シルバーバーチの霊訓を道標に生きる -2ページ目

シルバーバーチの霊訓を道標に生きる

「傷みと苦しみ、困難と苦難、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。」~シルバーバーチ~ 

三月も読書会に参加してきました。

私は関西シルバーバーチ読書会 に参加させていただいています。

これまではインターネット上に所在地を公表するのは少し躊躇していたのでどこの読書会に参加しているのか、というのは伏せてきましたが、今月からは関西シルバーバーチ読書会のホームページ をリンクさせていただくことにしました。

というのも、ホームページをリニューアルされて、なんだか私も嬉しくなったからです♪


では、今月も素晴らしい学びの時間でした。

さっそく書いていこうと思います。



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今月の資料


★「シルバーバーチは語る」 20章・・・青年牧師との論争

  スピリチュアリズム・ブックス「シルバーバーチは語る」20章へ

★「続スピリチュアリズム入門」 第一部 8章・・・善と悪について

  スピリチュアリズム・ブックス「続スピリチュアリズム入門」第一部 8章へ

★プリント 心の道場 スピリチュアリズム・ニューズレター28号 人間の霊的成長を支配する神の摂理(法則)より 図6「人間の霊的成長に関する摂理の全体像」をプリントアウトしていただきました

  心の道場「スピリチュアリズム・ニューズレター」 28号へ



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まず、心の道場 スピリチュアリズム・ニューズレター28号 人間の霊的成長を支配する神の摂理(法則)より 図6「人間の霊的成長に関する摂理の全体像」をこちらにアップしておきます。


シルバーバーチの霊訓を道標に生きる-「人間の霊的成長に関する摂理の全体像」



★霊訓を読んでいても、言葉だけで流してしまいそうな内容をこうして図で理解することで、大きな視点から学ぶことができるので、ぜひ活用してくださいとのことでした。


★進化の法則が全体の進化の為に働いていて、辛い時は進化の法則が働いていることを思うと楽になる



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★「シルバーバーチは語る」 20章・・・青年牧師との論争

  スピリチュアリズム・ブックス「シルバーバーチは語る」20章へ


いただいたまとめのプリントをこちらに転載したいと思います。



<第二回目の議論>


●理想に向けての努力こそが完全に向けての努力

・努力することが大切/プロセスが重要(必死に努力することによって成長する)

・完全を目指して全力を振り絞る ←→ あきらめる・努力しない

・結果より努力することが大事



●キリスト教のイエス観への批判

・イエスは神ではなく人間(人間的な感情を持っていた)

・イエスはメシア(救い主)ではない

・イエスは人間の生き方の模範を示した(イエスのしたことは誰にでもできること)


●自由意思の法則(法則の後ろに神の慈悲)

・自由も摂理の一環・大霊の愛から生まれた法則

・自由意思を行使できる範囲は摂理によって規制されている(別の摂理によって支配)



●罪の問題(善悪観)

・罪は本人が償うもの(自己責任の法則・償いの法則)

・キリスト教の贖罪論(イエスを信じれば罪が許される)は間違い

・罪とは(由来)


【キリスト教】 

神=善の勢力 ・ サタン=悪の勢力 分かれて対峙し闘い


<サタン>→悪なる思い→悪が発生する VS <神>→良い思い→善が発生する


・善VS悪の闘い、つまり神VS悪魔の闘いがキリスト教の教義


【スピリチュアリズム】 

利他心と利己心の葛藤の中で自己責任によって成長

・すべて自己責任の領域


肉>霊 → 利己心(悪なる思い)→ 霊的成長できない <摂理に一致していない生き方・考え方>


霊>肉 → 利他心(善なる思い)→ 霊的成長を促す <摂理に一致した生き方・考え方>


・霊も肉も神が与えた(神の中に内在していた要素) 人間が考えてきた善も悪も、実はすべて神の一部である

・”人間は思念を出す一個の器官” 善の思念(利他心)を出すか、悪の思念(利己心)を出すかは本人の責任


★思念はリアルで実体の伴うもの

★行動にも善悪があるが、思念自体も善悪がある

★本能的・自己中心的・肉体的になると摂理に一致していないので霊的成長ができない

★良くない行為や思いは自分の責任であって、外部のサタンからの働きかけではない


●罪の償いの問題

【キリスト教】

・罪の告白とイエスを信じることで罪は許される(懺悔・贖罪)

<人間の罪をイエスが十字架の死によって贖い、神と人との和解を果たした>

【スピリチュアリズム】

・自分で作った罪は自分で償う(自己責任の法則)

・元に戻す努力をしたときに罪は消える(償いの法則)


★努力をしないと罪は消えない、努力が必要

★病気は正しい道に戻るためのありがたいもの、嫌な避けるべきものではない

<罪のこくはくについて> 正しい方向への第一歩に過ぎない。歪みを正すまで罪は残る

★自分で歪みに気付いて告白しただけではダメ。そこから正していく努力をしなければ罪は消えない



●イエスについて

・イエスの真価 = 人間の生き方の見本

・イエスへの崇拝は止めるべきもの(信仰の対象は神と神の摂理以外にない)


★イエスが地上に生誕してくれた真の価値は模範として見ることにある



●地上の悲劇に対するイエスの思い

・イエスの涙 = クリスチャンの恥ずべき行為

・イエスを模範としていない = 地上の悲劇を見て見ぬふりをする

・人々の救いのために積極的に働きかける必要性<霊(真理)と肉(衣食住)両面の救い>


★本来霊的救いを与えるべき宗教にそれができていない


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まとめ

・地上の人間にとって完全な生活を送ることは不可能

・しかし、完全であるよう努力することはできる

・人間は霊的に成長することを目的として地上に誕生

・不断の努力が性格の形成に役立つ

・完全であるように努力することが地上で目指すべき最高の理想=神性をより多く顕現できるようになる

・神性をより多く顕現できるようになるには、霊優位の努力、利他的に愛する努力

・イエスが行ったことは誰にでも実行できることばかり(模範となるために地上に誕生してくださった)

