『山手線一周ノーマスク企画』 | RIVIED-ARTS STUDIOに棲むAIZENのなんか日々デスマーチ的なアレやコレや。

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RIVIED-ARTS STUDIOに棲む、どういうわけかほぼ日々デスマーチがデフォルトのAIZENが、たま~~~~~~~~~に、ふらっと、何かしら更新します。
ネタがある時は更新する余裕がなく、逆に更新する余裕がある時はネタがない……はい、まぁ、よくあるヤツです(笑)

Facebookの記事より、先日、「山手線を一周マスクを着けずに乗ろう」といった企画があったそう(詳しくは記事最後のリンク参照)。

 

これはなかなかにすばらしいと思う。この企画だと、プラカードを持つのも持たないのも自由、とあるけれど、もし僕なら、あえてプラカードとかは一切ナシで、完全にステルス的に、ただ「マスクをしてない人が普通にいる」っていう風景を演出するってことに特化させてみるのもいいのかなと思う。「みんながしてるわけじゃないんだな」っていうことや「必要な人やしたい人はする、必要ない人やしたくない人はしない」っていう当たり前のことを少しでも多くの人に感じでもらうために、僕も公共の場でのノーマスクをず~~~っと貫いてるけど、集団の中に一人だけマスクなしの人がいる光景と、集団の中にまばらにマスクなしの人がいる光景では、やはり影響力が違う。大集団で行うデモもまた違った意味はあるかもだけど、あえて自然に溶け込ませるようなものは、現状を踏まえて考えればとても理にかなってると思う。

だって、別に何か大きな革命を起こそうというわけはないのだから。
逆に当たり前のことを当たり前にするだけのことなのだから、特別なことをするのではなく、ただ普通にする、そしてそういう普通の人が、これもまた普通のことなのだが、集団の中に一人とかではなく普通に一定数いる、こういう当たり前の状況を少しでも多く作るのが、この世界中の異常な混乱を収束させるために、今一番大事なのだと思う。

本当はマスクは必要ないとわかっていても、過剰な着用は害の方が大きいことがわかっていても、周りの目を気にして着けてる人もたくさんいる。
「周りの目なんて気にしなきゃいいのに、そんなことしてたら余計世の中の状況悪化するのに…」とは思わなくはないけれど、そこは人それぞれ、周りの目を気にするのもそれもまた自由。
まぁ、周りの目を一切気にしない僕みたいな人は少数派だろう。
でも少数派でもけっして超レアケースではなく、集まればそれなりの数がちゃんといる。
だからそういう人たちだけでも集まって、少しずつでも世の中の景色を変えていければ、おかしいと思いながらも周りの目を気にしておかしいことをやり続けてる人たちも、本当の意志とは違うことをやらずにすむように、少しずつでも変わっていけるかもしれない。

どんなことも、大概のことはそれなりに科学的に反証することはできる。
だから、何事も、「これが絶対正解」なんてことはない。
だからこそ、一人ひとりが自分で考え、自由に選択し、行動する。そして自分と違う選択をする人を否定せず、尊重する。これが本当に大事なはずだ。

科学の話で言えば、種の保存のシステム上、生物は、同じ種が、みんな同じ行動をとらないようにできてる。
同じ行動をとってしまったら、もしそれが間違いだった時、その種が全滅してしまうからだ。
だから、同調圧力や空気の力で、無理やりみんなを同じにしようとするのは、けっしてやってはいけない。

「みんなで力を合わせて協力しよう!」と言えば聞こえはいい。
でもこれは、「みんなで力を合わせて協力しよう!」といったようなこととは似ているようで実は全然違う。
綱引きのように、ただ同じ方向に引っ張るだけ、こういう正解が確定してるケースなら「みんなで力を合わせて協力しよう!」も成り立つ。
でも、今の状況は綱引きのようなシンプルなものではない。
専門家の中でも、180度違う意見がたくさん存在する、けっして正解を一つに絞れない状況で、そしてこれはけっして異常な状態ではなく、正解を絞れないほうが本来普通なのだ。
だから、今の状況においては、「みんなで力を合わせて協力しよう!」は成り立たない。
それをやってしまったら、よほど運がよくない限り、余計悪い方向、場合によっては最悪な方向に進んでしまう。

日本人は民族的に「和」を尊ぶ民族だから「みんなで力を合わせて協力しよう!」と言えば受け入れられやすいし、それが美、正義だと思ってる人も少なからずいるだろう。
でも、力を合わせるのと、闇雲に同じ方向を向いて同じ行動をするのとは、全然違う。
一人ひとりが自分で考え、自由に選択し、行動する。そして自分と違う選択をする人を否定せず、尊重する。
一見、日本人には難しそうなことに聞こえるかもしれない。
だけど、「みんな違ってみんないい」みたいなことが流行ったこともある国なのだから、やってできないことははずだ。

それに、
「自分と違う選択をする人を否定せず、尊重する」
これも、十二分に、一つの「和」の形ではなかろうか?
自分と違う考えや行動の者との平和的共存、これほど質のいい「和」はないのでは、と思う。

だいぶ長くなったけど話を戻せばこのノーマスク運動、完全ステルス的なスタイルにアレンジして自分も何かやれたらなぁと思ったり思わなかったり……仙台だと山手線のような環状路線はないから、アーケードを歩くとか、そんな感じになるのかなぁ?? ある程度人が集まらないと意味がないので、あくまで本当に集まったらの話だけれど、ご興味ある方はご一報を(笑)