いつも拙いblogをお読み頂き
ありがとうございます*°
あーるけーです🩰
~手術乗り切ったよ!マコト!~
(マコトとは20歳で亡くなった弟の名前です)
手を合わせて空に感謝🙏✨
3月に帰省した時…
母の認知機能の低下と子供返りを見て、
私の病気を伝えたとしても。。
それがどう伝わるかどうか?
それに…
苦しい生活をしている母に、
無理してもらうつもりもないです。
そう考えて母には、
『秘すれば花❁⃘*.』
だと。。
決めています🩰
。。。。
また、
話したことで、
私は新たに傷つき。。
そして母を傷つけそうで。。
『母』と『娘』は、
もう既に全く別の道を歩んでいるから。。
私は大丈夫*°
『あなたがいることで』
私の『回顧録*°』は、
幼い頃の記憶を辿ります。
貧困や虐待の表現があり、
読んでお辛い場合は、
blogをお閉じください。。
母の内縁相手から受けた虐待の
傷跡はとても深くて。。
当時10歳であった私の心身は、
喪失したままの状態でした。
。。あまり思い出せないのです。。
でも、
転校した小学校には通いたくて、
放課後には友達と遊びたくて、
朝ごはんを食べていなくても、
逃げ込んだ先でお風呂に入れなくても、
幼い私なりに身なりを整えて、
小学校に通いました。
『普通の生活を送ること*°』
それが一番の薬だったのだと思います。
でも。。母は違いました。
スナックの仕事を終えても、
家に帰ってこない日があり。。
帰ったとしても朝起きず、
幼い私は不安でいっぱいでした。
ある朝。。
『起きて!これから遠足なの、お弁当。。』
『うるさい!行かなきゃ良いだろ!』
バシッ!
と、頬を叩かれました。。
。。。。
私は昨夜のお惣菜の唐揚げとご飯だけを
詰めて、水筒にはお水だけ入れて遠足へ。
どこかの大きい公園に着いて、
広い原っぱでみんなでお弁当を広げたけれど、
私は隠れて隅っこで一人で食べました。
みんなと同じじゃなかったけれど、
一緒にいられたことが嬉しかった*°
原っぱの草から大きなコオロギや、
トノサマバッタがひょっこり顔を出して、
初めて見た私はびっくり‼️
夢中で探していたな*°
幼い私はいつも探していました*°
どうしたら美味しいご飯を食べられるの?
どうしたら私は普通の女の子になれる?
どうしたら。。
お母さんは。。
優しくなってくれるの?
『強くならなくちゃ。。』
『あなたよりも*°』
ここまでお読み頂き、
ありがとうございました🩰