・イエスの生涯は利他的・霊主肉従の最も純粋な形での模範

・完全に向けての必死の努力によって成長する

・また、必死の努力をしていると必ず霊界からの応援がある。努力しない、あきらめる、では応援は来ない

・キリスト教がイエスを神の子として祭り上げていることをイエスは喜んでいない、そんな風に祭り上げられて悲しんでおられる

・摂理の中で自由意思が与えられている

・自分の意志で自ら進み成長してくれることを祈って自由意思が与えられた

・自由意思が働く中で成長がなされていく

・自分の行いは原因と結果の法則の中で自ら責任を取らないといけないことを理性で判断する

・霊的成長をなすものは善、成長を阻害したり停滞させるものは悪

・すべては自分の責任であり、サタンなどは存在しない

・善悪どちらを選択するも自己責任

・罪の間違ったとらえ方をして、本来魂を救うべき宗教が魂の足かせになる

・善悪は自由意思で選んでいる

・罪の告白だけでは罪はつぐなえない 

・イエスの生涯の価値は人間が模範とすべきその生き方にある

・地上の宗教では救えないので、必死の思いで霊的真理が地上にもたらされた



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印象に残った個所


★人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれて来るのです。

成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからでも同じです


★イエスも人間的感情を具えていたということです。

イエスを人間の模範として仰ぐとき、イエスもまた一個の人間であった――ただ普通の人間よりは大霊の心を多く体現した人だった、という風に考えることが大切です


★イエスがおこなったことは誰にでも実行できることばかりなのです。

誰も付いて行けないような人物だったら、せっかく地上へ降りたことが無駄だったことになります


★いかなる過ちも必ず本人が正さなくてはならないということ、それだけです。

地上で正さなかったら、こちらヘ来てから正さなくてはなりません


★自分がタネを蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る――この法則から逃れることは出来ません。

神の法則はごまかすことが出来ないのです


★蒔いたタネは自分で刈り取らねばなりません。それが神の摂理です


★私は主イエスの目に涙を見たことがあります。

クリスチャンをもって任ずる者、聖職にある者の多くが、その教会の陰で進行している恥ずべき事態に目を瞑(つむ)っているのをご覧になるからです。

その日の糧にすら事欠く神の子が大勢いるというのに、神の館のつもりで建立した教会を宝石やステンドグラスで飾り、その大きさを誇っているのを見て、一体誰が涼しい顔をしていられるでしょうか。


★主よ、主よ、と叫ぶ者みんなが敬虔なのではありません。

神の意志を実践する者こそが敬虔なのです。

それをイエスは二千年前に述べているではありませんか。

なのに今日なおあなた方は、それがいちばん大切であることを、なぜ信者に説けないのでしょうか。

大切なのは何を信じるかではなく、何を為すかです。



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イエスが胸を痛めて涙を流されるというのを知り、イエスをとても身近に感じました。

二千年前に私たち人間の為に素晴らしい模範を示して下さり、大天使であったのにご自分を犠牲にして地上に誕生してくださったその愛は、今尚続いていて慈しんでくださっていることを思うと、涙があふれました。

大霊、そしてイエスをはじめとする高級霊たちの愛に報いることのできる地上生活を送りたいと心から願いました。


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次回は

★「続スピリチュアリズム入門」 第一部 8章・・・善と悪について

  スピリチュアリズム・ブックス「続スピリチュアリズム入門」第一部 8章へ

について書こうと思います。



ここまでお付き合い下さってどうもありがとうございました。


前回の記事の直後に記事を書いていたのですが、セーブする前に誤って消してしまい、かなり衝撃を受けていたので(笑)更新が遅れてしまいましたが、二月の読書会のご報告のつづきです。


★ 続スピリチュアル入門 第6章 日常の仕事について


勉強しました。




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ポイント


霊界での仕事


・霊界での仕事は地上とは違い、各自の能力に見合った完全な適材適所

・お金の為に働くのではないので、すべて自発的な利他愛の行為としての仕事

・仕事がそのまま利他愛の行為、無償の奉仕活動

・自分自身の能力を発揮する楽しい創造活動、能力開発の為の訓練でもある

・仕事は奉仕活動であり、能力開発であり、霊的成長を促進させるものである

・誰もが活発に、生き生きと喜んで仕事に従事している



地上での仕事


・目的は生活の為のお金儲け

・生活の為にいやな仕事でも辞めることができない

・適材適所とは言い難く、心身に苦痛を与えることが多く、喜びとして働くことは稀

・地上世界は「物質中心主義」と「利己主義」に支配されているので、仕事を完全な利他愛の行為にすることはほとんど不可能


★仕事を霊的視野から見る


・いやな仕事も「霊的視野」からみると、それが最も霊的成長を促すありがたいものとなる

・地上世界は苦しみの体験を通して霊的成長をする場所

・仕事上の苦しみは霊的成長の貴重なチャンス

・仕事に伴う苦しみや困難を乗り越えることで前世のカルマを切り、利他的人格を養うことができる

・あらゆる苦しみや困難を「魂の修行」として位置づける。辛い仕事もそのひとつ

・仕事や職場での人間関係の中で利他愛の訓練がなされる

・嫌な相手を霊的視点から眺め、愛の思いで接する訓練の現場ととらえる

・人間関係のトラブルもとらえ方次第で愛の訓練のチャンスとなる

・給料・報酬を得ながら前世のカルマを切り、愛の訓練・忍耐力の訓練を受けることができると考えると良い

・いかなる時も霊的視野を持つ霊的修行にもなる

・人間が人生を懸けて求めるべきものは霊的成長のみ!

・霊的成長が仕事によって促されると考えると、仕事は実にありがたいものと言える


★お金儲けを最高の利他愛の行為にする


仕事を通して稼ぐお金は必要最低限のものを手に入れるだけあれば十分

・必要以上のお金が手に入ったら、それは困っている人に分け与える為に神が一時的に預けてくれたと考える

・自分と家族は簡素な生活を心がけ、余ったお金は困っている人々に分け与えることが利他愛の摂理に適った生き方

・必要以外のお金はすべて真理普及のため、人助けの為に用いるなら、地上での仕事は最高次元の利他愛の行為となる



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★ 肉体をもって仕事をしていくのは何のためか、ということを再確認する


★この章をよんで、「そうだな、これでよかったんだな」、とか、「そう考えればよいのだな」などと、思い返したりしてほしいとのことでした


★いつもこういうことを覚えておくとよい


★一つ一つが自分の挑戦課題


★痛みや苦しみが存在するのは、私たちがそれを克服していく方法を自ら学ぶため



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読書会中のメモ


★視点を変えるだけで物事の捉え方がかわってくる


★相手にも守護霊がいるので任せることも大切


★時期の来た人との出会いは必ずあるので、こつこつと頑張って活動する


★地上で肉体を持っているということは、過ちに気付いた時点で何度でもやり直すことができるということ


★正しく解釈されずに、人工的な中で広まってきたのが現代宗教


★心配や苦しみにとらわれて取り越し苦労をすると、背後からの応援が届かなくなる



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すっかり更新が滞ってしまい、三月の読書会も終わってしまいました。

