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2024年4月27日(土)の記録です。
酒田市役所向かいにある、旧鐙屋(あぶみや)へ向かいます。
酒田市のホームページに寄りますと・・・
鐙屋は、酒田を代表する廻船問屋で、江戸時代を通じて繁栄し、日本海海運に大きな役割を果たした姿を今に伝えております。
当時の鐙屋の繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永代蔵」にも紹介されたほどでした。
屋敷は石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りとなっており、内部は通り庭(土間)に面して、十間余りの座敷、板の間が並んでいます。
昭和59年に国の史跡指定を受けました。
ということなのですが・・・
5年以上にわたって工事が続けられるそうです。
残念でした。
次に本間家旧本邸ですが、こちらも酒田市のページの引用です。
明和5年(1768年)本間家3代光丘が藩主酒井家のため、幕府巡見使(将軍の代替りごとに特派された役人)用宿舎として、旗本2000石の格式をもつ書院造り(平安時代の公家住宅の寝殿造りを基とし、近世初頭に確立をみた武家住宅)を建造しましたが、その後拝領し、本間家代々の本邸として使用されました。本屋は22の間数で、桁行(南北)33.6メートル、梁間(東西)16.5メートル、敷地1,322平方メートル。本邸の敷地には大きな長屋門と東側に薬医門があり、桟瓦(横断面が波状になった瓦)ぶきの平屋建てとなっています。南側に七社宮という屋敷神があり、藩主忠徳公の額字を刻して掲げてあります。たび重なる火災や地震にも耐えるよう、周囲には樹木をうえ、北側に4棟の蔵を配置し、土塀をめぐらすという深い配慮が、昭和51年の酒田大火の惨事から救いました。
ということです。
では本間家旧本邸へ。
こちらを入って受付へ。
受付を済ませ、中を案内人に説明してもらいます。
内容はよくわかっていいのですが、案内してもらうとその方のペースになってしまい、ゆっくりと見ることができず、写真もほとんど撮っていないのが残念でした。
玄関前のこの松、印象的ですな。
では通りを挟んで向かいの売店へ。
一部、 資料館のようにもなっております。
以上、終わりです!
また来るで~^^w
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