黄鶯啼く 春いよいよ到来  | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 立春の初候(最初の五日間)「東風解凍(こちこおりをとく)」が終わり、次候の「黄鶯ケンカン(うぐいすなく  ケンカンはアメーバでは打ち出せない)」となった。

 厳しい寒波も少し緩み、どこか春の訪れを感じさせる陽気である。

 
 そらと散歩をしていると、あちこちで花の蕾を見かけるようになった。
 特に目につくのは紅梅で、中には満開に近いようなやつもいる。一見同じに見えても樹木によって個性があるのだろう。
 
(ほぼ満開)
 
 植木の世界に「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉がある。
 梅は放っておくと枝が千々に乱れて収拾がつかなくなり、猥雑な印象になる。その上紅梅の色のドギツさのせいか、古の歌人たちは梅にはモノの哀れを感じなかったようだ。
 百人一首には梅を明示した歌はひとつもないが、唯一紀貫之(土佐日記の作者)の歌が梅の花を詠んだものであることが記録されている。
 
 人はいさ 心もしらず ふるさとは
  花ぞ昔の 香ににほひける 
  (ゆるふわ訳:あなたの心の移ろいは実際のところわかりませんが、懐かしいかつての地の梅の花は昔のまま変わらぬ
   香りを漂わせています)
 
 心変わりした恋人に復縁を迫る歌なので、作者もさすがに桜、というわけには行かなかったのだろう。
 

(これはハナモモ? だいぶ咲いている)

 

 花だけではない。

 ネコもあちこちでウロウロしはじめた。

 

(そらにガン見されしっぽを太くして威嚇するネコ)

 

 ところが、せっかくの「黄鶯啼く」なのに残念ながらウグイスは見かけない。餌となる虫が顔を出す「啓蟄」まであと一月、どこかで冬ごもりが続いているのだろう。

 

(仕方ないので花札で代用します)

 

 花も生き物たちも、みなそれぞれに春の準備である。

 人間も負けてはいられない。