ちょうど仕事を変わるかどうかで、霊的、利他的な人生とはAなのかBなのか、という二者択一の選択を迫られていました。

自分で色々なことを考えすぎてしまい、怖気づいて尻込みしたせいで、一歩踏み出すチャンスを一つ自ら捨て去ってしまいました。

それで、もういちどチャレンジしてみましたが、今度は扉は開かれませんでした。


しかし過去を悔やんでも仕方ありません。今ここにいる私は自由意思の結果です。

そして背後霊や守護霊がその時々で最良の導きをして下さることを心から信頼していなかったから、自分なりの考えにとらわれて一歩を踏み出すことができなかったのだと思います。


それでも、葛藤を通して学ぶことが多く、決して無駄な時間ではなかったと思いますし、背後を信頼することを以前よりは理解できました。また、自分をじっくり振り返る良い機会にもなりました。


また、何の悩みもない時よりも、そうでないときの方が真理の理解は格段に進むということを身をもって実感しました。

心に悩みを抱えたり、将来の不安を抱えるとき、そこには必ず自己保身の心があるのだと感じました。

私は自分の将来を利他的に考えるより、利己的に考えていたのだと思います。

だから葛藤があったのだと思います。

しかし、その中で導きを求めたり、神の御心をもっともっと理解したいと願う心や、真の霊的愛、利他愛を理解したいという願い、また、自己犠牲をもっともっと身につけていきたいという心、自分を捨てるということの難しさ、自分の弱さ、醜さ、色々なことを見つめ、学ばせていただきました。


大きな収穫を挙げてみると、


・自分の利己性に直面し己の醜さを知ることができたこと、

・霊的真理にしがみつくことで困難をのりこえられたという喜びが後に残ったこと、

・神への思慕が深まったこと、

・守護霊との絆が深まったと感じること、

・利他愛、道具意識、自由意思について深く考えさせられ、もっともっと霊的真理を理解したいと願うようになったこと、

・祈りによって心が休まり、霊的エネルギーが充電されるのを実感できるようになったこと

などです。


昨年1年は本当に、何も苦難のないお気楽な1年だったので、すこしマンネリ化していたのだと思います。

こうして葛藤を乗り越えて振り返ってみると、苦難は本当に必要なものなのだなぁ!と感慨深い思いがします。



「地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、必ずや人間にとってプラスになるものを有しております。

いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界が想像できるでしょうか。

そこにはもはや向上進化の可能性がないことになります。

克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです」

~心の道場 霊的進化の道しるべ 6章 摂理は完全であり、自動的に作用します より~


これは私が好きな個所なのですが、

ただ好きなだけで何もわかっていなかったのだなぁ、と思います。

しかし、この言葉にどれ程救われたか知れません。


改めて、霊的真理の素晴らしさ、実践の重要性を感じ、一人でも多くの時期の来た人に伝えていくことが私の人生の責任であることを感じました。


良い体験に感謝します。

結局、職場は変わらないことに落ち着いたのですが、新しいことも始まっています。

そして、現在の環境で霊的成長の為に克服すべき課題も明らかになり、もっともっと霊的成長を成すためにこれまでより厳格に、自分にビシバシと鞭打ってストイックに実践していくぞ!と燃えていますメラメラ

やる気満々ですメラメラが、燃え尽きないように気をつけます(笑)


また苦難はやってくるでしょうが、歓迎して迎えられるよう、真理の実践と日々の祈りによる大霊との霊交によって霊的パイプを太~くして準備万端で臨みたいと思います!





ここまでお付き合い下さってどうもありがとうございました。









2月も読書会に参加してきました。

2月の資料は


★ シルバーバーチは語る 20章 青年牧師との論争 p.328~p.348

★ 続スピリチュアル入門 第6章 日常の仕事について


でした。



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★シルバーバーチの本の中では、シルバーバーチは語るが一番内容が充実している。

日常読むと良い。


★この20章はかなり深い内容で、宗教の間違いを指摘している


★キリスト教の中でもスピリチュアリズムは物議をかもしていて、一人の牧師が交霊会に参加した



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まとめのプリントをいただいたのでここに記載します。



シルバーバーチは語る 20章 青年牧師との論争 p.328~p.348


・キリスト教とスピリチュアリズムの論争

・キリスト教の主要教義を霊的視点から覆す対決・闘いの現場


◎p.328/1~5L <前置き・青年牧師が交霊会に参加するまでの経緯>


◎p.334/1~4L <言葉ではなく行為、書物ではなく実際の行為が重要>

・キリスト教――バイブルは神の言葉・信じて救われる・信仰重視

・スピリチュアリズム――言葉よりも行い・実践重視(行為なくして救われない)


◎p.336/1~5L <レッド・インディアンについて>

・霊界サイドの霊媒と地上の霊媒(シルバーバーチとは別人)

・通信霊と霊媒の一体化


◎p.336/6~11L <死後の後悔について>

・死後の後悔――成すべきことを成さずに終わる・無駄に人生を過ごした

・最大の敗北(成長のチャンスを無駄にする)


◎p.337/1~5L <キリスト教の信仰の原点を否定> 論争の「第一ラウンド」

・救いの教義の間違い――信じて救われるのは間違い(信仰だけではダメ)

・正しい行為――行いによって救われる(正しい真理を実践する)


◎p.337/LB5~p.339/LB5 <キリスト教のイエス観を否定>本格論争開始

・キリスト教のイエス観――唯一神の子・三位一体(神と子と聖霊)・罪のない存在

(救い主となって我々人間の身代わりとなるために地上に誕生したと考える)


・キリスト教の人間観――罪人・自分の力では救われない・救い主(イエス)が必要

・スピリチュアリズムのイエス観――神ではない・霊性が高い人間・偉大な霊能者・救世主(メシヤ)ではない


◎p.349/LB4~p.343/9L <キリスト教の人工性・ねつ造性>

・ニケーア会議――ねつ造の歴史の舞台・キリスト教最大の秘密を暴露


◎p.343/LB4~p.344/3L <霊と肉体の苦しみ>霊の苦しみの方が大きい

・霊の苦しみ(孤独・絶望・恐怖・悲しみ) ⇒ 霊的な救い

・肉の苦しみ(病気・飢え・貧困) ⇒ 肉体的な救い(医学・ボランティア)


