(肉ビストロ「ゴーバル」高田馬場店)
若い時分にとある投資ファンドに出向したことがあったが、その時の同僚Aさんと久しぶりに飲むことになった。
彼はお父上の仕事の関係で幼くして英語に親しんだこともあって英語はほぼネイティブ、大学は某国立大学の数学科という一見非の打ちどころがない俊才なのだが、ひとつ大きな欠点がある。すさまじい偏食家で肉、それも牛肉しか食わないのだ。
そんなわけで以前目をつけた高田馬場の肉ビストロを予約した。
乾杯する間もなく、Aさんはお願いと質問が3つあります、と切り出してきた。
ひとつは5年前に建てた家の税金還付のこと(←これは小野寺誠税理士事務所を紹介することに)、ひとつはどこぞの投資ファンドに再就職する伝手はないかとの相談(ないよ)、もうひとつは、
「文化大革命ってあったでしょ。あの時白いとんがり帽子を被せられた人たちの首に『造反有理』ってプラカードがかけられていましたが、どういうことなんですかね」
まあこういうことでしょう、と説明したが彼が何故60年も前のそんなことを気にかけるのか、そっちの方がよほど知りたい。
(「大躍進」政策(1958~)の破綻で4500万人の餓死者をだした毛沢東は失脚、その後「文化大革命」(1966~76)で復権を果たした 革命中のリンチ等による犠牲者は2000万人といわれている)
投資ファンドという未知の領域で企業価値分析など基礎的なことを逐一教えてくれた師匠役がAさんである。
Aさんは大学卒業後証券会社に1年勤めてから某産油国のナショナルファンドに転職した。その頃経験は乏しかったはずだが、オイルマネーの絶頂期でしかも秀でた語学力と数学科卒というのが転職に大いに役立ったはずだ。
「あのまんまあそこにいれば私の人生は今よりはるかにマシだったはずです」
Aさんが親方日の丸(←言葉のアヤで「親方三日月」とでもいうのが正しい)ファンドを辞めて新興ファンドに転職した際に、ファンドの親分B氏との間でこんなやりとりがあったらしい。
「Aさん、ウチのファンドに来ませんか。これだけ(指を2本立てる)出しますよ」
「いや、年俸2000万円だと今とそれほど変わらないのでお断りします」
「ふふふ、Aさんも小さいなあ。2億ですよ、2億円」
「ギョギョ。行きます!」
2億円につられてAさんは転職を決意、なけなしの貯金をはたいてファンドに出資までしてボードメンバーとして迎え入れられた。
その後成績がふるわず解散することになったファンドからAさんが役員報酬を受け取ることは一度としてなかったそうだ。
(タパス5種盛り レバーペースト、プロシュート、ポテサラ、枝豆、ピクルス)
ファンド解散後Aさんは伝手を頼ってとある企業に就職したが、なんせ性格が変わっているうえにサラリーマン経験はほぼ皆無。以来今度は私がサラリーマン生活の師匠役になった次第である。
(和牛ロースとランプの食べ比べセット 見た目ほど旨くはなかった)
店内は若い人でぎっしり。
どうやら結婚式の二次会らしく、救いはそれほどワーワーしていないことだが、息苦しいことおびただしい。肉を食ったところで1時間ほどで店を後にした。
「次はどこ行きますか」
「焼肉行きましょう」
高田馬場は意外なほど焼肉屋が少ない。おそらく焼肉好きは本場新大久保へ足をはこんでしまうのだろう。
なかなかありませんね、どっかその辺の居酒屋でも、となだめにかかったところでAさんが目ざとく雑居ビルの2階に焼肉屋を発見した。
(興味がないので店の名前はハナから覚えていない)
そういえば会社でこんなことがあったんですがこれはどう受けとるべきなんですか、ところで〇〇さん(私の高校時代の級友)はお元気ですか、先日ゆるふわさんの訓えどおりのことが起きました、肉をお代わりしてパクパク食らうたびにAさんはいよいよ意気軒昂である。
一方の私は肉はもうウンザリ。
Aさんと私は5歳違い。ファンド時代は私の方がよく食ったが、この歳になって彼我の食欲差は逆転したようだ。
カネがあるわけでもなし、性格もだいぶ変わっているこの男のどこがよくて私はこうしてつきあっているのだろう(オマエが言えた立場か、の外野の声)。
袖すりあうも他生の縁という。
おそらくこんな感じで生涯つきあっていくんだろうなあ、と消えゆく意識の中でぼんやり考えた。