれない。残ったご飯は女将がパックに詰めてくれてお土産に。

 

 「土鍋ご飯が登場するまでに腹がいっぱいになってしまう」というのが、「コジシタ」たったひとつの欠点である。

 

(帰り道に魅惑的なオアシスの灯りが 残念ながらアルコールの入る隙間もなくなった)