◎p.344/L4~10L <因果の法則・償いの法則>

・地上での不公平・不平等 ⇒ 霊界で埋め合わせ ⇒ トータルして見れば完全な平等



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P.334/1L~4L 


「文字はどうでもよろしい。いいですか、大切なのはあなたの行いです。神の真理はバイブルだけでなく他のいろんな本に書かれています。それから、人のために尽くそうとする人々は、どんな地位の人であろうと誰であろうと、またどこの国の人であろうと、立派に神が宿っているのです。それこそがいちばん立派なバイブルです」


★表現された文字ではなく、実際の行為が大切


★キリスト教ではバイブルは神の言葉そのもので理性的に考えて納得できないことも絶対的に服従しなければならない


★スピリチュアリズムでは、神は摂理として人間に対峙しているとし、自分の行為は自分で責任をとらねばならず、人のために役立つことをし、人のために尽くす行為が神の御心に適っているとする


★宗教団体が経典を出して、それを読むことで救われると言ったりしているが、そうではなく実際の行為が大切だとはっきりと言っている



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P.335/10L~335/5L


「インディアンがあなた方のバイブルのことをよく知っていて驚かれたでしょう?」と言うと、「本当によくご存じのようです」と答えた。するとメンバーの一人が「三千年前に地上を去った方ですよ」と口添えする。牧師はすかさず年代を計算して「ダビデをご存知でしたか」と尋ねた。ダビデは紀元前一、〇〇〇年頃のイスラエルの王である。シルバーバーチが答える。


「私は白人ではありません。レッド・インディアンです。米国北西部の山脈の中で暮らしていました。あなた方のおっしゃる野蛮人というわけです。しかし、私はこれまで西洋人の世界に、三千年前のわれわれインディアンより遙かに多くの野蛮的行為と残忍さと無知とを見てきております。今なお物質的豊かさにおいて自分たちより劣る民族に対して行う残虐行為は、神に対する最大級の罪の一つといえます」



★20章ではシルバーバーチと霊媒のバーバーネルの間にいる霊界の霊媒、レッドインディアンと一体となって話している


★レッドインディアンとシルバーバーチは別々の人間だが、シルバーバーチの霊格が高すぎて間にインディアンを介さないと地上とコンタクトをとることができない


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P.336/6L~11L


牧師「そちらへ行った人はどんな風に感じるのでしょう? 例えば後悔の念というものを強く感じるのでしょうか」



「いちばん残念に思うことは、やるべきことをやらずに終わったことです。あなたもこちらヘお出でになれば分かります。きちんと成し遂げたこと、やるべきだったのに怠ったこと、そうしたことが逐一わかります。逃してしまったチャンスが幾つもあったことを知って後悔するわけです」



★地上の目的 ⇒ 日常の中で魂を成長させること。


★魂を向上させることができなければ、地上に誕生した意味がない


★真理は読むためや、知識欲を満足させるためにあるのではなく、実際に日常の行為、生活に生かすもの


★信仰だけではダメで、実際に行う正しい行為によって得たものが自分の魂の進化向上に結び付く


★実際の行為に結び付けるには、正しい知識が必要なので、より多く理解し、そして実践していって欲しい、とのことでした



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★キリスト教とスピリチュアリズムのイエス観は全く違う


★スピリチュアリズムでのイエス ⇒ イエス自体は神ではない。我々と同じ人間であるが、霊性が高い人間で、偉大な霊能者であったとする


★325年3月20日、現在のトルコで開かれたニケーア会議で、キリスト教を政治的に利用するために、神とイエスを同質のものとする、ということが書き加えられた


★スピリチュアリズムはイエスを頂点として地上に降ろされた


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P.343/10L~344/3L


牧師「この世にはなぜ多くの苦しみがあるのでしょうか」


「神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練をへて初めて人間世界を支配している神の摂理が理解できるのです」


牧師「苦しみを知らずにいる人が大勢いるようですが……


「あなたは神に仕える身です。大切なのは“霊”に関わることであり、“肉体”に関わることでないくらいのことは理解できなくてはいけません。霊の苦しみの方が肉体の痛みよりも耐え難いものです」



★肉体の苦しみよりもそれ以上の苦しみがある。


★神に使われている道具として目に見える肉体的苦しみだけでなく、霊の苦しみを抱えている人が多い


★霊的真理、正しい霊的知識を知った人の言葉や祈りが大きな力となる

(真理を知ったものはその責任を自覚しなければならない)


★不幸に見えることもその人にとっては必要があっておこされている


★目に見えている結果で判断しがちだが、そうではないことを知る


★不幸をマイナスにとらえない


★大きなところでは必ずきちんと法則が働いている


★シルバーバーチは霊的な視点から語っている。物的な視点で見ると不平不満がでる


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P.346/2L~346/11L


「私は霊の世界中を回らなくてはなりません。さらに私の方は、天命をまっとうせずにこちらヘ送り込まれてきた人間がうろついている暗黒界へも下りて行かねばなりません。それにはずいぶん手間が掛かります。あなたに自覚していただきたいのは、あなた方はとても大切な立場に立っていらっしゃるということです。神に仕える身であることを自認しながら、その本来の責務を果たしていない方がいます。ただ教会の壇上から意味もない説教をしているだけです。

しかし、自ら神の手にゆだね、神の貯蔵庫からインスピレーションを頂戴すべく魂の扉を開けば、あなたは古(いにしえ)の預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって魂が満たされるのです。そうなることで地上の片隅に、人生に疲れ果てた人々の心を明るく照らす光をもたらすことが出来るのです」


★牧師に語りかけているが、自分に置き換えて読む。シルバーバーチは真理を読むすべての人にも呼び掛けている



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P.346/12L~347/11L


牧師「そうあってくれれば嬉しく思います」


「いえ、そうあってくれればではなくて、事実そうなのです。私はこちらの世界で後悔している牧師にたくさん会っておりますが、皆さん、地上での人生を振り返って、ご自分が本当の霊のメッセージを説いていなかったこと、バイブルや用語や教説にばかりこだわって実践を疎かにしたことを、如実に自覚します。そして、出来ればもう一度地上へ戻りたいと望みます。そこで私は、あなたのような牧師に働きかけることによって新しい時代の真理を地上にもたらす方法をお教えするのです。

あなたは、今まさに崩壊の一途をたどっている世界に身を置いていることを自覚しないといけません。新しい秩序の誕生、真の意味での天国が到来する時代の幕開けを見ていらっしゃるのです。産みの痛みと苦しみと涙が、少なからず伴うことでしょう。しかし最後は大霊の摂理が支配します。あなた方一人一人がその新しい世界を招来する手助けができるのです。なぜなら、人間の全てが大霊の分霊であり、その意味で大霊の仕事の一翼を担うことが出来るのです」


