読書の秋である。
最近私が読む本といえば、囲碁の実用書か歴史小説ばかり。歴史小説も娯楽性が高いもの(吉川英治とか火坂雅志とか)は段々イヤになってきていて、史実を忠実にトレースした作風のもの、例えば司馬遼太郎、津本陽、中村彰彦といった作家の作品ばかり読んでいる(もう全作読み終えて二巡目三巡目の読み返しに入っている)。テレビなんかもリアリティのないドラマは見る気がしなくなってきているから、
おそらくこれも老化現象なのだろう。
そんなわけで、ボケ防止も兼ねてウンチク本を買ってみた。
「5分でたのしむ数学50話」(エアハルト・べーレンツ著岩波書店)
(左の「ハーバード日本史教室」は筆者の第一作のつけ足し 買って損した)
この中から酒席なんかで使えそうなネタをいくつか紹介したい(一部本書と関係ないものもあります)。
割り切れないヤツ
世の中には私を含めて他者と交われないタイプの偏屈者がいるが、数学の世界では自分と1以外に割り切れる約数を持たない偏屈者を「素数」と呼ぶ。3とか5、7、11、13、なんかが素数である。
素数は無限に存在する。驚くべきことにこの事実ははるか2300年前にユークリッドによって証明されている。
(紀元前4世紀エジプトプトレマイオス朝時代の数学者)
現在確認されている最大の素数はなんと 2324万9425桁(2018年1月現在 その後同年12月に2400万桁を超える素数が発見された)である。この素数を3ミリピッチで並べると775キロメートルに達し、東京から東名に乗って尾道ICまでの走行距離に匹敵する。
インフレって恐ろしい
数学上の「未解決問題」として長らく有名だったのは「フェルマーの最終定理(あるいは大定理)」と呼ばれるものだ。
西暦1660なん年かの秋の夜長、数学者のフェルマーは暖炉の前である命題を思いついた。
「xのn乗+yのn乗=zのn乗となる 自然数x、y、zの組み合わせは存在しない(n≧3)」というもの。
例えばn=2の場合は「3の2乗+4の2乗=5の2乗」という有名なピタゴラスの定理が存在するが、これより大きいnではこの公式は成立しない、というのである。
この命題には「うまい証明を見つけたのだが、余白が足りないので書き留められない」という本人のメモがついていたからたまらない。それから何百年にもわたる数学者たちの格闘が始まったのである。
(ピエール・ド・フェルマー 本職はフランスの裁判官)
1908年にドイツの資産家が「西暦2007年までの100年の間に最終定理を証明したものに賞金を出す」と発表した。そして期限も迫る1995年、英国の数学者アンドリュー・ワイルズ博士がついに数学者の苦闘の歴史に終止符を打ったのである。
(ワイルズ博士 フェルマーの最終定理に挑むことは「数学者の墓場」と言われていて博士はこっそり
研究をしていたそうだ)
ところが遅かりし由良之助、1908年当時には莫大な賞金額(およそ数億円相当だったらしい)だったのだが二度の大戦によるハイパーインフレでマルクの価値は激減、博士が受け取った賞金は500万円程度だったのである。もっともご本人にとって賞金額の多寡はどうでもいいことだろう。
ウザいけど気になるヤツ
世の中には「ウザいんだけどなんとなく気になるヤツ」というのがいる。
数学の世界も同じで17世紀のドイツの外交官クリスティアン・ゴールドバッハの命題「ゴールドバッハ予想」というのもそんなヤツらしい。
「全ての偶数は二つの素数に分解できる」という単純なもの。例えば20なら7と13という感じ。
この研究はその過程を他方面に生かすということが難しいらしく、数学的研究価値が殆どないらしい。事実クレイ数学研究所が賞金100万ドルを出す「ミレニアム懸賞問題」にゴールドバッハ予想は含まれていない。それでも世界の数学者にとってゴールドバッハ予想に決着がついていない(真か否か)のは
なんとも気持ちが悪いことらしいのだ。
「あのさ、ゴールドバッハ予想って知ってる?」
そんなウンチクを傾けながら酒を楽しむ。秋の夜長の楽しみ方としては最上級のもののひとつのように
思えるのである(ちょっとウザいか)。