愛を求めて三千里〜MBBになって3ヶ月〜 | 〜 ただの人 もりもりの成長記録 〜

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*「私は幸せになってはいけない」

  と思う心のブロック

 
* B4の紙に収まる私の人生は
 
* 過去を手放す時
 
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どうも、こんにちは。
もりもりちゃん です。
 
 
3月15日に
マインドブロックバスター養成講座を
受けてから3ヶ月が経ちました。
(卒業したのは5月5日)
 
 
この3ヶ月で、私の人生は
大きく変化しました。
 
 
養成講座を【受ける前】の私はこちら...
...と、ご紹介したいけれど
 
 
ぶっちゃけ見知らぬ人の暗い過去とか
好き好んで読む人少ないよね。
よって割愛。
 
 
...え、人の不幸は蜜の味って?
あら、奇遇ですわね。
私もそのタイプでしたのよ。ふふ。
 
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果物ナイフ、心にいつも
突きつけられてるかのように
他人から自分に対する視線、言動
全てが
怖かった。
 
 
死にたいから始まる朝。
 
 
それでも生きていくためには
明日も生きているためには
働きに出かけなければならない。
 
 
恐怖と不安で ぐちゃぐちゃな心を
どうにか頑張って ころして
必死で、生きていた。
 
 
...いや、結局書くんかーい ってね。てへ。
 
 
私、笑顔の人が嫌いだった。
幸せそうに見える人が嫌いだった。
 
 
だって、嫌われ者の私は
誰かに好かれることなどないでしょう?
 
 
きっと妬みの目で見てしまうことは
自分でもわかっていたから
できるだけ、
何も見ないようにして生きてきた。
 
 
愛される資格など私は持ってやしないから
不幸の方が似合ってるのよ
 
 
そう、自分に言い聞かせていた。
 
 
 
 
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母は好きでもない人と結婚させられた。
私は父親からの愛をもらえなかった。
 
 
望まれもしないのに
生まれてきてしまったのか。
私は、ずっとそう思っていた。
 
 
平気で人を傷つける父親は
家族最後の日、
「お前のことは死んだと思うことにする」
と言ってきた。
 
 
あらら、なんてことかしら
生まれてきてからまだ3年で
存在自体を抹消されてしまいましたわ。
 
 
 
 
母の実家へ、こんにちは。
母は祖父母に私を預け、働きに出かけた。
 
 
 
 
幼稚園
お母さんや お父さんに連れられ
ソレラと共に帰ってゆく他の子の
後ろ姿を妬みの目で見ていた。
 
 
幼稚園の道路沿いには
園児の身長よりも高い柵がある。
それを移動させ、やってくる
私たちを迎えにくる保護者の中で
一番年老いた私の祖父
 
 
その姿を見るのが
いつからか、たまらなく悲しくなった。
 
 
お母さんにきて欲しい、という気持ちは
いつしか
来なくて大丈夫だよ。に変わり
 
 
次第に
絶対に来んじゃねーよ。に変わった。
 
 
 
 
気持ちの変化があったとしても
大好きなことに変わりはなかった。
 
 
でも、私が小学校入学して間も無く
母は体調を崩し寝たきりとなった。
 
 
もともと体は強くないのに
働きすぎたのだ。
 
 
母と私は移住者のため
(実家にお世話になる身)なので
畑の端っこに祖父が建ててくれた
部屋で、寝泊りしていた。
 
 
まあ、ぶっちゃけ
プレハブ小屋ッス。
 
 
朝、起きて学校へ向かう時間になっても
母は寝ていた。
 
 
辺りが暗くなり始め、
私は家へと向かう足を速める。
 
 
途中、周りの家の電気がついた。
どこかの家からカレーの香りが漂い
おもわず笑顔になる。
 
 
ああ、今日は電気がついていますように。
 
 
母が起きていて
私の帰りを待っていてくれますように
と、今日も淡い期待を胸に抱きながら
さらに足を速める。
 
 
...学校から帰ってきたよ。
それでも母の部屋の電気は暗いままだった。
 
 
 