★真理を手にしてシルバーバーチの言葉を読むことができる、それを実践していこうという気持ちがあれば、道具として働くことができる


★私たちもイエスと同じように、神から分霊を授かっているので、神の仕事の一翼を担うことができる


★シルバーバーチの霊訓を読んでも、その言葉だけでとどまってしまうと全体が見えなくなるのでプリントを確認しながら読むと良い


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次回は、心の道場出版 続スピリチュアル入門 第6章 日常の仕事について


について学んだことを記そうと思います



ここまでお付き合いくださってどうもありがとうございました。

今月も読書会に参加させていただいたので、

気になったところ等を記しておこうと思います。



今回の資料は


☆ シルバーバーチは語る 19章 再生 (生まれ変わり)  


☆ スピリチュアリズムの思想 [1] 類魂と再生について より


★ (2) 類魂について


★ (4) 再生の目的


☆ スピリチュアリズム入門 二部 五章 永遠の霊的成長の道



でした。



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シルバーバーチは語る 19章 再生 (生まれ変わり)の内容は、

多岐にわたって質問されていてとても良い。


「古代霊は語る」の中にも同じ再生のことが書かれているが、編集者によって少々掲載されている内容が違うので、両方読むと尚良いとのことでした。


また、「スピリチュアリズム入門 二部 五章 永遠の霊的成長の道」と

「スピリチュアリズムの思想 [1] 類魂と再生について」 より 「類魂について」 と 「再生の目的」

を読んでから、シルバーバーチは語るの再生の箇所を読むと、

スピリチュアリズムの全体像からの視点で学ぶことができるので理解しやすいとのことでした。



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5章 永遠の霊的成長の道


(一)地上人生の目的――「魂を成長させること」


地上人生の目的とは


☆地上人生の目的が――「魂を成長させて永遠の死後の世界に備えること」


☆地上における束の間の人生によって“永遠の世界”での幸福が決定されるとするなら、

地上生活を送る私たちは、何よりも自らの霊的成長を人生の第一目標としなければならない。


☆人類にとっての重大な哲学のテーマの一つが「人間は何のために生きているのか?」というものですが、その答えは「魂の成長・霊的成長」という一言で言い尽くされてしまう。


霊的成長のバロメーターは「利他愛」


☆霊的成長の高いレベルにある高級霊と、霊的成長の低い低級霊・未熟霊の違いは「利他愛の度合い」

霊的成長レベルの差は、霊が利他愛をどのくらい持っているのか、ということにおいて決定される

☆「利他愛」こそが、霊的成長のバロメーターである


宇宙と霊界に遍在する「神の愛」

☆神によって造られた世界(宇宙・霊界)には、神の愛が遍(あまね)く及んでいる

☆神の愛は、すべての存在物・生命体・意識体を包んでいる


神は則を通じて、人間に臨み、そのためすべての人間が、神によって「完全平等・完全公平」に愛され扱われる


「神の愛」の本質――完全な利他性・無償性

☆宇宙・霊界の万物を造られた神は、人間にとって「霊的親」であり、その愛は「親の愛」以外の何ものでもなく、親は子供の幸福を何よりも願う。


そこには一切の打算や見返りへの期待はない


神の愛は、こうした「完全な利他的愛」「完全な無償の愛」


完全な利他性と無償性が、神の愛の本質


霊的成長とは、「神の愛」を身につけていくこと


☆神によって生み出された子供(人類)が成長するとは、親なる神を手本として親に似ていくこと。


☆それは神の愛を自らの内に築き上げていくこと


☆「神の愛」――すなわち利他的愛・無償の愛を多く身につければつけるほど、神の性質に似ることになり、神からの愛を多く受けられるようになる。


☆神に似る
 やじるし3

さらに多くの神の愛が魂に流れ込んでくる

 やじるし3

神の愛の良き“受容器”となる

 やじるし3

その愛を、周りの人々や動物・存在物に与える

 やじるし3

神の愛の良き“授与器”となる


神が万物を愛するように、自分自身が神の愛を与えることができるような人間になる、自分を通して神の愛を顕現させることができるような人間になる


☆こうしたプロセスを経て、神の愛をより多く受けて、より多く与えることができるようになっていく。


☆これが「霊的成長・魂の成長」ということ。


利他愛の実践こそが、霊的成長の道


「神の愛の実践」――すなわち「利他愛の実践」こそが最も大切な生き方。


利他愛の実践によってのみ、人間は神に似ていくことになり、霊的成長を達成することができる。


利他愛の実践なしに霊的成長をなすことはできない。


☆どれほど真理を学び、多くの霊的知識を身につけても、また厳しい修行を積み重ねても、利他愛の実践がなければ霊的成長は達成されない。


☆「利他愛」こそが「神の愛」であり、霊的成長の決め手であり、人間の価値を決定する尺度


☆宗教の教えは、この利他愛の実践というシンプルな教訓の中に集約される。


☆「利他愛の実践」こそが、人間にとって最高の生き方であり、真実の宗教的生き方


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次回は、スピリチュアリズムの思想[1]について記そうと思います。


ここまでお付き合いくださってどうもありがとうございました。

読書会へ行ってきました。



今回は、



シルバーバーチは語る  十一章 進化の土壌としての地上生活

☆スピリチュアリズムニューズレター13号 


  常に理想を目標にして努力するのが、スピリチュアリズムの歩みです

☆シルバー・バーチの霊訓 (一) p.76-p.77



を資料に、スピリチュアリストとして、地上生活での心の持ち方について学びました。




まずは、シルバー・バーチの霊訓(一)p.76-77を抜粋します。



「この真理があなたの生活を支配し始めた時、それに伴う内的静寂と冷静さが生まれ、日常生活の一つひとつに正しい認識をもつことができるようになります。


あほらしく思えていい加減に処理したり、義務を怠るようになると言っているのではありません。


私が申し上げたいのは、そうした知識をてにした人でも、ややもすると日常生活の基盤である霊的真相を忘れてしまいがちであるということです。


霊的な目で日常生活を眺め、その背後に霊的基盤があることを忘れずにいれば、最大の敵であるところの取り越し苦労と決別できるようになります。


知識はわが身を守る鎧です。


不安は魂を蝕みます。


もしも神が私に何か一つあなた方へプレゼントする事を許されたとしたら、私が何よりも差し上げたいと思うのは、”霊的視力”です。


この薄暗い地上に生きておられるあなた方を私は心からお気の毒に思うのです。


あなた方は身のまわりの見えざる世界の輝きがどれほど素晴らしいものかをご存知ない。宇宙の美しさがご覧になれない。物質という霧が全てを遮断しています。


それはちょうど厚い雲によって太陽の光が遮られているようなものです。


その輝きを一目ご覧になったら、この世に思い悩むものは何一つ無いことを自覚されるはずです。


私たちは法則と条件による支配をうけます。


その時々の条件に従って能力の範囲内のことをするほかはありません。


が、目に見えようと見えまいと、耳に聞こえようと聞こえまいと、手に触れられようと触れられまいと、あなた方を導き、援助し、支えんとする力が常に存在します。


人の為に役立とうと心がける人に私はいつも申し上げてきたことですが、見通しがどんなに暗くても、いつかは必ず道は開けるものです。


霊の力は生命の力そのものだからです。生命は霊なしには存在しません。生命――― その本質、活力、潜在力、こうしたものは全て ”霊” であるからこそ存在するのであり、程度の差こそあれ、本質において全存在の創造主と同じものなのです。」




