叱るということ 叱られるということ | La politique et la vie~リバーマンのブログ

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リバーマン@復興日本です。政治活動、選挙活動を通じて、様々な出会いがあり、様々な勉強をさせていただきました。4年間活動をして、学んだことを中心に、選挙という視点から見た政治の世界について書いてみたいと思います。

「こらっ~」

高崎の選挙では散々叱られていたなあ~

確かにミスをしたから、叱られるのは当たり前。 

それと、避雷針役としての役割も担っていたから、直撃を食らうのも仕方ないと思っていた。



考えてみたら、子どもの頃からよく叱られていた。

親父からも、お袋からも、先生からも…

要領が悪いというのもあるが、生まれながらそういう役割を担っていたのかもしれない。



佐世保市長が騒がしい新成人を一喝し、全国から「よくやった」と喝采を浴びているらしい。

我々が子どもの頃、悪さをすれば親だけではなく、近所のおじちゃんおばちゃんもしかり飛ばしていたよなあ。

最近の大人は、叱るということを恐れているようで、例えば近所の公園で子どもたちが悪さしていても、見て見ぬふりというのが当たり前になってきている。

叱るというのが高圧的に感じるのなら、せめて注意するくらいできないのかなと、いつも思うのだ。 

先日、野鳥撮影でよく行く金山調節池で釣りをしている集団がいた。 ここは「釣り禁止」なのである。 

ついつい注意をしてしまった。

逆ギレされて何かされやしないかと恐れていたけど、彼らは素直に聞いてくれ、川へ移動してくれたのだ。 

まだまだ今の若者…捨てたもんじゃないなと、ほっとした瞬間だった。

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