 
小学校中学年
大好きだった友達に意地悪され続けた。
ただただ、悲しかったのを覚えている。
 
 
学校では大好きな友達に嫌われて
家に帰ってくれば怒鳴り合い
母は部屋から起きてこない
 
 
そのうち、
なんだかよくわからなくなった
 
 
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ブロック解除という術を身につけ
9年引きずった過去に終止符を打てた話。
(上記の話とは関係なし)
 
 

 
 
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足枷になっていた過去が消え、
今まであった出来事をよく思い出すようになった。
 
 
だが、今までと違うのは
過去を思い出しても
絶望し、死にたくなったりしないということ。
 
 
ああ、忘れかけていた
いろんなこと私は経験していたんだ。
 
 
当時は辛いと、悲しかったと、感じた私に
そんなことない!!
と自分で感情を無視し続けていたのが
 
 
今になってやっと
その時に感じた自分の感情を
認めてあげることができている。
 
 
遅くなってごめんね。
 
 
本当に、いろんなことをよく思い出す。
 
 
B4の紙切れさえも
たくさんの余白を残して
書き終わってしまうであろう
と、思っていた私の人生は
 
 
とても 紙っぺら1枚 では
収まりきらない
 
 
B4のノート1冊
ビッシリ書いても足らないくらいに
濃いものだ
 
 
ということに気がついた。
 
 
それは私にとって
飛び跳ねたいくらいに嬉しいことだった。
 
 
 
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最初に書いた話にも変化は起きた。
 
 
私は母が大嫌いだった。
 
 
なんで親の言いなりで結婚しちゃったの?
結果酷いヒトだったじゃない。
 
 
これ以上何か、母に辛いことが起きたら
母ちゃんは弱い人だから
心がポキッと折れてしまうから
もう、引っ込んでてよ。
 
 
なんでそんなに人にヘラヘラしてんの?
自分の意見はないの?
恥ずかしい人ね
私の隣を歩かないで頂戴。
 
 
長いことそう思っていた。
 
 
今では仮面心理学、算命学、小顔美心術、
いろんな講座を2人で学んだりして
毎日情報をシェアしているけれどね。
 
 
こう仲良くなるまでには
とても長い時間がかかった。
 
 
簡単にいうと用件だけ言って
1分で終わる電話は、
 
 
情報交換のため、ほぼ毎日するようになり
会話中に相手の話を遮りながら
平均1時間の長電話に。
 
 
 
 
気がついたのは、
確かに私はお父さんからの愛は
もらえなかった。
 
 
でも、その分。それ以上に
母から愛をもらって
生きていたのだということ。
 
 
流行りのゲーム機は
欲しい時に買ってはもらえず、
遊びに乗せて行ってくれることも無かったが
 
 
母は私に優しかった。
母の手料理の味を私は知っている。
それだけで幸せなことだったんだとわかった。
 
 
お母さんが存在していてくれた。
それだけで幸せなことであった。
 
 
母を、ちゃんと1人の女性として
見れるようになり、
弱いと思っていた母は
立派な女性であったことがわかった。
 
 
母にとっても
結婚生活は辛かったものであっただろう。
寝たきりの生活も経験し、
死にたい、と思う日もあったであろう。
 
 
 
それでも自ら命を絶つことはしなかった。
私を育て続けてくれた。
 
 
 
生きる道を選び続けていてくれた母は、
ちゃんと精神的にも自立している
立派な
母ちゃんであった。
 
 
私は母の子供として
それを、母が生きていることを
当たり前に思っていたが
感謝すべきことなんだと感じた。
 
 
怒鳴り合いが飛び交う実家でも
帰りたいと思えるような家ではなくとも
 
 
 
雨を凌げる家があること
夜は布団で体を休め眠りにつけること。
 
 
それは、どんなに幸福な事であろう。
 
 
...いや、だからといって
幸せだったとかは思わんけどな。
だって辛かったもーん(´・∀・`)
 