日常に流されがちな心を支えてくれる内容なので、日々読み返してみると良いですよ、と仰られていました。





「霊的な目で日常生活を眺め、その背後に霊的基盤があることを忘れずに」


「この世に思い悩むものは何一つ無い」


「あなた方を導き、援助し、支えんとする力が常に存在します。」


「程度の差こそあれ、本質において全存在の創造主と同じもの」



全ての出来事は、大霊が各自にとって一番良いと思われることを為して下さると信じられることは、とても幸せなことです。


勇気が湧き、感謝の気持ちが自然と溢れ出します。




私は、失敗を恐れ、傷つく事を恐れて、何も行動できずに生きてきました。自分では、そうと気付いていませんでしたが。


しかし、怖がって何もしなければ、何も学べないのだと感じました。せっかく地上に向上を求めて来たのだから、失敗して傷つく事を恐れずに、行動していきたいと思いました。




とても前向きになれた、素晴らしい読書会でした。


ここ数日、無力感にさいなまれ、落ち込んでいました。


心も身体も重く、疲れていました。


何故このような心の状態に陥ってしまったのか、


ヒントを探して霊訓を読みましたがなかなか答えはでませんでした。


そこでニューズレターを紐解きまして、読んでみたところ、道具意識についての箇所が、今の私に語りかけているかのようにぴったり来ました。


私には道具意識が欠けていたから、自分を無力だと感じていたのだとわかりました。


これまでずっと自分の力に頼っていたような気がします。



もちろん、守護霊様を信頼していますし、いつも何かにつけて話し掛けて、指導を仰ぎ見てはいますが、


やはり、道具意識がきちんと確立できていないと思いました。



今回は、ニューズレターより道具意識の重要性について抜粋しながら、


感じたことを書いてみようと思います。



心の道場スピリチュアリズムニューズレター4号より


心の道場スピリチュアリズムニューズレター4号



私は独りでは何も出来ないのです。


道具意識を持たずにいたから、自分の能力のなさを感じたときに、落ち込んでしまったのです。


それはつまり、自分でなんでも出来ると考えていたということでしょうか。


ニューズレターを改めて読み返してみて、


私に出来ることは、


人のために道具として役立つことを喜びとすること、


そして道具としてより役立つ為に、自分を律すること、霊的に生きること、


神様に良き道具として生きることが出来るように祈ること、


それだけなのかな、と思いました。


結局は、ニューズレターの創刊号に全て書いてあることなのだとわかりました。




読んだだけできちんと理解できていなかったのですね。


道具が自分勝手に動けば使い辛いことは想像に難くないのに、




道具意識が無かった為に、自分がやらねば!と気負っていたようです。



高級霊に委ねる以前に、自分が自分が!とでしゃばっていたのだとわかり、


恥ずかしいです。



人のために私には何が出来るの?と行くべき方向を探し求めまくっていました。

>
自然に道は開かれると信じていると、ここにも何度か書きました。

でも実際の所は何もわかっていなかったのですね。。。


探し求めて、本来人のために使うべき大切なエネルギーを無駄に使っていたのですから。


そして自分の能力のなさに落ち込んでいました。

霊たちが主役なのに、自分が主役になったつもりで気負ってしまっていたのです。


こうして、自分の道具意識の無さがわかり、改めてこれまで書いたものを読むと、恥ずかしくなって来ました。


自分が自分が!でした。


これからもう一度初心に戻り、ニューズレターや心の道場さんのスピリチュアリズム入門などをきちんと読み返して、それからもう一度通して霊訓を読んでみようと思います。


きっちりと道具意識を身につけて、良き道具になることが出来るよう努力いたします。



読書会へ行ってきました。


今回は、読書会へ参加したくても、様々な理由で出来ない、


という方もいらっしゃることと思いましたので、


例えその場に参加しなくても、少しでも読書会へ参加したように感じられるよう、


こちらへ読書会のあらましを載せることにしました。



今回の読書会のテーマは


「霊能者のモラル、スピリチュアルブームについて」でした。



資料は、



心の道場出版、アランカルデック


「スピリチュアリズムの真髄現象編」第十二章 霊能者のモラル、




「シルバーバーチは語る」第十三章~第十五章




です。


今回のテーマにおいて学ぶことは、


☆現代は霊的物理現象に留まっておらず、実践の時代にきている。


☆必ずしも霊媒的な能力が必要なのではなく、真理を理解して霊として生きることで、霊媒と同じように、霊たちが道具として使おうとする。



ということでした。



まずはシルバーバーチは語るの第十三章から第十五章を各自で読みました。





★生活態度が高尚であるということは神性が多く発揮されているということ


★日常生活での人間性のレベルは即ち霊能のレベルである


★自己犠牲はマイナスではなく、魂にとって喜びである



★どういう心境でいれば霊界と連絡がとりやすいか



穏やか、


安らかな気持ち


希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気


冷静で受容的な心を保つ




★一番大切なことは他人の為に己を捨てる


この人の為、というところに道が開けてくる。


霊界は利他愛一色の世界なので、地上にいる間にそれを実践していくことが大切、とのことでした。






シルバーバーチの交霊会における、霊団のメンバーの詳細が、シルバー・バーチの霊訓(七)に掲載されています。





そこでシルバーバーチの霊団の各メンバーがかわるがわるそのテーブルを動かすことによって挨拶した。
もっともこれは誰であるかが明確にわかるのは二人だけで、それ以外は挨拶の仕方にこれといった特徴はないのであるが、霊団を構成しているのが複数の男性インディアンと英国人、二人のかつての国教会の牧師、著名なジャーナリスト一人、アラブ人が一人、ドイツ人の化学者が一人、中国人が一人、英国人の女性が二人であることはわかっている。
その全員がテーブルによる挨拶を終わるころには、そろそろ霊媒のモーリス・バーバネルのトランスの用意が整う。
~シルバー・バーチの霊訓(七)p.14~




