ひめゆりの塔 【沖縄県糸満市】 | OUTDOOR 番外地!

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2023年8月18日(金)の記録です。

 

「ひめゆりの塔」、名前はよく聞いていましたが、ここがどんなところなのか下調べもせず、知識なしに出向いた自分が大変恥ずかしかったです。

 

ひめゆりの塔とは・・・

ひめゆりの塔は、1945年の沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒や教師のための慰霊碑です。

沖縄戦の翌年、両校で最も多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上に建てられました。

建立 1946年4月5日(最初のひめゆりの塔。現在のひめゆりの塔は1957年6月建立)

刻銘 227人
沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒と教師
ひめゆり学徒隊……………………………136人
ひめゆり学徒隊以外の在校生・教師…… 91人

 

こちらが入口です。

 

ここへ入ろうとしたとき、こちらの売店のようなところで声をかけられました。

「お花はいかがですか?」と。

このときどういう状況なのか、まだのみ込めていなかった。

 

この看板の内容を読んで初めて、ここがどういう場所なのか理解できたのでした。

 

当然ながら入口まで戻り、お花を購入し、お供えすることに。

そしてこの時はまだ、この献花台の先にあるガマが、大変な場所だったということを知らなかったのです。

 

そこには千羽鶴が飾られ、石碑も立てられておりました。

 

この石碑を見ても、まだピント来ていないのでした。

 

そして資料館に入ります。

 

資料館の中は一部を除き撮影禁止です。

 

こちらでは予定を大きく超える時間を消費し、後にしたのでした。

 

帰路、これほどまで悲惨な歴史を持った場所だということを認識しながら、改めて拝見しました。

 

帰りは供花の数も増えており、改めて手を合わせ、複雑な思いを抱きながらこの場を立ち去ったのでした。

 

 

この後近くにある第一外科壕跡に立ち寄っています。

 

 

合掌!

 

 

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