 
過去を美化、ではなく別な方向から
過去をもう1度見返した時に
得るものがある。
 
 
それは素晴らしい。それこそ
過去の経験を糧にできているのでは、
と思うんじゃよ。フォッフォッ。
 
 
 
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そんな過去をふと思い出した時に
そうか、私は愛に飢えていたのかと思った。
 
 
でも、私は確かに母から愛をもらっていた。
私を好きだと、愛してくれた人もいた。
 
 
それでも愛を求めていたのはなぜだろうか
 
 
...そうか、
自分が自分を愛していなかったのか。
 
 
お前は幸せになってはいけない
と、誰かに言われたわけでもないのに
 
 
自分で自分に幸せになってはいけない
不幸せな人生を生きろ
と、宿命を与え続けていたのだ。
 
 
それに気がついたら
行うことは...、1つよな。
 
 
私は幸せになってはいけない
そう思う心のブロック解除。
 
 
 
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今では
生活の中に笑顔が増えた。
 
 
笑顔の生活をやっと手に入れられた。
(ここで言う笑顔の生活とは
自分で自分に笑いかける、ような意味合い)
 
 
めでたし めでたし
 
 
...と簡単には終わらねえ。
 
 
人をまた妬み、
憎んでしまう時も来るかもしれない。
 
 
そしたらその瞬間
そう感じた自分を一旦受け入れる。
そして潜在意識を書き換える。
 
 
その受け入れることができる機会を
与えてくれるのがブロック解除の凄い所
 
 
辛い。
その辛さの感情に向き合うのはツライが
ブロック解除はそんなことはしない
 
 
ブロック解除は
悩みを掘り下げる必要はないのだ。
書き換える それだけの中で
 
 
 
自分と向きあえてしまうのだ。
 
【補足】
私はそう思っていると言う話である
 
ちなみに感情を
一旦受け入れなきゃイケナイわけではないし
ブロック解除は
そうしなきゃいけない、
というものでは無いでござる。
 
 
 
アッハッハ
こりゃあ、すげぇ
 
 
 
ありがとうございます。
私と出会ってくれた皆様に心から感謝申し上げます。
 
 
 
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一気に書いたものの
投稿するか迷った。
 
 
赤裸々すぎて、ヤベェ。
黒歴史になったらどうしようと思ったから。
 
 
でも、書きたいと思った私。が、いたから書いた。
 
 
悲劇のヒロインを演じているわけでも
不幸自慢をするわけでもない。
 
 
私はもう、過去を手放すことにした。
 
 
保守的役割で
辛い過去をいつもすぐそばに
置いていたけれど
 
 
本音を言ったら、
過去を知られたら嫌われる。
そんなことに怯えて、
何もできないのは嫌だ。
 
 
未来へと続くわずかな可能性さえも
自ら断っているようなものだ。
 
 
私には明るい未来が待っている。
それを求め、
自ら幸せに飛び込んでいきたい。
 
 
自分の人生を恥じながら
生きてはいたくないものだ。
 
 
感情を言語化する
それは気持ちの整理。
 
 
投稿する
それは過去を手放す決断の時。
 
 
誰かを救いたいだなんて
たいそれた事は言わない。
(まあ、自分の人生生きるので大変だしな。)
 
 
当時13歳、あの時と同じような立場に
今いる人がいたら
私もそうだったよ。辛いねと伝えたいだけ。
 
 
なんだこいつの過去、と笑って
一時の笑いのネタにしてくれるも尚良し。
 
 
「今」は響かずとも
未来を決めるのは自分自身なのだ。
 
 
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こんなに長い「どっかの誰か」の
過去の変化を
最後まで読んでくださった方が
いらっしゃいましたら
本当に、ありがとうございます!☺️
 
 
そんな優しいあなたが
今日も1日、笑顔で過ごせますように。