★以上から、シルバーバーチ霊団の構成をみると、様々な国の様々な人々から構成されています。


地上に真理をもたらすために、たくさんの霊たちが本来の生活を犠牲にして私たちのために尽くして下さっていることがわかります。





★交霊会自体が霊界側にとっても勉強会となっている。


私たちの読書会のような集まりでも、霊会の方たちが勉強の為に集まってきているのだそうです。



こうして霊団のことを詳しく学び、一人一人に霊団がついていて、たくさんの霊たちの愛情をうけていると知り、その愛を裏切ることのないようにしたいと感じました。




★神の摂理自体が調和であり、それにあわせてゆく事が大切。




★霊的な一体化を求めて過ごすことにより霊団との一体性を強化することになるので、


霊現象が見えるとか見えないとかは関係無い。



★上を向いて生きなさい、うつむいてはいけません、といつもシルバーバーチが言っているように、いつも前向きに楽しく、失敗してもいつでもやり直せる。



★現象レベルにとどまらず、実践する。宗教とは実践することそのもの。現象は真理に目覚めさせ、その実践をするための足掛かり。


次に霊媒の書、十二章 霊能者のモラルの問題を輪読しました。



今回の読書会で学ぶべきテーマのひとつである「真理を理解して霊として生きることで、霊媒と同じように、霊たちが道具として使おうとする。」ということを、ひとりひとりに付き添ってくれている霊団への理解や、神の摂理との調和、霊と繋がる為の心の持ち方、現象は初歩の初歩で、肝心なのは真理の実践であるなどを、丁寧に読むことでより深い理解を得る事ができました。




霊訓に導いていただいたことを無駄にすることのないよう、これから益々気持ちを引き締めて、己に克ち、そして人の為に生き、真理を知ったものに相応しい人格を築いていきたいと思いました。


苫米地英人氏の「スピリチュアリズム」という本を読みました。


現在のスピリチュアルブームに危機感を感じ、
それに警告を発する内容でした。


霊的真理を真実とみなす私にとって、
反対意見もきちんと知るべきだと思い読んでみました。


著者は、スピリチュアルは密教の教えに繋がっていて、
それはインドのカースト制という差別に繋がり、
さらにはオウムのポア思想に繋がっていくので、
スピリチュアルは危険だと警告しておられました。


この著者は主に江原氏の著書からスピリチュアルブームに反論しています。


ハイズビルやシルバーバーチの記述が出てくるので、
一応近藤千雄氏の訳書にも目を通されているようです。


しかし、スピリチュアルを信じることが殺人に繋がるというのは、
シルバーバーチやモーゼスの霊訓、アランカルデックの著書をきちんと読めば、
そのような結論には至らないと思います。


恐らく、江原氏批判の為の読書であったが故に、
真理を見落としてしまったのだと思います。


著者は著者なりに、たくさんのカルト犠牲者を見てきて、
宗教に対して嫌悪感を抱いているのかもしれないし、
彼なりの正義感からこれを書かれたのだろうとわかるだけに、
何か悲しい気持ちになりました。


シルバーバーチの語ることにはどこにも矛盾はないし、
人を傷つけるようなことも言ってはいません。
むしろ愛に溢れています。


自殺は罪だし、殺人を犯せば罪は自ら必ず償わなければならない。
如何なる動機があろうとも、自分自身も他人も、
神によって創造された命を絶つ権利など誰にもないのだ、
と霊訓には繰り返し繰り返し書かれています。


だから、スピリチュアリズムは、オウムのポアの思想とは全く相容れないものです。



全ての高級霊訓には、真理は一般大衆に大々的に受け入れられるものではなく、
時期の来た人に一人一人受け入れられていくものだと書かれています。



決して安易に全ての人に伝えて良いものではないのだとわかりました。



きちんと理解できずに、
動機が正しければ人の命を奪っても良い、だとか、
自殺して生まれ変わって、次はもっと良い人生を生きる、
などと思い違いをしてしまうこともあるからです。



真理は時期の来ていない人に伝えてしまうことで、
一歩間違えば大きな危険をはらんでいるのだと思いました。



私自身も、スピリチュアリズムに出会ってしばらくは、
テレビという誰もが目にする公の場において真理を語ることは、
それほど悪いこととは考えていませんでした。


むしろ、たくさんの人が真理に触れる良いチャンスだと思っていました。
しかし、よくよく吟味してみると、
やはり大衆全員が同じ霊的進化の段階でないのだから、
それはとても危険な行為なのだと感じました。


だからこそ、イエスは多くの言葉を例え話で語られたのです。



「どんな教えも、指導の対象となる人の知性に合わせて示されるべきです。
なぜなら、光が明るすぎると、目が眩んでしまい、啓発されることのない人がいるからです。」
~スピリティズムによる福音p.385~





「むやみに光を投じるのではありません。
霊たちは驚くべき慎重さを持って指導を与えます。」
~スピリティズムによる福音p.387~





「適切な季節が来なければ発芽することができなかったり、
前もって準備された土地に蒔かなければ発芽できない種があるため、
適切な時期を待ってから種を蒔き、
期が熟してから、発芽したものを栽培する方がよく、
過度の栽培によって他の発芽を失敗させてしまうことがないようにしなければなりません。」
~スピリティズムによる福音p.388-p.389~





「真理なるものは常に秘宝的要素をもつ。
必然的にそうなるのである。
何となれば真理はそれを受け入れる用意のある魂にのみ受け入れられるものだからである。
日用品として使用するにはその香気が余りに儚(はか)なすぎる。
その霊妙なる芳香は魂の奥の院においてのみ発せられるものである。
このことを篤と心に留めておかれたい。
さらにまた、受け入れる用意の出来ておらぬ者に押しつけることは真理を粗暴に扱うことになり、
そなたにとりては天啓ではあっても、
そうとは思えぬ者には取り返しのつかぬ害すら及ぼしかねぬことも心されたい。(中略)
真理を宿す神秘の園に奥深く分け入る求道者は、
その真理が静かに憩う聖域を無謀に荒らすことがあってはならぬ。
その美しさはつい語りたくなるであろう。
己が得た心の慰安を聞く耳を持つ者に喧伝したく思うかも知れぬ。
が、己の魂の深奥に神聖なる控えの間、清き静寂、
人に語るには余りに純粋にして、
余りに貴重なる秘密の啓示を確保しておかねばならぬ。」
~霊訓(完訳・下)三十ニ節~





現在の「スピリチュアル」ブームを批判する内容でしたが、
読んでみて良かったと思います。


様々な受け止め方があることがわかったことと、伝導の厳しさ、難しさ、慎重にしなければならないことを学ぶことができました。


とても大切なことを教えていただいたことに感謝して、今後に活かしたいと思いました。







ありがとうございました。
先日シルバーバーチの読書会へ行ってきました。

今回は永遠に向上することの意味をきちんと理解する、

というテーマでした。


心の道場さんのニューズレター29号に掲載されている図によって、

永遠というものを立体的に理解することができ、

私はこれまで、永遠というものをただ単に言葉として理解して、

わかっているつもりになっていただけで、、

実際は 永遠に霊的向上を続ける、

ということを全く理解していなかったことがよくわかりました。



心の道場さんのニューズレター29号のリンクです。
↓↓↓




永遠の向上を理解することにより、

自分が生まれたてのまだヨチヨチ歩きすら出来ない赤ちゃんなのだ、

という認識がしっかりと根付きました。


これは私が今取り組んでいる、

自尊心、虚栄心、利己主義の改善に大きな力を与えてくれるものです。

あまりのスケールの大きさ、壮大さ、

自分の位置、人類の位置の小ささを初めて実感することが出来たことを嬉しく思います。



この果てしなく続く霊としての人生からすると、

地上での生活は瞬きをする間位でしかないのだと理解することが出来ました。


そして、一瞬だからこそ、大切な貴重な時間をいただいているのだと感じました。





今回の読書会で一番感動したのは、

「神はこれから永遠に自分の子供として愛して下さるのです。」
~ニューズレター29号~

という箇所です。




永遠とは、遥か悠久の彼方まで…

気の遠くなるような感じがしますが、

その気の遠くなるような間、

絶え間なく、終わりもなく誰一人忘れ去られることなく、

愛し続けて下さるのだと思うと、本当に感動しました。



永遠を立体的なイメージとしてリアルに捉えることができたおかげで、

地球浄化の為に力を尽くして下さっている、

何百億という霊たちの愛を感じることができ、

その壮大な愛が感じられ、自分でも驚くほどの感動に包まれました。





魂が震えるとはこういう感じを云うのかもしれません。


とにかく、魂の底から感動が湧きあがってきたのです。



この霊的真理を実践しなくては申し訳ない、

このまま何もせずに霊界に帰る訳にはいかない、

私には勿体無いほどの神と高級霊たちの深い深い愛に応えたい、

と心だけでなく、魂の切望のような衝動を覚えました。




永遠に向上するとは、永遠に神と高級霊たちからの愛を受け、

その愛に応えるために自分以外の人に愛を尽くすこと、

それはつまり自分がしてもらって嬉しい事を他人にする、

そういうことなのかなぁと思いました。



自分に出来る慈善についてよく考えてみたいと思います。

まだ今は「自分」にとらわれていて、自己克己の努力しか出来ていない私ですが、

少しづつでも、魂の喜びとして慈善を行えるよう人間性を磨いていきたいと

新たな決意をいたしました。





この気持ちを忘れないようにしたいと思います。



ありがとうございました。
この頃、心から一日を大切にしたいと思えるようになって来ました。

肉体に宿る時間は、霊にとってとても有り難く、貴重なものなのだと。


だからこそ、この大切な神様からいただいた

宝物のようなチャンスである一瞬一瞬を無駄にしたくない、

と益々強く感じることが出来るようになりました。


そのせいか、欠点克服の必要性をこれまで以上に意識するようになりました。




前回、


☆ 自尊心
☆ 利己主義
☆ 本能優位


が私の欠点の共通点だったと書きましたが、

そのうち、私が今改善しようと取り組んみ、

心に留めているものは、自尊心、虚栄心を追い出すことです。




恐らく、利己主義と自尊心は繋がった欠点だと思うので、

とにかく常に、自尊心、虚栄心を抑える様に心がけること、

「この行動は、言葉は、思いは謙虚であるか」に気を配り、

意識することにしました。




そのために、

① どんなものにも、どんな時にも感謝の気持ちをもつこと、

② 自分の未熟さをもっと認めること

の二つを特に気をつけることにしました。




①のどんなものにも感謝することについては、

謙虚であるとは、自分ひとりの力ではどんなことも為し得ないと知って、

常に感謝の気持ちを心に持っていることだと思ったからです。


更に、この世に未熟はあっても悪はないと知ったので、

パーソナリティとしての私には不利益に感じられることも、

そこには大きすぎて気付けない大きな愛が存在し、全てに良いように

計らわれていることを知る事が出来ました。

故に、どんなことも神の叡智が働いていると知れば、

自然と感謝の気持ちが湧いてきます。



その気持ちを気まぐれに思い出したり忘れたりするのではなく、

常に意識することを心がけようと思いました。



②の自分の未熟さをもっと認めることについては、

①の感謝が足りないせいだと思いますので繋がっているのですが、

敢えて意識する事にしました。




言い訳によって自分の名誉を守ろうとしている、

自尊心のかたまりなのです。

実際は言い訳などで名誉が守られるはずがない、

むしろ逆だとわかってはいるのですが。




このブログも、匿名で書かせていただいているとは言え、

公の場に文章を公開することの責任から逃れることは出来ないので、

自尊心や虚栄心を満足させる為のブログになっていないか、

常に厳しくチェックしなければならないと感じました。




この世界で取り繕うことが出来ても、

霊の世界では全てお見通しだということを忘れずに、

肝に銘じておこうと思いました。




そこで、初心に戻ろうと思い、心の道場さんのニューズレターの、最初のあたりを読み返してみました。


今の私の心境にぴったりと来る一文を見つけたので引用しておきます。



「自分を厳しくチェックできない人、謙虚でない人は、自分が霊的真理を知っていることで利他愛の持ち主になったかのように錯覚します。
傲慢なスピリチュアリスト、自分の思うようにならないと、すぐに好き嫌いで判断するスピリチュアリスト、与えられることだけを期待している子供のようなスピリチュアリストが何と多いことでしょうか。
結局スピリチュアリストと言っても、それは名前だけのことで、霊的にはこの世の人より劣ることにもなりかねないのです。」
~心の道場 スピリチュアリズムニューズレター 3号より~



自分を厳しくチェックし、一瞬一瞬、感謝の心を持ち続け、

未来において、今日の自分より少しでも自尊心が少なくなり、

謙虚であることが出来るように努力していこうと決意を新たにしました。



ここまで読んで下さってありがとうございました。